上司のヒミツと私のウソ
 彼は私が背中に注ぐ熱い視線に気づくはずもなく、くしゃくしゃの髪を気だるそうにかき上げ、革ジャンのポケットから濃紺の箱を取り出した。


「うまいもん喰わしてくれるんだろうな」

 男がつっけんどんな口調でいう。咥えているのは両切りピース。


「もちろんですよ。まあ期待しててください」

 厨房のひとはその男性客の来店がよほど嬉しいと見えて、さっきから笑いっぱなし。笑うと若く見える。意外と三十は超えていないのかもしれない。


「しかし、三年前まで仕事もせずにブラブラ遊んでた男が、よくこんな店もてたな。借金か?」

「ええ、まあ。貯金も少しありましたし。といってもほとんどリツのもんですけどね。へっへ」

「律子さんはいないのか?」

「駅前にチラシを配りに行ってますよ。あ、もどってきた」

 カラカラと格子戸が鳴り、さっき出て行った女性が両手をこすり合わせるようにして店の中に入ってきた。


「あら、矢神くん。元気だった?」
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