とけていく…
 電車を降り、しばらく歩く。着いた所は、もちろん自宅ではない。彼は再び、ドルチェの前に立っていた。

 店の前まで来て、彼はドアを開けるのをためらっていた。またあのピアノを見たら、自分がどういう行動をしてしまうか、予想もできなかったからだ。しかし、中に入らなければ、用事はいつまでも終わらない。涼は、恐る恐るドアを引いた。

 カランカランと鈴の音がなり、客の入店を知らせる。すると、カウンター越しに、あの優しい目を向けたマスターが「いらっしゃいませ」と言った。

「こんにちは」

 頭を軽く下げながら言う涼の声は小さかった。しかし、マスターは変わらないその暖かい目で涼を迎えていた。

「これ、長い間お借りしちゃって…。ありがとうございました。じゃ…」

 キケロのCDをカウンターに置き、涼は踵を返しドアノブに手を掛けようとした。

「ま、座りなよ。今、美味しいのいれるから」

 カウンターの席を促すマスターに、涼は少し迷ったのち、彼の真ん前の席に腰を下ろしたのだった。

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