掌編小説集

587.カクテル言葉を致死量‐フェイデッド‐にならないように計算しながら敢行してもハナから時間切れ

とある組織を秘密裏に追う、対外的には昼行灯‐レガシー‐な部署。私はそこの室長を拝命していて、部下が三人います。

署内見学会を押し付けられていた彼女を、借地借家法をも無視して警務部から引き抜いた。目を付けた理由としては、母親も間違える程の双子を即座に見分けられていたから。
私の調べによると彼女は舌を巻く程の第六感を持っていて、彼女の気付きでかなりの事件が解決出来たにも関わらず、奇を衒っての行動だとか偶然の直感だとかと決め付けられ、手柄を持っていかれて彼女はいつまで経っても示しのつかないお荷物扱い。
彼女自身も出世に興味が無いどころか常にオドオドしていて、事件は解決したいが目立ちたくはないらしい。
その背景に絡んでくるのは、酒好きで彼女にも彼女の母親にも暴力を振るい、急性アルコール中毒で突然この世を去った彼女の父親。組織に属していたものの末端であり、組織の情報も酔っぱらいの戯れ言として認識されていた為、情報を伏せられていて何も知らない彼女と彼女の母親は、組織から放置されることとなった。

彼女の過去に自分が、いや厳密に言えば自分の父親が関わっていることに、こんなに感謝したことは無い。
距離を取りながらも徐々に詰めながら、事情は追って話すなどと誑かす庁内の人間に、軽いジャブを交わすどころか立場の差を利用して、妙な動きをすれば命の保証はないとばかりにうなぎの寝床へと追い込む。スリルがあるのは歓迎だが邪魔をされたくはないし、血の気が引くような自棄を起こされたくもないから、のべつ幕無しには自らの投降を促しましょうか。

彼女にとっては手前勝手に誘われる食事でしょうが、直属の上司という響きに浸れるこの上ない優越感。
悪いようにはしませんよ、という意味を込め顔を滅茶苦茶近付けてニッコリ笑えば、彼女が小さく悲鳴を上げたり小さく飛び退いたり、キョロキョロと目を動かす姿や仕草は、小動物的でとても可愛いらしい。ドキドキとした挙動不審な態度は、凡人にとっては嫌われたと思ってしまうのも止む無しでしょうけどね。

彼女が居なくなってから検挙率が落ちたり、彼女が来てから私の部署が事件を解決したりして知名度が上がったことで、彼女に近付く輩が以前より増えてしまった。
流石に私でも全員を排除することは出来ない。しかし、彼女は強く言われれば断れないから。
ほら、また。
情報屋と会う約束の時間が迫っている時、遠目に見掛けた彼女。仲良さげな雰囲気に、ちょっとどころではない嫉妬心を抱く。

情報屋と話をしながら、視界に映るカップルらしき二人。先程の彼女の姿を思い出してしまって、押し込めたはずの嫉妬心が湧いてくる。そしてタイムリーなことに彼女からの着信。
報告があるという彼女に、今忙しいから後で聞きます。と、欺罔して一方的に電話を切った。
情報屋が意味ありげな視線を寄越してきたが、黙殺して話を続ける。

情報屋と別れた直後、部下その三から着信。
外出先から戻ったら彼女から電話があって、見掛けた不審者が今追っている事件の容疑者と似ていて尾行している、と。場所を聞く前に通話が途切れてしまったから、彼女の携帯の位置情報から部下その一が割り出した場所に、部下その二と共に向かっているという。
私に報告というのはこの事だろう。しかし、部下その三に連絡出来るなら私でなくてもいいし、彼女から電話をもらってから随分と時間が経っている。
その理由も部下その三が解明してくれた。
最初に私に電話を掛けて忙しいと切られた後、部下その一に電話を掛けたが私からの頼まれごとに追われて多忙を極めていた為に諦め、部下その二は聞き込み中だった為に不通、部下その三でやっと通じて話が出来たらしい。
律儀に階級順に電話を掛けるとは。

帰る途中で降りだした雨は、着いた時にはどしゃ降りになっていた。雨の予報では無かったはずなのに、と濡れてしまった上着を見ながら思う。
しかし部下その三から掛かってきた電話で、窓の外の雨を睨むことさえ出来なくなった。

