掌編小説集

567.『あんなこと言われたんじゃ殴れないだろ。』

私には年下で学生、父親が警察の副署長という友達がいる。
でも私と彼女の間にそんなのは全く関係がないから、単なる歳の離れた普通のお友達なんだけれど。

学校帰りの彼女と待ち合わせをして遊びに行こうとしたら、目の前に急ブレーキの音を響かせた黒いワンボックスカー。
スライドドアから出てきた二人組は、黒いシャツに黒いズボン、おまけに黒いフルフェイスヘルメット。
全身黒尽くめの二人は彼女を連れ去る気なのか、車の中に引きずり込もうとする。
抵抗する彼女と二人組を引き剥がそうとしたけれど、はね除けられたはずみにドアの縁に頭をぶつけてしまったらしく私の記憶はそこで途切れた。

ここまでがミニアバン、時間にしたらワンハーフもないだろう。


名前を呼ばれた気がして目を開けた時、心配の中に安堵の表情を滲ませる彼女が目の前にいた。
私もあの二人組に連れ去られてしまったようで、彼女と同じく後ろ手にされた手首と足首には結束バンドが巻かれていた。
ぶつけた頭はまだふらつくし、起き上がるのに一苦労した。

動き回れないからその場で見回した限りだと、どこかの寂れた小屋のような場所で、内装からすると今は使われていないであろうログハウスに見える。
広さは六畳ほど、ドアとすりガラスの窓が一つずつ。
物置に使っていたのか物が散乱していて埃っぽい。
口を塞がれていないから人気はない場所なのだろう。

彼女が目を覚ましたのも十分ほど前で、連れ去られてから何時間経ったのか分からない。
けれど、すりガラスから見える色はだんだん明るくなってきているから、恐らく陽が昇っていると思う。
一度夜が明けているなら、誘拐されてから一日以上は経過している計算になる。


バイクのエンジン音が響いた後に一つの足音が近付きドアが開く。
現れた黒尽くめがビニール袋を放り投げた、と思ったら声を上げる暇も無くドアが閉められてしまった。
けれど、開かれたドアから見えたのは落ち葉と奥に沢山の木、この周辺を山だと仮定したとしたら小屋は小屋でも山小屋の部類だろう。

彼女と顔を見合わせながらビニール袋の中身を覗き見ると、水の入った小さなペットボトル一本と、これまた小さな菓子パンが一つ。

確かにお腹は空いていた。
が。
無いよりマシだけれど、どうやっても二人分ではない。
そもそも身動きが取れないこの状況で、どうやって食べるのだろうか。
まあ、この状況でお腹が空くということは、緊張感の中でも空腹を感じられる程度には落ち着いているということだけれど。

外から男の話し声がする。
すりガラスから黒い人影が見えるから、先程の黒尽くめだろう。
聞こえてくる声に目一杯耳を澄ます。

『はい、ご指示通りに。メールに写真も添付しましたが、お得意の時間稼ぎでしょうか。まだ、回答は得られていません。はい、はい、・・・承知しました。明日実行いたします。』

声が途切れた後、バイクのエンジン音が遠ざかる。

ザ・テンプレートのブラックメールなんて不動な不毛。
彼女の父親であるあの副署長が、そして警察組織が素直に要求を呑むとは思えない。
何故なら、警察は体面を保たなければならない。
露悪を晒し犯人に屈する訳にはいかない。
警察の威信は高止まりとは言い得て妙。
けれど、そんな権力を行使できる警察だって強くはない。
ショートカットの手なんて無く、法を遵守しなければならないから。
法を犯す犯人に対しては、確実な証拠を積み重ねなければ逮捕など出来ないから。
最強といわれているけれど、決して無敵ではないのだから。

それに、なおざりに引き延ばしている警察に焦っているのか。
フラグでもブラフでも無い、聞こえた物騒な単語。
大仰な様相を呈しているからこそ、慎重ではなく寧ろ大胆な行動に出た方が、この状況を打破出来る気がする。
見張らないスタイルの様で、バイクが去って以来穏やかな気配しか無い。

