掌編小説集

588.南天は押し並べても毒とも薬とも悪しからず

会社で悉く嫌なことが続いて、公園のベンチに座り缶コーヒーを飲みながら、雲が浮かんでいる空をボーと眺めていた。
昼休みが終わることに絶望しながら、飲み終わった缶コーヒーを捨て歩き出せば、後ろから声を掛けられた。
地味を地でいくような姿の彼女は、さっきまで座っていたベンチを指している。どうやら鞄を置き忘れていたようだ。
慌てて礼を言って、気恥ずかしさと共にそそくさと去った。

今まで勤務時間に公園なんて縁が無かったけれど、あの日以来結構な頻度で来ている。
カフェよりも気分転換になるし、何より話しかけられず無心になれるのが良い。
そういえば、彼女・・・置き忘れた鞄の存在を知らせてくれた彼女だが、彼女はこの公園を通るようだ。
俺は昼休みぐらいしか来ないから分からないけれど、家が近いのか職場が近いのかよく会う。
会うといっても話はしない。
二度目に会った時、彼女も俺のことを覚えていたのか会釈をされたから、俺も会釈を返した。
それだけだ。
何度彼女と会っても会釈だけ。
ただ、俺にはそれが心地よかった。
存在を見付けて目が合って少し微笑んで会釈を交わす。
それだけ。

そういう日々が続いて、公園に行くこと自体が楽しみになっていた。
その日は、昼休みに公園に行ったにも関わらず、ふと思い立って会社帰りにも寄ってみることにした。
初めてこんな時間帯に来てみたけれど、当然ながら同じ公園でも昼とは違う景色だった。
そして彼女とも会った。
けれど、会釈はしなかった。それどころか、彼女は俺に気付きもしなかった。
ばっちりと化粧をしてモテを意識するような服装で、俺よりも年上の男と腕を組んで歩いていた。
遠目でも恰好が違っても彼女だと俺は断言出来る。
けれど、俺の知っている彼女では無かった。

彼女のことを友人に話すと、彼氏がいて当然とか彼女のこと何も知らないだろうとか、極々当たり前のことを言われてしまった。
確かに、会釈をするだけで話もせず、挨拶さえしたことが無い彼女の何を知っているというのか。
兎に角、挨拶だけでもしようとしたのだけれど、その日以降、昼休みも会社帰りも姿を見掛けない。
月末という忙しい時期も相まって、残業が続いて公園に行けない日々も続く。

やっと仕事が落ち着いた頃、道端で偶然彼女を見掛けた。
久しぶりに見た彼女は一人ではあったけれど、やはり彼女に似合わないページェントな出で立ちをしている。
声を掛けづらくて躊躇している内に、後を付ける形になってしまったけれど、決してわざとではない。
裏路地を抜けて歓楽街に入る。仕事の付き合いでぐらいしか来たことがないけれど、俺にはあまり居心地の良い環境では無かった。
彼女は迷うことなく一つの店に入って行った。所謂キャバクラだ。
一瞬お客さんとして来たのかと思ったけれど、看板を見れば営業時間外。
彼女の恰好からしても、導き出される結論は一つ。

友人に話せば案の定俺と同じ結論。
彼女はそのキャバクラのキャバ嬢で、見掛けたのは出勤途中の姿、前に見た男は恐らく彼氏ではなく同伴相手。
女は化けるっていうけど、お前の言い方だとなかなかの玉だな。と、友人は言う。
けれど、俺には彼女が好んで夜の仕事に就いているとは思えなかった。
公園で微笑んでくれた彼女は、男といる時も出勤途中も楽しそうには見えなかった。男といる時は笑っていたけれど、顔だけで心から笑っている風には見えなかった。
キャバ嬢なら話しかけてくるだろうと言うと、忘れ物を見過ごせなかっただけで、算盤を弾いてしっぽりしけ込むような世知辛い職業の奴が、お前みたいな凡人に時間を割くわけないだろう。と、友人は呆れている。
彼女に固執していることが友人には理解し難いらしいけれど、それは俺も同じだ。
たまたま行った公園で、たまたま忘れ物をして、たまたま彼女に声を掛けられて、たまたま会ったら会釈をして。
全てモダリティ表現が頗る似合う取り留めも無いことだ。
けれど、公園に行くことよりも彼女に会うのが楽しみだったようだ。
そして彼氏か客かも分からない男が、彼女と腕を組んで歩いていたことに嫉妬している自分に何より驚いた。

