仄甘い感情
「神崎さんは訳もなく怒るような事は絶対しませんよ」
「わかってる!」

女絡みでこんなに苛立つ事のなかった尚嗣に、長谷部は深い溜息をつく。

「…望んだ蜜月は過ごせたんでしょう?」
「最終日まではな」
「ではその日、朝からの神崎さんとの会話をよく思い出して下さい」
「………」

ハッとした尚嗣に長谷部はまた溜息をつく。

「思い出しましたね?」
「……啓太と百合を…島袋夫妻に任せた」
「さぞかし喜んだでしょう?あのご夫妻は子供が欲しくても出来ませんでしたから」
「絢女は…せっかくだから一緒に、と…だが…」
「…あちらが立てばこちらが立たず、ですね」
「……邪険にしたつもりはない…」
「私はわかってますよ。島袋夫妻への気遣いでしょう?」
「………」
「だったらそれを話すだけでしょう?神崎さんだって理解してくれますよ」

偉丈夫のしゅんとした姿に、長谷部は苦笑いして見せた。

「今日は花の金曜日ですからね。定時には上がって下さい」

神崎さんと一緒に、と付け足した長谷部は、社長室を後にした。その足で絢女を探しに向かったのだ。

「あ、長谷部さん」
「今日は定時でいいですよ。社長がご機嫌斜めですから」
「…そうですか」
「神崎さん、一つ訊いてもいいですか?」
「はい」

長谷部は絢女を自販機前のベンチに連れてきた。

「沖縄で社長…尚嗣と何かありましたか?」

長谷部が【社長】ではなく【尚嗣】と呼ぶ事で、それが私語である事を察した。

「…あの……社長はホントはどう言う人、なんでしょうか?」
「…と、言うと?」
「…うまく、言えないんですけど…どんな人なんだか、わからなくて…」

表情を曇らせて肩を落とす絢女は、彼女なりに何か尚嗣の事で思い悩む節があるのだろう。

「多分…神崎さんが見てきた通りの男ですよ?でも、神崎さんに出会ってからは少し変わりましたね」
「ぇ……?変わった、んですか?」
「これまでの尚嗣にしてみれば百八十度の変化です」
「…例えば…どんな?」

「そうですね…あれで少し丸くなりました。当たりが柔らかくなった感じですね」

缶コーヒーを手渡すと、長谷部は絢女の隣に腰掛けた。

「何に対してもソツや隙のない男なんですよ、尚嗣は。根回しや目的を果たす為にはどうすればいいか…そう言う計算はかなり早いですね」

やはりそうかと思ってしまう。

「でも…まるで中学生のようにウブになりましたね」
「…は?」
「触れるだけのキスをした翌日、莫迦みたいに機嫌がよくなったり、少し揶揄っただけで赤面したり」
「え…?」
「穏やかになりますよ、その相手と一緒にいる時は。尚嗣の基本スタンスは一対一です。相手の家族と親しくなるなんて、手段の内には数えません。後々切る事を考えたら面倒ですからね」

冷酷にも思える長谷部の言葉だが、それは絢女との関わりを考えれば…。

「基本的には高級志向な尚嗣が自宅で誰かの手料理や、そこいらのスーパーで売っているものを口にする事なんて絶対ありません」
「…それ……」
「ましてやボードゲームをわざわざ買いに行った上に、一緒に遊ぶなんて…想像出来ませんよ」

苦笑いする長谷部に、絢女はぐるぐると今日までを反芻する。

「わざわざ島袋夫妻に会わせたりする事も、気が狂ったとしか思えませんね。尚嗣の育ての親ですから」

その話は知っている。二人の弟妹をとても可愛がってくれた。

「昔…ご夫妻が迷子を保護したんですが…逆に誘拐で訴えられて裁判沙汰になったんです」
「え!?」
「ご夫妻は本当に保護して警察に連れていくつもりだったのに、裁判では子が欲しくても出来ない事まで調べ上げられて…今年、やっと執行猶予が切れたんです。尚嗣はご夫妻に弁護士を手配したり…駆け回りましたよ。ご夫妻は失意に上告しなかったんです」

沖縄に移った理由にはそれも含まれていた、と…長谷部は表情を曇らせた。

「尚嗣は横暴で冷たくも見えますが、あくまで表面だけの事です」
「…はい…知ってます」
「まだ…尚嗣は戸惑ってるんでしょうね」
「……?」
「計算高いあの男が、根回しも出来ていない。神崎さんが絡むと、何もかも行き当たりばったりすぎですから」

微笑ましげに長谷部が絢女を見た。

「神崎さんに好かれる方法が、全くわからないんですよ。プライドも天より高いですからね、格好悪い姿を見せたくない。自分の一番自身のある姿でしか、神崎さんにセマれないみたいで」
「っ」
「まるで格好付けたがりの中学生でしょう?尚嗣の初恋は間違いなく神崎さんですよ」

空になった缶をゴミ箱に入れた長谷部はゆっくりと立ち上がる。

「少し真剣に…考えてやって下さい」

それだけ残して、長谷部は背を向けた――。

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