上司のヒミツと私のウソ
 ちらりと横目で矢神の姿を視界におさめる。

 このひとも、ひょっとして似たような気持ちで煙草を吸っているのだろうか。


 そんなことをぼんやり考えていたら、矢神のふてぶてしい顔がこちらを向いた。あわてて目をそらす。


「時間だぞ。いつまで吸ってる」

 苛ついた低い声が飛んできた。はっとして腕時計を見ると始業時刻の三分前だ。私は慌てて吸い殻を始末する。


「いいかげんにしとけよ」

 非常口に向かおうとしたとき、矢神の詰るような言葉が聞こえてきた。


「吸い過ぎだろ、どう見ても。女のくせに、人前でよくそんなに遠慮なく吸えるな」

 はあっ? なんですか、それ。

 私は本気で呆れてしまい、しばらくその場で固まっていた。


 裏の矢神はいつも不機嫌な態度でえらそうに振る舞うけれど、今朝はひときわ機嫌が悪い。そして本人はもうそしらぬ顔で非常口に向かっている。


 なんだか、頭にきた。


「ひとのこという前に自分はどうなんですか。それに『女のくせに』はセクハラ発言ですからね。気をつけたほうがいいですよ、矢神課長」

「心配していってやってるんだろうが。上司の忠告は素直に聞き入れたほうがいいぞ、西森」


 私は大股で中央のフェンスまで進み、金網の向こうの矢神を勢いよく睨みつけた。

「心配してくださらなくても結構です。自分のことは自分で管理できますから。課長と一緒にしないでくださいね」
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