美しい月
「何故だ!兄上も連れ帰れと言ったはずだ!」
「それは彼女の意思次第だろう?お前は彼女をハレムの女どころか、日本でだけの行きずり扱いしているに過ぎん」
「違う!本国には俺の離宮の内装変更を指示した!ミツキはハレムではなく、俺と共に宮殿で暮らす!ミツキの香も明日にはサンプルが届く予定で、御印もさっき出来上がったところだ」
「サイード!?」
「俺にハレムは不要だ。ミツキが俺の永遠だ」
「彼女の同意もなしに妻とするつもりか!?」
「王族の婚儀など、互いの気持ちもなく進められる…それなら俺が勝手に見初めても問題はないはずだ」
サイードは憤りながらも平然とアズィールに告げたのだ。
「ここは日本で彼女は日本人だ。シャーラムや我々王族の文化に馴染みも理解もない。ましてアラビア語もわからないんだぞ?」
「習うより慣れろと言う…俺もついている」
「現実を考えろ、サイード。カシム、お前はどうなんだ」
埒が明かない状況に、無言で佇むカシムに話を振った。
「確かに現状では難しいかと」
「カシム!」
「このまま強引にお連れしても、ミツキ様に心労を強いるだけでしょう」
サイードにきつく睨まれても、カシムは考えを告げた。異国に相談相手もなく、言葉もわからない。慣れない文化や言葉と、学ぶべき事の多さに、早晩美月は精神から病んでいくだろう。サイードが最も信頼するカシムであっても、アズィールと同じ意見だ。
「これは友人としての意見ですが…これまでこんなに女性に執着した事はありません。もし彼女にサイードが永遠を信じさせられるなら…私は出来る限り応援したいのです」
「カシム、お前…」
「サイードは強引なところもありますが、一度決めたら曲げないし、必ず貫いてきました。ミツキ様がもっとサイードを理解する事が出来たなら…」
カシムはアズィールよりもサイードを知っている。
「我らシャーラムの男は月を探し、唯一無二の月は、何より慈しみ愛す」
「それは我が国の伝説の恋物語だ」
「ですがサイードですら…ミツキ様に出会って信じてしまったのです」
シャーラムに伝わる伝説の恋物語は、天に輝く美しく慎ましやかな月に恋をした男の話だ。
太陽や他の星々のように輝く事が出来ず、毎夜姿を変える事を嘆く月を男は慈愛した。そんな男が月と暮らしたと言われているのが、サイードの離宮があるアッシーラだと伝えられている。男は百夜を掛けて、月に永遠を誓う。その愛を受けた月はどこで見るより美しいと言われ、アッシーラは今も月の街と呼ばれている。
「…ミツキには理解を求めるつもりだ。愛される為なら、何も厭わない」
アズィールはまた頭を抱えた。S&Jでは美月を憂慮する常務や陽菜が、サイードとは接触させたくないと考えている。だがサイードは本気だ。
だがサイードは美月を王子の妻とする為、本国で正式な求婚の手順は踏んでいる。王族が香を調香させて贈るのは、求愛の証。王族の紋章とはまた別の、個人の御印はそれが王族の妻である証となる。それらが許されるのは、王位継承権第二位までだ。
その上妻の居住区となるハレムを不要とし、離宮を居とするなど…。
「…お前の気持ちはわかった」
「兄上」
「だが彼女やミスターヤマグチらの意思を汲み、案内はやめさせた」
「………」
「私とてお前の恋を邪魔するつもりはないぞ?」
「わかっているさ」
「互いに想いあるものならば、何よりもそれが望ましい。私にもお前の想いを後押ししたい気持ちはあるからな」
実兄の見慣れた微苦笑にただ頷く。
「大切にしたい気持ちがあるなら、彼女の生きてきた環境を理解せねばなるまい。我々の日常は彼女の非日常だ。戸惑いを抱えたままでは、受け入れられるはずの異文化も受け入れ難くなる」
「ではミツキと話す時間が欲しい」
「逸るなサイード。この滞在期間中は堪えて、まず日本の文化や生活を学べ。そうした上で漸くスタートに立てる。ミスターヤマグチらには私から話しておく。だが彼女にはお前から話せ」
拭えぬ焦りはあるが、わざわざ間に立ってくれた兄を立てる為、サイードは兄に従う事にした。
美月はサイードに出会う前の生活に戻った。あれからサイードが接触して来る事もなく、本当に戻ったのだと理解したが、夜は何度も目が覚めた。
【俺の美しい月】
耳元に囁かれた感覚と、サイードの香りがするような気がしてしまう。たった二日のアバンチュール…熱砂のような肌はもうそこにはない。そう考えるだけで、胸が痞えたような違和感がある。サイードにとってはその程度のものだったのだと理解して漸く、美月は寂しさを感じた――。
