上司のヒミツと私のウソ
 別れてから、はじめて誘われた。しかも“裏”の矢神に。

 たったそれだけのことでどきどきするほど喜んでいる自分を、ばかみたいだとおもう。

 でも、このまえ安田に指摘されてから、何度も自分の気持ちをたしかめてみた。

 その結果、自分で自分をごまかすのは、これ以上は無理だという結論に達した。


「気にするな」

 ふいにいって、矢神は振り向いた。


「俺も、入社した当初はあいつらがなにをいってるのか、さっぱりわからなかった。安田も最初のころはよく愚痴ってた。あんただけじゃないから安心しろ」

 いうだけいうと、矢神はまた前を向いて私のことなどおかまいなしに早足で歩き出した。

 私はときどき小走りになって、矢神との距離を縮める。人通りの絶えた夜道を、駅までそうやって二人で歩いた。


 私は矢神が好きなんだとおもう。


 でも、今の矢神は私のことを部下としか見ていない。

 本人にはぜったいに知られたくないとおもった。
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