掌編小説集

640.襲の色目‐ビオトープ‐

象嵌のように皺を刻み込んでいるあろう眉間を指で押さえながらほぐし
淀んでしまっている体中の空気を入れ替えようと深い溜息を吐いた

多忙を極めて疲れ切っていても家には裏打ちすら持ち帰りたくはないから
再起不能にならないのは帰れる場所という抜け道と彼女という逃げ道のおかげ

棲み分けられるのも太刀打ち出来るのも目地のように繋いで白湯のように染み込んで
波乱を退散させ変異と縁を切らせて盤石な組成で吉報を齎し掻き消してくれる秘訣

おかえりと出迎えてくれた彼女をただいまと言ってそのまま抱き締める
いまいち状況がよく掴めていなくて戸惑っているのが身体越しに伝わってくる

少しだけこのまま居させてくださいと体重をいくらか預ける形になりながら充電中
躊躇いはなくそれでいて慣れないぎこちない手つきで抱き締め返してくれる

彼女の温かく心地良い体温のぬくもりに張り詰めていた体も心も解れて力が抜けて
深呼吸をするようにゆっくり息を吐くと鼻腔を擽る彼女の匂いに思わず首筋に唇を寄せる

慣れませんか?
ビクッと体を震わせる彼女のいつまでも初々しいこの反応には悪戯がとても捗りそうだ

得られる安堵と満足感それと同時にもっと欲しくなる欠乏感の火種
触れてからその傾倒さ故に戻れないと知るのは暗黙裡だけれどもう戻れなくていい
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