とけていく…
『一九七二年にキケロが初来日した時、私はお前くらいだったな。あの頃は、ラグビーばっかだったが、橋本にキケロのレコードを借りて以来すっかりファンになってな。橋本の親父さんに無理言って、コンサートのチケットを譲ってもらったんだ』

 義郎のあの言葉が頭の中を巡っていた。父と一緒に聞きたかった音楽を、彼はこの春に聞くまで忘れていた。由里に聞いてもらうことで、彼は父への思いをいつしか心の奥へと閉じ込めていたのだ。

 しかし、今はどうだ?

 彼の目の前には、自由があった。それは、誰にも止められない自由だった。

 音楽は、どんなものでもいい。自分を素直な気持ちにさせてくれるものであれば…

 吹っ切れたように、彼の軽い指先は動いていた。彼は彼自身の夢に向かって走り出していた。するとその瞬間に、自分が抱えていた思いが、滝のようになだれ込む。

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