頭の中でシミュレーションしたことは、私の友達には到底及ばない稚拙な計画な上に、夜の山なんて危険なだけだと分かっている。
明日実行するという黒尽くめの言葉を意訳すれば今夜しかないと覚悟を決め、闇に紛れよう作戦を彼女に伝える。


さて、陽が落ちた。
明るい内に見付けておいた空の酒瓶に布切れを巻いて割って簡易の刃を作り、手足の結束バンドを切る。

窓のロックを外し開けるとそこは正しく闇夜。
しかし双眸凝らせば見えてくるのだから、暗順応様々だ。
私が先に出て確認したけれど、思った通り見張りはいない。
しかも耳を澄ませたら幸運なことに籟籟と水の流れる音。
これで猟友会にお世話になりそうなところを彷徨しなくて済みそうで良かった。

山で遭難した場合、登るのが得策なんだけれど。
登山道かどうかも分からないし、そもそも誘拐監禁しているのだから人が出入りしない場所だろうし。
つまり、山を下らないことには知らせることが出来ない。
だから川伝いに下ることを決める。
彼女と手を繋ぎ、比較的太い木の枝を杖代わりにして足元を確かめながら歩みを進めた。


確実に近付いているものの息が上がる。
水の音がもうすぐそこまでなのに。
彼女の支えと杖代わりの枝があっても、ふらついて上手く歩けなくなっている。

だけど、彼女さえ辿り着いてくれれば勝機はある。
警察の中にいるシックスマン的な私の友達。
階級とか年齢とか関係なく、肝胆相照らす心丈夫な友達。
だから、自分のことしか考えていない冷たい人間ではなく多きを助けようとする熱い人間の部分があるんだと、俗説‐レッテル‐を剥がすことが出来た。
友達のおかげで玉石混淆を聞き及んだ上で言及しているとはいえ、警察組織の全てを無条件で信じている訳ではない。
一家言の正義を語源化するのは、操を立てるかの如く難しい。

しかしながらこの捕集‐ゲーム‐は、かくれんぼではなく鬼ごっこ。
私が見付かったとしても彼女が逃げ切れればいい、それが定石。
私はもう一つ覚悟を決め、彼女に相済まぬと開陳する。
確実に足手纏いになろう私であっても置いて行くなんてこと、キャリブレーションいっぱいにアサーションするであろう彼女は優しい子だから。

『確かに警察は貴女の為と比べて私の為に動いてはくれないと思う。
貴女が父親と確執があるのはそのせいでしょう。
けれど黒尽くめは明日実行すると言っていたから時間なんてない。
私のことなら彼や友達が絶対に見付けてくれる。
だからお願い、貴女に託すことを許して。』

目線を合わせながらも冗長しないように。
一人夜の帳へ放り出してしまうから。
負け戦になんてさせないからと力強く。

私を精一杯慮ってくれたシンギュラリティの彼女に友達への伝言を頼む。

『犯人は三人以上。顔は分からないけれど一人は男で、誰からか指示を受けている。
それから私の彼に、上司を殴るなら懲戒免職で済む程度にしときなさいよって。』

刑事であるが故に、この上ない修羅場の真っ最中であろう彼への最大限の譲歩。

『何でもお見通しかよ。』

推し量るより見越した私の言葉に、上申をすっ飛ばして啖呵切りながら掴みかかった貴方が自嘲気味に呟いたことを、私は知らない。

絶対追い掛けるから。
きっと追い付くから。
遠退くその背中に誓えただけでいい。
綺麗事で恙無く守れるほどこの世界は優しくないから、黒尽くめ達を逮捕出来る証拠になれたらそれでいい。
希望的観測であるもしもの話より、頭の片隅でもいいから未来の話をしよう。
分水嶺のように分かれても大海原でまた会えるように、きっと。


彼女と別れて朝朗け。
体力温存の為にビバークよろしく動かなかったけれど、そろそろ歩き出さなければ。
山小屋からどれくらい離れられているか、検討が付かないから。
今日の何時に実行なのか、どんな行動に出てくるのか、予想も付かないから。