今俺は彼女の勤めているであろうキャバクラの店の前にいる。
金も何かしらのアドバンテージも無い凡人だと、友人に言われたからでは断じてない。会社では燻ぶっている自覚はあるけれど、金が無いわけではない。その代わり大した趣味も派手な関係もないけれど。
とりあえず、彼女に話があるので彼女を指名する。
テーブルに来た彼女は俺を見て息を呑み視線を彷徨わせる。その姿は公園での彼女を思い出させた。
案内してきた黒服や周りに不審がられないように、ニールダウンして挨拶を済ませ座ってお酒を作りだす。
彼女は他愛もない話をして、俺も他愛もない返答をする。彼女は人気があるらしく、俺を含めた複数のテーブルを行き来する。
キーストーン種のようにパイを奪い合う客のエンゲル係数をプレ値へと高めている。
何度か営々繰り返した後、アフターってあるんですよね、お願いしたいんですけど。と、俺は切り出した。
俺の声が低かったからなのか俺と店の外で話すのが嫌なのか、彼女はビクッとして俯く。
明日公園に来ていただけませんか。と、周りに聞こえないような小さな声で言うものだから、分かりました、12時半に待っています。と答え、会計‐チェック‐と伝える。
紛らわしい嫌がらせでも態とらしい挑発でもなく、万事お繰り合わせの上で店を出た。

暇な時期に感謝して半休を取り、公園でベンチに座り彼女を待つ。
昨日、アフターが叶えば渡すつもりだった紙袋が鞄の中で存在感を放っている。
待ち合わせ時間より少し早く彼女が現れた。恰好は俺の知っている彼女ではあるけれど、態度は挙動不審そのものだ。
彼女が話し出す前に、どうぞ。と、言って紙袋を差し出す。彼女は迷いを見せながらも紙袋を受け取ってくれた。
形と重さから中身が何なのか予想が付いたようで、驚いている彼女に、必要なんですよね。と、言って立ち上がり歩き出す。待ってください。と、彼女は焦っているけれど、糸目は付けない俺の用件は済んだ。
返さなくていいので。貴女にあの場所は似合わない。それで貴女の似合う場所に行ってください。と、彼女が何か言いたげに口を開く前に、嫉妬心を悟られないように振り返らず、彼女を置き去りにして公園を後にした。

それから数日経っても音沙汰は無い。彼女は公園に来ないし、俺も店には行っていないから当然だけれど。
公園に行くことがもう習慣になってしまっていて、彼女に会えないことがこんなにも物悲しい気分になるとは思いもしなかった。いつまで経っても彼女の顔を忘れられないし、事の顛末を話したら友人には、面の皮が厚く騙されたんだろう。とか輪を掛けて言われるし。別に騙されたわけではない。俺が語彙力の欠片も無く押し付けただけの、試合に勝って勝負に負けた状態。
ベンチに座って色々と答えの出ない考えを巡らせるだけの昼休みが終わる。深い溜息を吐いて飲み終わった缶コーヒーを捨て歩き出せば、後ろから声を掛けられた。
聞き覚えのある声。熱望していた声。聞いただけで幸甚に感じる声。
御生憎様ですが、今日は鞄を置き忘れてはいませんよ。なんて、振り返りながらも意地を張ってみる。

普通のキャバクラを表向き装っていた店が、実は裏で渡世名が飛び交う違法な営業をしていたり。
蛇の目がノリノリでホバリングしながら逐次策謀して、色恋沙汰で甘い汁を連綿吸っていたり。
譫言に魘されてもミーム化が覚束無くても、荒ら屋を叩き起こし猫跨ぎをどやして。
関の山の森林限界を俺の差し金で一喝したかったけれど、爆誕させた怒髪天で猫糞されて。
しかし無類のナレーションベースの中、元勲が勘当をして決を採り黒山の人だかりで摘発。
身の破滅を原文ママに逮捕して、ケセラセラとオマージュすることは無く弱体化。
逃げているのではなく望むところと戦っていた先で、菩提寺の精進料理によばれよう。

6~12時が吉で12~18時が凶の先勝か、
6~11時と13~18時が吉で11~13時が凶の友引か、
6~12時が凶で12~18時が吉の先負か、
一日中が凶の仏滅か、
一日中が吉の大安か、
6~11時と13~18時が凶で11~13時が吉の赤口か、
六曜どれにヒッチハイクされようとも、ほらまたすぐそうやって。
欲と二人連れが失当であっても、雲外蒼天ならば至宝のフィヨルドだ。

彼女の存在を見付けて目が合って少し微笑んで会釈を交わす。
肝を潰してもいつも通りなのは彼女がいるから。
しかしながら、いつも通りのそれだけではない。
直接会って話すなんてセオリーなフラグは、相殺されずに増大して低く見積もっても最高だ。
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