とけていく…
「ちょっと、涼くん、何よ、さっきの。話が違うじゃない」

 控室の前で帰ろうとする涼の元に、ものすごい大股で真由美が飛んできたのだ。

「ハハハ… すいません…」

 彼は頭を掻きながら謝ったのだが、彼女の顔は、全く納得していない様子だった。先ほど、優勝者の表彰式も終わり、出場者達が次々と帰って行くその流れの中で、彼らは向かい合っていた。彼は後悔などしていなかった。むしろ、達成感でこのホールに到着した直後の時の表情とはまるで別人のようにしっかりと地に足をつけていた。そんな彼の顔を見て、真由美はあからさまに溜息を吐いた。

「…でも、あなたの弾くジャズ、初めて聞いたけど、なかなかよかったわよ」

 真由美の諦め顔に、涼は微笑み、うなずいた。

「あぁ〜、もうひとつ大仕事が残ってるのよね〜」

 恨めしそうに真由美は、涼の顔を見る。涼は、ピアニスト橋本真由美の推薦で出場したのだ。さっきの演奏で、彼は彼女の顔を潰したことになる。

「ま、いっか。もう一人の方がちゃんと優勝したし」

 真由美は、ウィンクして笑った。

「鳥海くん」

 突然呼ばれ、涼は辺りを見渡した。

「お、噂の彼だわ。んじゃ、あたしは行くからね」

 真由美はそう言って手を振りながら、エレベータの方へと歩いて行った。彼
女の後ろ姿に一礼すると、彼はゆっくりと振り返った。

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