崖下の沢の音を聞きながら、綺麗なチンダル現象の中を下っていく。
最悪下りきれなくても、サブマリンの様に息を潜めていつまででも待っていればいい。

そう思って1/fゆらぎを全身に感じながら前進していると、似つかわしくないバイクのエンジン音が響く。
すわ大変と、歩みを止めて木の陰に身を隠す。
思いの外早くバレてしまったけれど、探し回っているようでエンジン音が右往左往している。
黒尽くめ達の目的を達成する為に必要不可欠な彼女が捕まっていないのなら、バイクが入って来れない斜面でこのままやり過ごそう。

エンジン音が遠ざかり胸を撫で下ろした瞬間、『こんにちは。』と、聞こえた男の声はすぐ後ろ。
振り向いて見えた口元の歪みは、愉悦か侮蔑か。
サウンドマスキングされてしまって足音に気付けなかったけれど、ハイライトの希望がスーツの襟にしっかり見えた。
一か八か、一縷の望みにかけて、携帯で黒尽くめを呼ぶその男に掴みかかる。
彼から護身術を教えてもらっていたから、こんな状態でも揉み合える程には役立っている。
それでも振り払われて、その拍子に崖から沢へ転げ落ちてしまって、意識を刈り取られる。
私が沈んだ蕭蕭たる水面を一瞥し、主眼は果たしたと男は乱れた襟を直した。


気が付いた時には川縁だった。
私が露と消えなかったのは大御神からの死生有命なのか。
玉かぎる月明かりで把握出来た状況は、流れが緩やかなカーブで打ち上げられたという事。
固く握り締めたままの右手の拳の中の感触は、賭けに勝ったことを意味している。

それに加えて、見付けられやすくする為だけに沢を更に下るなんて大胆な行動が出来ているのは、彼女が紡いでくれているであろう軌跡を信じられる自信があるから。
そんな彼女をサバイバーズ・ギルトにさせない為にも、もう一回すらもういっかと諦め不戦勝を差し上げるほど往生際は全くもって良くはない。

寄進され開闢されても挙って綯い交ぜにしながらピッチカートを奏でる、威風堂々たるプネウマをカンフル剤にして。
起死を謀れる騎士を求めて岸は軋み、史記は四季に彩られ死期を敷き私記に記すなんてさせはしない。


火を点されたかのように微かに、それでもサウンドスペクトログラムのように明かに。
貴方が探し当てたのか、私に引き寄せられたのか。
耳に届いた貴方の声に向いたその先、幾つもの漫然とした灯りが私を照らす。
崩れ落ちる私を抱き止めてくれた貴方の顔すら焦点が斑雪のようで認識出来ないけれど、か細く訥々と口を動かす私に『彼女は無事ですよ。』と友達は力強く言ってくれた。
掠れ消え入りそうになる声を振り絞って唇の隙間から溢れ落としながらも、固く握り締めたままの右手の拳を開いて掴み取ったそのモノを見せた。

彼女を左けた私を右けに来てくれた彼と友達達。
聞きしに勝る醜聞にまみれた末法末世の物語に、最悪の想定をし最大の最善を尽くして挑んだ、私達の戦いの話がようやく・・・いや、むしろここから然る可く。


金彩が施された調度品を正視するオートクチュールの外套が似合う男は、突然現れた友達と彼に怪訝な顔を向ける。

『君達を呼んだ覚えはないが。』
『ええ。呼ばれた覚えはありませんね。』
『それに生憎ですが、お待ち合わせの事務官はいくら首を長くして待たれても来ませんよ。』
『なんだと?』

モザイクアプローチを駆使して根城にしているバラックで逮捕された私と彼女を拐った二人組は、多額の報酬に目が眩んだまさかの遁刑者。
そしてそれを二人組に依頼し、ワンボックスカーを運転したり山小屋に食料を届けたりして片棒を担いでいたのは、デュープロセスを行使する男の事務官だった。

『そうか。彼はとても優秀な事務官であったんだが、どんな理由があろうと許されないことだ。遺憾の意を表する。』
『随分と他人事のように仰いますね。事務官は、すべて貴方の指示だったと供述しているんですよ。知らないの一言で通し済まされるとお思いですか。』
『知らないことには答えられんよ。彼は犯罪者だ。そんな奴の言葉を真に受けないほうがいい。』


