掌編小説集

658.先刻承知の触れ得ぬ諸般の事情を推認しても従容で認諾して三文役者の朗笑で空集合を掠め取ってやる

忙しいという彼女とはしばらく会えていない
たまたま会った彼女の同僚に聞くと特段忙しくはないようで
何故食うや食わずなムーブで嘘を付いているのか分からない

ただ疲れている顔をしていると彼女の同僚から聞いて
素知らぬフリをして気分転換にとデートの約束をして
電話越しの声はいつもと変わらないようで安堵して
待ち合わせをしたけれどいつまで経っても現れなくて
電話をしても繋がらなくてメールをしても返事がなくて
急な仕事でも入ったかと思って職場に確認してみても当然休みで

心配になってとりあえず家に行ってみると彼女は壁に寄りかかっていた
駆け寄って声をかければ深く眠っているようで揺すっても起きない
眠りこけて約束をすっぽかすことは初めてだと思いながら部屋を見回せば
机の上には空になった錠剤のシートと度数のきつい酒

一瞬で血の気が引いていく
眠っているのではなく意識を失っている
よくよく見れば呼吸も浅くて小さい
頭が真っ白になって目の前が真っ暗になって
そんな絶版になり得るコントラストを必死で抑えて救急車を呼ぶ

一命を取り留めた彼女の顔を見つめる
病院では一見自殺未遂に見えることから
常習性が無いか常用していないか聞かれたけれど
酒はともかく睡眠薬なんか見たこともなかった

ヤモメが創設した猟奇的で冒険活劇のような人生
アンチヒーローのような検閲的な仕事
マッハの体当たりですっ飛んでいき
常にクライマックスをライフワークにして
絶頂期のブームの大合唱を吟味して厳選
道ならしに悶絶するような奥の手を使ってでも
鈍臭いシリーズへマストに軍配を上げる

そんな堪忍袋の緒が切れそうでも
彼女は着実にこなして上り詰めている
そんな彼女が前後不覚で飲み合わせを間違えるなんて

けれど間違えたのではなかったとしたら
彼女に限ってそんなことはないと思いながらも願っていた
俺の知らない彼女を知りながら生きていく
彼女の知らない俺を教えながら生きていく
二人で生きていきたいと俺が言ったら彼女は分かったと承諾したから
彼女の異変に気付かなかったなんて現実を受け入れたくなくて

「デート楽しみにしているって言ったからさ寝なきゃなーと思って」
目覚めた彼女がただ寝たかったからとあまりにもあっさりと
「飲みすぎただけでしょこれからは気を付けるから」
事の重大さを理解していなくて大した事ないと軽く言うものだから
「俺が行くのがもう少し遅かったら死ぬとこだったんだぞ!」
病院という場所も病人という相手も忘れて大声で怒鳴ってしまう
「あー死んだら夢は見なくて済むのかなー」
まるで良いことを思いついたとばかりにニッコリ笑うものだから

育てる前に失って理論的に詰め込み学習をしただけ
感情を取り戻した反動は破竹の勢いで
間違いでも意図的でもないただそうするのが一番効率が良かっただけ
やりたい事をやる前にやるべき事をやらないと
二人で生きていきたいのだから

「夢を見なきゃいいんだろ?夢を見てもここにいるから手を握っているからそれなら寝れるだろ」

「でもデートは?楽しみにしていたじゃない」

「今日はいい俺も寝たいんだだから一緒に寝てくれないか?頼むよ」

「なんで泣いているの?」

「泣いていない眠いだけだ」

「ふーんそっかじゃ一緒に寝ようかな」

椅子に座って手を繋いで少しすれば寝息が聞こえてくる
息を長めに吐いて体の力を抜いて壁に持たれかかる
眠れないと言っていたのが嘘のような安らかな顔で

安心したのか椅子に座ったまま彼女と一緒に寝てしまったようで
目を開けたら手を繋いだままに起き上がった彼女と目が合った
彼女が起きて動いたから俺も目が覚めたけれど寝るつもりはなくて
しまったと思っていると彼女がクスクス笑う

「なんだよ?」

「なんでもないよ」

俺のしまったとばかりの顔が面白くて
そんな雰囲気が楽しくて俺と居るのが幸せで
彼女にとってのを不思議そうにする俺が知る由もない

「ちゃんと夢は見なかったよ」

「そうかそれは良かったな」

俺が居たからだと言って彼女はキスをする
俺が居るだけで良いならば幾らでも居てやるからさ
これから先もずっと隣に居よう一緒に居よう
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