上司のヒミツと私のウソ
「別に。送別会が始まったらめちゃくちゃになりそうだから、酔う前にいっておこうとおもって」

 私はなんと返事をしていいかわからない。

「電話してもいい?」

「あたりまえでしょ」


 友達なんだから、といいかけて、急に恥ずかしくなった。私は冗談ぽく「安田は私のライバルだしね」と、ごまかした。

 安田は「そうだね」と答えながら苦笑している。私が台詞をいい換えたことに、気づいたようだ。やはり安田は目ざとい。


 ふいに泣きそうになる。素直に「私こそありがとう」といえない自分がもどかしい。でも、安田はそんなことさえ当然のようにわかっている気がした。

 私は「がんばってね」と短くいい残し、非常階段をかけのぼった。





 矢神は屋上でいつものように煙草を吸っていた。

 空はすでに光を閉じ、薄い藍色に塗り替えられている。屋上を渡る風は鋭く突き刺さるようで、私は上着の襟をかきあわせて身震いした。
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