事務官の取調べは彼が担当した。
誘拐脅迫した理由は、上に立つ者が謝罪でもしてブレたら下の者が混乱するという独自の正義を執行する各上層部と与した過去の不義の責任を押し付けられ、下ろされてしまった男を出世レースに戻す為。
男と共に閑職に回された事務官に、『戻りたいなら黙って私の言う通りにしろ。』と色々な手配をさせた。
しかし当の事務官は、不義の記録を隠し持っていた。

『箝口令を敷く程の悪事を企む奴等は、いつ裏切られる事になるか常々戦々恐々としているものなんです。自分がいつでも裏切るから相手も裏切ると思い込む。叛意に神経を尖らせ用心に用心を重ねて、誰のことも信用することはありません。
だから、もしも窮地に陥った時の為に、逆転の一手の証拠となる切り札を用意ぐらいして当然なんです。
世迷言と切り捨てる権力者に丸腰はないですよ。
でもこれで、やっと枕を高くして寝れます。乱高下する黒幕共の裏回しは疲れました。』

長いものに巻かれご相伴にあずかり従順なフリをした慇懃無礼で強かな事務官曰く、生殺与奪権を奪われっぱなしな訳にはいかないとサボタージュ。
傍で働きながら潰す機会を伺っていた、死なば諸共ってやつらしい。


『御尤です。しかし、事務官の自白や状況証拠だけではなく、物的証拠も押収しています。貴方が裏で糸を引いていたのは明白なんですよ。』
『あわよくば私を主犯格にして減刑を図りたいのだろう。そんな繰言など異にしてくれ。だが、確かに君が言った通り、気付かなかった私にも責任の一端はある。これからは生まれ変わったつもりで日日是好日努めていくよ。』

事務官の供述は話半分の眉唾物だと、取るに足らないものだとでも言うかのように、無礼た態度の男。
捜査規範から逸脱しない発言‐クチ‐と、必ず勝つのではなく絶対に負けを認めない本心‐ハラ‐と、型にはまり過ぎる行動‐セナカ‐。
負うべき責任の終着点を間違えるだけでなく好き勝手に、舌先三寸まるで一貫しない。
事務官の遺志を縊死するように殉教者‐スケープゴート‐にして、全ての罪を被せ葬り去る気らしい。

『てめえ!自分が犯した罪を見ねぇふりした挙げ句、償うこともせずに勝手に生まれ変わるなんてふざけたことを抜かすんじゃねぇよ。てめえが清廉潔白に生まれ変わる為の代償なんかにされてたまるか!』

男の胸ぐらを掴み激昂する彼の不敬を、不遣の雨のように友達は緩やかに宥める。
善を守る為ならとシャワー効果のように防御的な友達と、悪を倒す為ならとファウンテン効果のように攻撃的な彼。
対照的な両者だけれど、共に自らの正義を貫く為に手段は問わない、けれど責任を負うことも厭わない類いの人達。
石のような意思を持った医師の如く、手術適用外‐インオペ‐になんかさせない為に。

『言葉を慎みたまえ。これ以上、君達の戯れ言に付き合ってられん。失礼するよ。』
『では、最後に一つだけ。』

乱れた襟を直し空疎な一興はここまでだと、排斥して立ち去ろうとする男の機先を制する。
口を割ったのは事務官だけだと思っているようだ。
完勝を観賞する男、感傷を鑑賞する彼、緩衝に干渉をする友達。
法を犯すこと‐デメリット‐が法を守ること‐メリット‐を越えたら、どれだけ報奨金を積み上げても続ければ続けるだけ赤字‐ソン‐、分の悪い破れかぶれな賭博‐ギャンブル‐に過ぎないことを気付きもしない。

『つかぬことをお聞きしますが、襟元にバッジがお見受け出来ないのです。細かいところが気になってしまう質でして。一体どうされたのかお教え願えますか?』
『どこかで紛失してしまっただけだ。』
『おやおや、それは大変ですね。』
『バッチがどうかしたか?』
『これは貴方のバッジではありませんか?』

