上司のヒミツと私のウソ
「もう行かないと」

 パイプ椅子の背中に声をかけると、矢神は煙草をくわえたまま振り返り、「ああ」とうっとうしそうにいった。


「行きたくないんですか、送別会」

「あたりまえだ」

 目を凝らすと、暗がりで矢神が煙草を噛むように顔をしかめているのがわかる。

「安田の送別会だぞ。絶対、朝まで付き合わされるに決まってる」


 私はつい笑ってしまった。

 嫌なら断ればいいのに、矢神はなんだかんだいって、結局いつも安田に付き合ってしまうのだ。口ではそういいながら、案外、楽しんでいるのではないかとおもう。


「ロビーの広告展、もう見ました?」


 私は矢神の隣にある、もうひとつのパイプ椅子に腰掛けた。

 隣から流れてくる煙の匂いを感じても、あまり気にならない。本気で始めた禁煙はもう一年近く続いている。


「いや。別に見たくもないけど」

「えっ、なんで?」
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