異国のシンデレラ
夜…クルミの容態は悪化した。呼吸は荒く苦しげになり、熱に魘される事もあった。

「二日ばかりは苦しまれるでしょうが、過ぎてしまえば次第によくなられますから」

私邸メイドのバートン夫人の言葉にホッとしながらも、クルミが苦しそうにする度に私まで苦しくなる。傍で手を握り、髪を撫で口付けて、暖めるように抱き締めて眠る…。私に出来るのはその程度だ。
サイクスもバートン夫人も、クルミの風邪の原因はやはり慣れない土地だからではないかと言う。緊張が疲れに変わってしまう事は珍しい事ではなく、やむを得ない事だ。しかしクルミが苦しむのだと思うと居たたまれない。
私が代わってやりたいと祈ってしまう。

「熱は下がっているな」
「ん……ごめんなさい…寄らせてもらうだけだったのにもう二泊も…」
「気にしなくていい…君なら永住してくれた方が私は嬉しいよ」
「ありがとう…ウィリアム」

次第に熱は下がっているが、相変わらずクルミは苦しげだ。
私は日がなクルミと過ごし、献身的に看護した。だが…外の吹雪は止み、銀世界が広がるだけになっていた。吹雪の魔法が溶ける…クルミが全快してしまったら…私の黒揚羽は、飛び去ってしまう……。


「ウィリアム、伯爵夫人がお見えだ」
「いないと伝えろ」
「そうだと思って、出掛けていると丁重に断っておいた」

何時間かおきに伯爵夫人とミスフォーティアから連絡があるらしいが、バートン夫人もサイクスも断り続けてくれている。クルミとの貴重な時間を邪魔されたくない。漸く得られたクルミの全てから、片時も離れたくはないのだから。

「用件はヴォルフ伯爵のパーティーの事だろう…パートナーにミスフォーティアをとでも言いたいんだろうな」
「生憎もう決まっている…伯爵にはこれから話すつもりだ」
「それがいい」

クルミが眠ったのを確認した私は伯爵に連絡を取る事にした。伯爵夫人からの手が回っている事はわかっていたが、何としても押し切るつもりだ。
父に久々に電話をした。

『誰かと思えば放蕩息子か』
「ええ、出来の悪い息子で申し訳ないが」

電話の向日からはくつくつと喉奥で笑う音が響く。

『東洋の娘を囲っているそうだな』
「囲っているのではありません、愛していますからね」
『そのようだな。伯爵夫人は酷く言っていたが、お前は物珍しさだけで手を出す莫迦ではない』
「伯爵、パーティーのパートナーは彼女に決まっています」

疎遠にしてはいるが、やはり父は母よりも私と言う人間を理解してくれているらしい。それだけで安堵出来た。

『見当は付いていた。お前の人生だ…お前のいいようにすればいい。きちんと紹介だけはしてくれ』
「わかっていますよ。彼女は旅行者で、一ヶ月の長期休暇で語学力向上を目的に渡英しています。日本ではデパートメントのカスタマーデスクに就いていましてね」
『ほぅ…』
「うちのホテルでは支配人がシルバープレートを掛けるほど世話になりました」
『そうか』

父もきっと気に入るはずだ。私のクルミに一度会えば。

「奥ゆかしく美しい…私の黒揚羽です」
『お前もそんな事を言うようになったのだな』
「伯爵夫人とミスフォーティアには私からきちんと断ります」
『私からも伝えよう…フォーティア家は我がヴォルフ家との繋がりが欲しいだけだ』
「ありがとうございます…お願いします」
『ではパーティーで』
「はい」

父は理解してくれた…会えば気に入るに決まっている。サイクスにも話の内容を伝えた。クルミの人となりを知っているだけに、寧ろ強く彼女を押した。



パーティーはロンドンの父の邸宅で行われる。クルミには何とか承諾を得て、パートナーとして出席してもらえる事になり、ドレスはあの日に着た純白のものを選んだ。
パーティー前日には体調も戻っていた事に安堵しながら、バートン夫人に髪のセットを頼んだクルミが現れるのを今か今かと待っていた。

「お待たせいたしました…最高の芸術に仕上がりましたよ」

バートン夫人に手を引かれて現れたクルミは…あの日よりもずっと美しい姿をしていた。

「ああ…クルミ」
「…やっぱり…恥ずかしい」
「美しいよ…」

アップにされた髪のサイドは残されたままさらりと揺れ、トップは華美な髪留めで一つに纏められている。胸元はネックレスが飾り、耳には揃いのピアス。ヒールは履き慣れているようで、立ち姿に不安はない。
サイクスも絶句する姿に満足していた。