突き付けたのは男の職業を表す、秋霜烈日のバッジ。
殺されかけた私が掴み取った、言い逃れなどさせない確定的な証拠。

『・・・いや、私のバッジではないが。』
『おや、そうですか?個人番号と所属番号が、貴方のものと符合したんですけれどね。』
『何が言いたい?』

男は一瞬眉間に皺を寄せたものの、口にしたのはこの期に及んでまだ白を切るつもりの他責かつ他人事らしい言葉だけ。

『俺達に話すことはもうありゃしませんよ。話さなきゃならないのは、そちらの方なんじゃないんですか。』
『それでもお忘れになっていると仰るのならば、貴方方のクリミナルマインドを思い出していただけるように、不肖な私ではありますが全貌を口上申し上げましょう。』


男を歯牙にも掛けない友達の弾幕を張った問わず語り。
そのアンソロジーの中には、上前を撥ね権力を掌握し過ぎた各上層部の雪隠で饅頭を食べるようなお話も含まれていた。

『男が自発的かつ勝手にご意向だと考え忖度して動いただけの話だ。顔色を伺われる立場にある私に、責任が発生することなど全くない。』などと、例によってアイ・アクセシング・キューをフル活用して、稠密に大上段を構えて毒突いていたが、雲隠れも、都落ちも、国替えも、お暇も、委細承知だって通じさせない。
因業の張本、ただの犯罪者‐クリミナルズ‐なのだから。

警察の威信が瓦解しないように、一丁目一番地の課題は自浄努力。
エレベーターピッチのリスクヘッジ、全てを壊して新たな秩序を作るぐらいに隗より始めよ。
嫌疑無しでも、起訴猶予でも、処分保留でも、嫌疑不十分でも、玉虫色など有り得べからざる。
愛娘を誘拐された副署長自ら矢面に立った。


役者の役割は役名に現れ役回りを務めて役目を果たすのみ。

役職などその名の通り職の役の種類の一つであって、左団扇の御褒美や優越感を抱けるような代物ではなく、ただのハロー効果でしかない。
そして、部下の方が優れた知見を得ている場合もあり得るのに、上司である己の方が優れていて部下は常に教えを乞う立場だと信じ込んでいる。
だから授かり効果を忘れられず、面子を潰されただけで気忙しく手段を選ばなくなる。
向こう見ずで脆弱なプライドが裏目に出て逆効果となり、己の首を締め既得権益を手放すことになるなんて夢にも思わず。
研鑽薫陶の誇りに埃をかけて、達者な御為ごかし。

己だけが居心地良く過ごすことのできる理想の世界を、取り戻したい男と死守したい各上層部の攻防戦は、蜥蜴の尻尾切りをした奴も呆気なく切られた。
なんてことない、ファニーなこともない。
言うなれば尻尾が長かっただけの話。
内憂外患を齎す尻尾、切ってしまう尻尾、いや切る為だけに存在する尻尾を大事にする蜥蜴などいないのだから。


『枝葉末節なセンテンスでも与り知らないことを嫌い、何事も自分の目で確かめないと気が済まない志操堅固が、今回は仇となりましたね。』

計画に無かったであろう意外に抵抗してしまった一般市民の私を人質に加え、葬り去る為のハイリスクな指示を事務官に出した理由は、埒が明かない警察組織、延いては各上層部に追い打ちをかけたかったから。
もちろん検察権行使者としてではなく諾否無用の脅迫者として。
厄介払いを兼ねた一石二鳥の様子を、己の眼で見届けようと男は山小屋に来た。
しかし沢に落ちた私を今生の別れと見做して、失くしたことに気付いたバッジを回収しようとしなかったのが運の蹲い。
己が利する為に転がし他を排する為に転がっていた罠でセルフキャンセルカルチャー、八百屋舞台から転げ落ちた。

『何かご釈明されますか?』
『・・・・・・。』

無言という名の肯定。
それは男にとって敗北を喫したことを意味するに等しい。
逆転勝利への延長戦など無い、撤退ではなく降伏、ブザービーターなんかになれるはずがない。

