とけていく…
「お前の私を見る目に答えてこられなかった負い目かな。由里が死んでからどうすればいいか解らなかった。だから、私は仕事に逃げてしまった。仕事が、お前との距離を作ってしまったのにな」

 静かな病室に、とても冷静な口調が真っすぐと彼の耳に届いた。涼は、義郎の目を見ることができなかった。

「お前のピアノをずっと聞きたかった。お前のピアノを聞いて、お前の成長を見守らなければ、絶対後悔するだろうって思ったんだ。だから、もし病気でなくても、仕事は辞めようと思ってたんだよ」

 親が子に手を差し伸べることは簡単なはずなのに、どうしてうちの親父はしてくれないのだろう? 涼はいつも思っていた。追いかけても追いかけても追いつけない。その大きな手にさえも触れない。そんな父親が、やっと少しだけ振り向いてくれた、と涼は思った。

「…親父」

「ん?」

「俺、ちゃんと一人前になるから」

 涼の言葉を聞いた義郎の眼差しは、彼の身体に貫いてしまうほど強く、真っ直ぐなものだった。

「当たり前だ」

 ふと笑い、義郎の拳が涼の脇腹を突いた。その力が思うよりも弱く、いたたまれなくなる。

 義郎とこんな風にゆっくりと向かい合って話などしたことなかった。ゆっくりとした時間が、彼らの間に流れていた。これから"終わりまでの時間"を過ごすのだが、それは長いのか、短いのか。涼には、まだわからなかった。
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