上司のヒミツと私のウソ
「弟が彩夏に惹かれたのは、自分と同じように彼女が孤独だったからです。でも、あいつは彩夏の中に自分の影を見ることが我慢できなくなった。あなたもきっとそうなります。自分の孤独からも目を背けているあなたに、あいつの孤独が正視できるはずがない」


 それは、ずっと前から、私が子供だったときから、誰にも知られたくないとおもっていたことだった。そのことに、たったいま気づいた。


「あなたには、あいつの孤独は埋められませんよ」


 私はなにもいえなかった。こんな言葉を突きつけられても、まだ怒りが湧いてこない。胸を占めていたさまざまなことがすーっと遠ざかり、消えていく。


 私は席を立った。店は混雑しはじめていた。飲み物にも食事にも手をつけず、黙って店を出る。

 冬を目前にした空は早くも光を失い、身を切るような風が路地を吹き抜ける。


 大通りからは、少し浮かれた日曜の夜のざわめきが聞こえてきた。私は人通りの少ない裏道を選んで歩く。


 私には、矢神の孤独を埋められない。


 さまざまなことが消え去ったあとの胸の中は、がらんどうだった。暗くて静かでなにもない空間のまん中に、その言葉だけが、青白い炎のように揺らめいている。
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