【完】「逢ひみての」
6
饗庭センセが語った照の話は、麻里菜が聞いた限り壮絶そのものであった。
照には宇和島の幼稚園の頃からずっと心に決めていたミチルちゃんという女性がいた…というのである。
「あいつにとっては初恋で、しかもお互い想い合っとったから、二十年近くつきあっとったことになるんやけどな」
そのミチルちゃんという彼女とは照の芸大時代、京都と宇和島の遠距離のつきあいとなって、当時は夜行バスで照が宇和島へ戻って、逢っていたらしい。
「あの日が来るまでは、やけどな」
詳しく饗庭センセも分からないらしいが、断片的な話を繋ぐと拉致されたあげくミチルちゃんという彼女は集団で輪姦され、その後は山で意識不明のところを発見されたが、
「次の日に亡くなってもうたのや」
それからの照はそれまでの饒舌でよく笑う性質が、まるで変わってしまった…ということを、饗庭センセは聞き知っていた。
「そんなことがあったんですね…」
「せやからあいつ、自分がどんなに好感を抱いとっても、相手を不幸にしてまうかもわからんからって」
気持ちを抑えてしまうことがある、と饗庭センセはいった。
「何の切っ掛けがあったのかは分からんけど、もしかしたら不幸せにしたくない人が誰かいて」
それで照のやつ姿を消したのかも知れん…そういうと饗庭センセは、茶を飲み干した。
しばらくして。
麻里菜はアシスタントからようやく髪を切る立場になり、
「独立した方がいいのかな…?」
と、ちょっとずつではあるが考えていたようで、
「奈良に帰ろうかな」
とも洩らした。
月が改まった。
連休が明けた朝、エマが西陣で新聞を開くと、
「あ、瀬戸口さん」
と驚きの声をあげた。
「ホンマか…?」
ホンマや、と饗庭センセが目を見開いたのも無理はない。
そこには、
「宇和島からハリウッドへ」
という見出しと、照の写真が載っていたのである。
「宇和島の画家が描いた絵傘がハリウッド映画に使用された」
という、頭のくらくらしそうな中身の記事が書かれてあるではないか。
「すごいな瀬戸口さん」
「あいつ、宇和島帰ってたんかい」
饗庭センセは安堵と苦笑いと、多少の怒りとが混ざったような、なんとも奇妙な顔をした。
「でも消息が分かって良かったよね」
まあな、と饗庭センセはこれで少しは新しく何かが開ければ、というような希望的な観測を希求するしかないと感じたようであった。
美容院に久々に饗庭センセが来た。
「あれ…おらんみたいやけど、麻里菜ちゃんは?」
なぜか見渡すと麻里菜がいない。
「独立するからって、こないだ辞めましたよ」
饗庭センセは驚いたが、
「ほな、奈良に帰ったんかなあ」
しゃーないなぁ、と饗庭センセは少し不満げながら、仕方がないので他の美容師に位置から指示を教えるのであった。
一ヶ月ほど過ぎた。
夏が近づいた頃、西陣の饗庭センセの京町家の事務所に、一枚の葉書が届いた。
「出掛けやのに…」
呟いて葉書を拾い上げた。
住所はない。
が。
麻里菜の自署がある。
「なんとか元気に暮らしてます」
といった内容で、当たり障りのない文面が書いてあった。
ふと。
消印を見た。
かすれていたが、よく目を凝らすと「宇和島」の文字がある。
全てを悟った顔をした饗庭センセは、
「…なんや、奈良やなかったんかい」
と苦笑いしてだけいうと、ポケットに葉書をしまって、気を取り直すように格子戸に手をかけたのであった。
(完)
照には宇和島の幼稚園の頃からずっと心に決めていたミチルちゃんという女性がいた…というのである。
「あいつにとっては初恋で、しかもお互い想い合っとったから、二十年近くつきあっとったことになるんやけどな」
そのミチルちゃんという彼女とは照の芸大時代、京都と宇和島の遠距離のつきあいとなって、当時は夜行バスで照が宇和島へ戻って、逢っていたらしい。
「あの日が来るまでは、やけどな」
詳しく饗庭センセも分からないらしいが、断片的な話を繋ぐと拉致されたあげくミチルちゃんという彼女は集団で輪姦され、その後は山で意識不明のところを発見されたが、
「次の日に亡くなってもうたのや」
それからの照はそれまでの饒舌でよく笑う性質が、まるで変わってしまった…ということを、饗庭センセは聞き知っていた。
「そんなことがあったんですね…」
「せやからあいつ、自分がどんなに好感を抱いとっても、相手を不幸にしてまうかもわからんからって」
気持ちを抑えてしまうことがある、と饗庭センセはいった。
「何の切っ掛けがあったのかは分からんけど、もしかしたら不幸せにしたくない人が誰かいて」
それで照のやつ姿を消したのかも知れん…そういうと饗庭センセは、茶を飲み干した。
しばらくして。
麻里菜はアシスタントからようやく髪を切る立場になり、
「独立した方がいいのかな…?」
と、ちょっとずつではあるが考えていたようで、
「奈良に帰ろうかな」
とも洩らした。
月が改まった。
連休が明けた朝、エマが西陣で新聞を開くと、
「あ、瀬戸口さん」
と驚きの声をあげた。
「ホンマか…?」
ホンマや、と饗庭センセが目を見開いたのも無理はない。
そこには、
「宇和島からハリウッドへ」
という見出しと、照の写真が載っていたのである。
「宇和島の画家が描いた絵傘がハリウッド映画に使用された」
という、頭のくらくらしそうな中身の記事が書かれてあるではないか。
「すごいな瀬戸口さん」
「あいつ、宇和島帰ってたんかい」
饗庭センセは安堵と苦笑いと、多少の怒りとが混ざったような、なんとも奇妙な顔をした。
「でも消息が分かって良かったよね」
まあな、と饗庭センセはこれで少しは新しく何かが開ければ、というような希望的な観測を希求するしかないと感じたようであった。
美容院に久々に饗庭センセが来た。
「あれ…おらんみたいやけど、麻里菜ちゃんは?」
なぜか見渡すと麻里菜がいない。
「独立するからって、こないだ辞めましたよ」
饗庭センセは驚いたが、
「ほな、奈良に帰ったんかなあ」
しゃーないなぁ、と饗庭センセは少し不満げながら、仕方がないので他の美容師に位置から指示を教えるのであった。
一ヶ月ほど過ぎた。
夏が近づいた頃、西陣の饗庭センセの京町家の事務所に、一枚の葉書が届いた。
「出掛けやのに…」
呟いて葉書を拾い上げた。
住所はない。
が。
麻里菜の自署がある。
「なんとか元気に暮らしてます」
といった内容で、当たり障りのない文面が書いてあった。
ふと。
消印を見た。
かすれていたが、よく目を凝らすと「宇和島」の文字がある。
全てを悟った顔をした饗庭センセは、
「…なんや、奈良やなかったんかい」
と苦笑いしてだけいうと、ポケットに葉書をしまって、気を取り直すように格子戸に手をかけたのであった。
(完)