普段理性的な友達の怒気を含んだ皮肉も聞こえないほど茫然自失、進退窮まり今にも膝を折りそうな男に、切歯扼腕をなんとか飲み込みながら彼は重く冷たい手錠をかけた。


ところで、ドクトルもビックリするぐらいの奇跡で低体温症を抱えながら山の中を歩いていた私が、身罷らなかったのは偶さかにかまけたからなどではない。

辿り着いてくれた彼女が母親の制止もきかず、丁々発止取り成してくれて、副署長も片意地を張らずに号令一下で終日(ひねもす)、夜半‐ミッドナイト‐を過ぎてもウェーダーを身に纏いローラーをかけて探し続けてくれていたから。
その中には友達の職業が警察官だったおかげで、昵懇の間柄になった別部署の人や普段捜索隊に加わるはずの無い、所謂お偉いさんもいて。
文字どおりの錚々たるメンバーで構成されていた。
道理でスプリンター並の速さで発見され、照らされた灯りも多かった訳だ。

寡占するお偉方に殺されかけて、群雄割拠するお偉方に助けられた。
同じお偉方でも周回遅れ以上の差がある。
権力は手に入れたら帯水層の立水栓のように便利使いするモノじゃない。
無理矢理行使すれば、様々なセクトからゲバルトが散発的に起こり得てプロメテウスの火になり得るモノだから。


私が病院に運ばれて、男が送致されてから数日。
警察が握り潰すことも検察が隠し通すこともなく、上層部の不祥事に世間は鵜の目鷹の目。
目まぐるしく趨勢していく中で、いつまでも私だけ手をこまねいている訳にはいかないよね。

草葉の陰の一歩手前から意識を取り返すように目を開ければ、明滅していた胡蝶の夢は終わる。
白い天井を背にした彼の姿を、今度はちゃんとハッキリと視界に捉えることができた。
気付いた彼は私の名前を呼ぶから。
『みつけてくれてありがとう』って言ったんだ。

目を覚ました後もこれまた大変だった。
彼女は泣くし、彼女の母親からは心配されまくりだし、普段なら拝謁されるであろう副署長からは稀有なことに頭を下げられたし。
まぁ、父親としての謝罪とお礼だったからご放念くださいなんてお断りせずに有り難く受け取っておいたけど。

ペーソスさえ噯にも出さなず隅に置けない友達もうっすら涙を浮かべ、目を細めたままで固まっていた。

『どうしたの?』
『すみませんね。なんて声をかけたらいいか、月並の言葉さえ浮かばなくて。』
『・・そっか。』

叙情的に吐露されたものだから、最大限に斟酌した上で一言だけ返した。


余談なんだけど。
入院なんて私にとっては鬼の霍乱。
四角い窓から柔らかな日差しが差し込み日溜まりの影絵の模様がゆらゆら、白い床の上に踊り描かれる穏やかな昼下がり。
暇を持て余していたから、彼が来た時に異としていたことを聞いてみた。

『なんで上司の人を殴らなかったの?貴方なら副署長達の捜査方針に怒ると思ったのに。』
『・・・・・・。』

彼は目を反らして私に背を向ける。
あの時は過ぎ去り、その日が終わった後、ここに運んできたのは寸前の往時。
ともすれば九分九厘、公算が大きいと思っていた打打擲の青写真。

しきたりとか威信とか縄張りとか警察の体面とか、拒絶するきらいがある彼。
最初からあった訳じゃなく其処はかとなく、その時の誰かの最善で独断的な判断のもと作られ、附法的に踏襲しているだけなのだから、必ず守らねばならないということでもなく、変節したって構わない。
ただ御下知であっても細工は流流仕上げを御覧じろな精神は、レギュレーション重視の組織人としてはアウトなんだろうけれど。

『                   』

悪し様で露悪的な彼にしては豈図らんや。
小声だったから何て言ったのか聞き取れなかった。

『ねぇ、聞こえなかったんだけど。もう一回言って。』
『・・・っ。・・ノーコメント、ノーコメントだ!』

今度は反対に病院には似つかわしくない大声を出して、食い下がる隙もなく病室からそそくさ出ていった。

おざなりで粗雑かつ、立つ鳥跡を濁しまくり。

簡単な事を難しく説明するのは愚かな人、
難しい事を難しく説明するのは普通の人、
難しい事を簡単に説明するのは優れた人。
そんでもって、二度聞かれて怒る人は隠したいことがある人らしい。

否定でもなく肯定でもなく、解明も証明も定義すらしなくていいノーコメントって、言い訳すら出来ない不器用な彼であってもズルいと思わない?
< 567 / 664 >

この作品をシェア

pagetop