「行こう、クルミ」
「はい」

サイクスの運転するリムジンの中で、何度も触れるだけのキスを繰り返し、一時間ほどで伯爵の邸宅に着いた。
賓客ばかりが目立つ場は嫌いだが、クルミを伴っているだけで見せびらかしたくなる。
案の定、クルミは注目の的だった。こうした公式の場に東洋人は珍しい。しかし我々にすれば艶やかな黒髪は羨望に値する。緩やかなウェーブヘアを嫌う女性は定期的に美容室に通い、矯正しなければ保てないそれを生まれながらに持っているのだから。

まず一目散に伯爵の元に向かう。

「伯爵」
「ウィリアム、そちらが噂に聞く東洋の蝶か…」
「クルミ、私の父だ。伯爵、彼女が昨日話したミス遠野です」
「お会い出来て大変光栄だよミス遠野。エドワード・ギル・ヴォルフだ」
「お初にお目にかかります…ヴォルフ伯爵」

丁寧に挨拶をする姿に伯爵が満足げに頷いた。

「私の祖母のドレスか…まさか着られる者がいるとはな…。半世紀前の代物とは思えないな」
「ええ…とてもよく似合ってる。まるで彼女の為のものだ」
「お前の審美眼には敵わないな」
「ありがとうございます…伯爵」

バートン夫人に教わった礼もつい先ほど覚えたようには見えないくらいさまになっている。

「ミス遠野」
「はい、伯爵」
「手に負えん時もあるよもしれんが、放蕩息子をよろしく頼む」
「え……?」
「ミス遠野をウィリアムの婚約者に…私が薦めよう」

伯爵の言葉に周りはざわめく。伯爵が認めたのだからそれも無理はない。今までいくつも見合いをさせられたが、伯爵自ら婚約者に勧めるような女性はいなかった。

「あなたっ」

それを聞きつけた伯爵夫人はミスフォーティアを伴って現れた。双方怒り心頭だが、もうどうにもなるものではない。

私がどんな見合いにも良い顔をしない上、エスコートするにも仏頂面なのは爵位をもつ家柄の者ならば周知の事実だ。

「どこの生まれかもわからない娘を婚約者ですって!?ウィリアムにはにはミスフォーティアがいるではありませんか!」
「フォーティアには断りの連絡を入れてある…私からもウィリアムからもな。きちんと了承は得たはずだが?」
「私は聞いておりませんわ!勝手に話を進めないで下さいまし」
「ミスターヴォルフ…私の何がいけませんの?」
「私がクルミを愛しただけです。あなたに非があるわけではありません」
「では…私とその東洋人の一体何が違うと言うのです!?」
「全てですよ」

私の言葉にミスフォーティアが怒りを露わにしながらも黙り込んだ。

「さてウィリアム、ミス遠野と一曲見せてくれ」
「はい、伯爵」

場の空気を変えようと、伯爵がオーケストラに指示をする。流れ出すのはあの日、二人きりで踊ったワルツ。

「さぁ、クルミ」

クルミをエスコートして歩き出せば、人が道を開ける。ステップを踏み始めれば、聞こえるのは感嘆の息。
伯爵夫人ですら怒りを忘れて視線を送るのが見えて、私はクルミを誇らしく思えた。

「ミス遠野、私とも踊って頂けるかな?」

こちらを見たクルミに頷いてやれば、華のように微笑んで伯爵の手を取った。暫く踊ると、伯爵が私に視線を送りクルミを返してくれる。これでクルミは公認されたも同然だ。伯爵夫人は伯爵と踊りながら何事か話し合っているようだ。どうやら諦めたか、深い溜息と共に会話が終わった。

踊りの輪から離れた伯爵夫人にミスフォーティアが駆け寄るが、伯爵夫人は申し訳なさそうにするだけで、詰め寄られても怒りは見えなかった。

「クルミ、愛してるよ」
「ウィリアム……」
「母も君を認めたようだ…ミスフォーティアに断りを入れている」

視線を送ればミスフォーティアは伯爵夫人に掴み掛かるように喚いていた。
複雑な面持ちでクルミは二人を見ていたが、ミスフォーティアの悲鳴に顔色を変えた。伯爵夫人が押さえた口元からは鮮血が溢れ、崩れるように膝を付く。その血をドレスに浴びたミスフォーティアは狂ったように叫んだのだ。

「伯爵夫人!」
「ステラ!」

伯爵と私が駆け寄るより先に…クルミは動いていた――。

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