上司のヒミツと私のウソ
「あのころの俺は、本当に世間知らずな甘っちょろい偽善者だった」

 矢神はもう私を見てはいなかった。屋上の金網の向こうに続く白っぽく霞んだビル街の、さらにその向こうを見つめている。

 例によって表情は読み取りにくい。でもその横顔には、とまどうような葛藤が頬の影に潜むように張りついている。

 それは、矢神がこれまで一度も、表に出して見せたことのないものだ。


「俺が兄の代わりになれば、親も親戚も病院の連中もみんな幸せになれると信じていた。隼人が病院の仕事に就くことをあきらめていないと知ったときは、自分の浅はかさに気づいて心底呆れたもんだ」

 自嘲気味に唇の端で笑い、矢神は目を伏せた。

「急に周りからちやほやされて、のぼせていたのかもしれない。冷静に考えれば誰でもわかることなのに、俺にはなにも見えていなかった。自分が正しいことをしていると信じて疑わなかった」


 矢神は当時の自分を恥じている。いまも後悔しているのだ。離れて座っていても、その心の揺れが伝わってきた。
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