上司のヒミツと私のウソ
 地上十階の高さにある屋上は吹きさらしで、突風が途切れない。

 普段きちんと撫でつけられている矢神の髪は、風に乱れてボサボサになっていた。表のとき必ずかけているメタルフレームの眼鏡は、今は外している。

 矢神は煙草を咥えたまま一瞬ちらっと横目で私の存在を確認し、なにも見なかったようにまた視線をもどして林立するビル群を見下ろした。


 あの眼鏡は伊達らしいと最近ようやく気づいた。


 ここで煙草を吸っているときの矢神は別人のように無口で無愛想で、見るからに柄が悪い。同じ高級ブランドのスーツを身につけていても、どこかうさんくさいというか、違う職業の人に見えてしまうから不思議だ。

 裏のときの矢神には、スーツよりもやっぱり革ジャンが似合うとおもう。


 一本だけ吸って退散しようとおもっていたのに、つい二本目に手を出してしまった。

 いまにも雪が降ってきそうなこんな極寒の日でも朝から煙草を吸わずにいられないなんて、かなりまずい状態だ。


 ミサコちゃんにいわれるまでもなく、これまで何回も心に誓った。

 衰えていく肌を鏡で確認するたびに、今度こそ煙草をやめようと。でも、無理だった。煙草を吸っているときは肩の荷が下りるというか、閉じ込められていた窮屈な箱から抜け出すような、いいようのない解放感に包まれる。


 私には、“煙草を吸ってもいい私”がどうしても必要だった。
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