「それは彼女の意思次第だろう?お前は彼女をハレムの女どころか、日本でだけの行きずり扱いしているに過ぎん」
「違う!本国には俺の離宮の内装変更を指示した!ミツキはハレムではなく、俺と共に宮殿で暮らす!ミツキの香も明日にはサンプルが届く予定で、御印もさっき出来上がったところだ」
「サイード!?」
「俺にハレムは不要だ。ミツキが俺の永遠だ」
「彼女の同意もなしに妻とするつもりか!?」
「王族の婚儀など、互いの気持ちもなく進められる…それなら俺が勝手に見初めても問題はないはずだ」
サイードは憤りながらも平然とアズィールに告げたのだ。
「ここは日本で彼女は日本人だ。シャーラムや我々王族の文化に馴染みも理解もない。ましてアラビア語もわからないんだぞ?」
「習うより慣れろと言う…俺もついている」
「現実を考えろ、サイード。カシム、お前はどうなんだ」
埒が明かない状況に、無言で佇むカシムに話を振った。
「確かに現状では難しいかと」
「カシム!」
「このまま強引にお連れしても、ミツキ様に心労を強いるだけでしょう」
サイードにきつく睨まれても、カシムは考えを告げた。異国に相談相手もなく、言葉もわからない。慣れない文化や言葉と、学ぶべき事の多さに、早晩美月は精神から病んでいくだろう。サイードが最も信頼するカシムであっても、アズィールと同じ意見だ。
「これは友人としての意見ですが…これまでこんなに女性に執着した事はありません。もし彼女にサイードが永遠を信じさせられるなら…私は出来る限り応援したいのです」
「カシム、お前…」
「サイードは強引なところもありますが、一度決めたら曲げないし、必ず貫いてきました。ミツキ様がもっとサイードを理解する事が出来たなら…」
カシムはアズィールよりもサイードを知っている。
「我らシャーラムの男は月を探し、唯一無二の月は、何より慈しみ愛す」
「それは我が国の伝説の恋物語だ」
「ですがサイードですら…ミツキ様に出会って信じてしまったのです」
シャーラムに伝わる伝説の恋物語は、天に輝く美しく慎ましやかな月に恋をした男の話だ。
太陽や他の星々のように輝く事が出来ず、毎夜姿を変える事を嘆く月を男は慈愛した。そんな男が月と暮らしたと言われているのが、サイードの離宮があるアッシーラだと伝えられている。男は百夜を掛けて、月に永遠を誓う。その愛を受けた月はどこで見るより美しいと言われ、アッシーラは今も月の街と呼ばれている。
「…ミツキには理解を求めるつもりだ。愛される為なら、何も厭わない」
アズィールはまた頭を抱えた。S&Jでは美月を憂慮する常務や陽菜が、サイードとは接触させたくないと考えている。だがサイードは本気だ。
だがサイードは美月を王子の妻とする為、本国で正式な求婚の手順は踏んでいる。王族が香を調香させて贈るのは、求愛の証。王族の紋章とはまた別の、個人の御印はそれが王族の妻である証となる。それらが許されるのは、王位継承権第二位までだ。
その上妻の居住区となるハレムを不要とし、離宮を居とするなど…。
「…お前の気持ちはわかった」
「兄上」
「だが彼女やミスターヤマグチらの意思を汲み、案内はやめさせた」
「………」
「私とてお前の恋を邪魔するつもりはないぞ?」
「わかっているさ」
「互いに想いあるものならば、何よりもそれが望ましい。私にもお前の想いを後押ししたい気持ちはあるからな」
実兄の見慣れた微苦笑にただ頷く。
「大切にしたい気持ちがあるなら、彼女の生きてきた環境を理解せねばなるまい。我々の日常は彼女の非日常だ。戸惑いを抱えたままでは、受け入れられるはずの異文化も受け入れ難くなる」
「ではミツキと話す時間が欲しい」
「逸るなサイード。この滞在期間中は堪えて、まず日本の文化や生活を学べ。そうした上で漸くスタートに立てる。ミスターヤマグチらには私から話しておく。だが彼女にはお前から話せ」
拭えぬ焦りはあるが、わざわざ間に立ってくれた兄を立てる為、サイードは兄に従う事にした。
美月はサイードに出会う前の生活に戻った。あれからサイードが接触して来る事もなく、本当に戻ったのだと理解したが、夜は何度も目が覚めた。
【俺の美しい月】
耳元に囁かれた感覚と、サイードの香りがするような気がしてしまう。たった二日のアバンチュール…熱砂のような肌はもうそこにはない。そう考えるだけで、胸が痞えたような違和感がある。サイードにとってはその程度のものだったのだと理解して漸く、美月は寂しさを感じた――。