位置情報から割り出された場所の付近を捜索すると、すぐに彼女の携帯を発見した。そしてその側で彼女本人も見付かった。
どんよりとした景色に溶け込むように壁にもたれ掛かっていて、ずぶ濡れでめった刺しで瀕死の状態で倒れている。
直ちに救急車を要請し周辺を捜索、現場検証も始めてはみたものの雨のせいで痕跡がまるで見付からない。
周辺は防犯カメラも無く、人通りも無い、報告も犯人に繋がるようなものはあがってこない。唯一の手掛かりは、不審者が容疑者と酷似していると言った彼女の報告であるが、それだけではたとえ不審者が容疑者だと断定されても、彼女を襲った犯人が容疑者だとは言い切れない。
指揮権を取られまいとした捜査本部から追い出された私は、病院に向かい手術室の前にいる救急車に同乗してきた部下その二に交代を告げる。
あの時の嫉妬心の口利きを素っ惚けたならば、思い付いた言葉を一回だけでも篩に掛けてから言えたならば、この状況の潮目を変えることは出来たのだろうか。

赤いランプが消えないまま、部下その三が濡れ鼠の状態で様子を見に来た。彼女の無念を晴らす為に一丸となっているものの、芳しくないのも変わらない。
不意に手術室の扉が開いた。
出て来たのは看護師だろうか、彼女の仲間の警察官だと確認して手渡されたのは布切れ。彼女が握り締めていたもので、雨にも晒されていないし血の様なものが付着しているから、捜査の役に立てられるのではないか。と、手術を担当している医師が渡して欲しいと持ってきてくれたようだ。なんでもその医師の知り合いに警察医がいて、捜査のことを聞き齧っていたそうだ。
直ぐ様、部下その三に持ち帰って鑑定を依頼してもらう。

赤いランプがようやく消え、集中治療室に移ることが出来たが油断は出来ない。
ガラス越しに様子を窺っていると、部下その二から着信。
マスコミ報道で彼女のことを知った一人の女子高生が母親と共に警察署を訪れた。見知らぬ男に襲われた時に彼女が助けてくれたらしい。恐怖で部屋に引き籠っていたが、ニュースの速報の通知を見て、勇気を振り絞って証言をしに来てくれた。そのお陰で彼女が見掛け尾行していた不審者は、今追っている事件の容疑者で確定した。
現場に戻った部下その三の代わりに部下その一からも連絡があり、彼女が握り締めていた布切れは、検出されたDNAを含めて鑑定した結果、容疑者と一致。
つまり、事件を起こし警察から追われていた容疑者を、不審者として彼女が見掛け尾行、その報告をしようとしていた時に女子高生が襲われる場面に出くわし、思わず携帯を投げ出して、女子高生を助ける為に格闘、女子高生が逃げる時間を稼ぐ為に容疑者の服や凶器を掴んで足止めした。
恐らく事件の内容はこんなところだろう。証拠も証言もあり、容疑者は追っていた事件も含めて逮捕されることとなった。
捜査本部も私の立場を考えたのか頼んだ覚えもないのに、面子を守る為に顔を立てるカントな様は、開いた口が塞がらないとはこのことだろう。

ガラス越しの看護師達が騒がしくなる。彼女の意識が戻ったようだ。
何か話しているとのことだったので入れてもらうと、涙を湛えた彼女と目が合う。まだ意識が朦朧としているのだろう、焦点は合っていないけれど私のことは認識したようだ。
彼女は犯人を逃がしてしまったことを謝罪する言葉しか言わなかった。私を責める言葉も女子高生の安否も握り締めていた布切れのことも、何一つ言わなかった。
私が何も言えない間に繰り返される謝罪の言葉もだんだん小さくなっていって、看護師達は私を急いで集中治療室から出した。

容態は安定したが、背に腹は代えられなかったのではなく、どうなってもいいと思っていたからこそ、彼女は今まで自ら死ぬことさえしなかったのだろう。
手に入れようと囲い込むはずが、顎足代にも逃げ切りにも逆転勝利にもならずに、手放す羽目なってしまうところに加え、血は水よりも濃く、彼女にとって私は彼女の父親と同じだった。
ごめんと言うだけなのに私が悪いのにたった一言なのに。しかしながら、たった一言で済ませてしまえるようなことでもない。

彼女が納得しようが私が納得しまいが、答えは出会う前から出ていた。
一等星の優等生が馥郁に炙り出されて身を持ち崩すのは誰の台本通りでもない。
< 587 / 664 >

この作品をシェア

pagetop