徹底的にクールな男達
7月
7/1 上司への忠誠心
♦
「麻見ぃ(あさみ)」
ドアを開け放っている薄暗い店長室の中から廊下に、聞き慣れた声が響く。
「、はい」
伝票処理ミスか、それともサイン漏れか、もしくはレジ精算時の現金誤差か。
一瞬であらゆるミスが頭の中を巡り、それを指摘されるのではないかという不安に恐れながらも、麻見はすぐに部屋の中に入った。
それが部下、というものだ。
部屋の真ん中には長机が2つ並び、そこに3つのパイプ椅子がきちんとはまっているが、残り1つには店長 柳原 孝太郎(やなぎはら こうたろう)が腰かけていた。身体は入口の方に向け、タバコ片手に資料に目を落としていたが、ちらと視線を投げかけてくる。
「……電気、つけましょうか……」
そんなことはどうでもいい、と言わずとも、吹き出す煙が全て代弁している。
それでも、その空気を打破したい麻見はパチリと電気をつけ、その斜め前におずおずと立った。
禁煙室だということを意識してか、麻見が位置に付くなりタバコをコーヒー缶の中へ投じる。
そしてようやく最後の一息を誰もいない方向へと吹き飛ばしてから、話が始まった。
「後藤田(ごとうだ)さんの件だが」
「……はい」
そうきたかと、心臓がドキリと鳴り冷や汗が出る。
「前にも言ったが、他に回せ」
答えを用意していなかったせいで、なかなか言葉が出ず、考えながら喋ってしまう。
「……、うまく、その……切り上げることができなくて……」
後藤田とは、麻見の上客であった。売上金額を個人別でランキング付けされる家電量販店ホームエレクトロニクスでは、多額を落とす太客を我が者にと思っている従業員が大勢いる。
その中で、桁違いの購入額を誇る後藤田を、たかがレジ担当の麻見が受け持っていることを柳原は以前からよくは思っていなかった。
「麻見はレジ担当、売り場には長時間出なくていい。確かに売り上げは大事だが、他の慣れた担当者に任せておけばいい」
柳原の視線はずっと低い。
「…………でも」
口答えしたことにカチンときたのか、柳原は顔を上げて
「後藤田さんは麻見からじゃないと買わないか?」
鋭い視線が突き刺さる。
「そんなことないだろ。
今度テレビや大型商品のことを聞かれたらすぐ部門担当者に代われ」
「はい」と一言言えば済むことだが、多少レジから離れても仕事は充分成り立っていると強く確信している麻見は意見する。
「…………でも、そんな難しいことを聞いてくるわけじゃないので、私でも対応できていると思います……」
「後々が怖いんだ。……他の担当者に振ることも大事だ、その方がいい」
上司への言葉は1つでいい、そう言われている気がした。
「…………、はい……」
返事は、やはりその一言以外に受け入れられない。
「あと、現金誤差。最近多い」
「……、はい」
「以上」
柳原は息苦しいとでも言いたげに、胸元からタバコの箱を取り出した。そして、口にくわえながら、
「行っていい」。
麻見はただ小さく頭を下げて小走りで部屋を出た。
息苦しいのはこっちの方だ。
せっかく、お金持ちの客が商品を買ってくれているのに、わざわざ指名して買いに来てくれているのに、担当を変えろだなんて、絶対バカげてる。
それでもうこの店に買いに来なくなったらどうするつもりなのか。
せっかく昨日も、それで売上目標金額が達成できたのに。
麻見は喉が痛くなり、ぽろりと涙が零れたのをさっと拭って更衣室に入った。ペットボトルの水を飲んで痛みを和らげる。
鼻水が出ないように堪え、鏡を見て目が充血していないか確認した。
大丈夫だ。
大丈夫、柳原に受け入れられてなくても、売上をきちんと上げている方が正しいに決まっているのだから。
大丈夫、後藤田は私という店員の接客が気に入って買いに来ているのだから。
大丈夫、そのままで、今のままでいい。
「麻見ぃ(あさみ)」
ドアを開け放っている薄暗い店長室の中から廊下に、聞き慣れた声が響く。
「、はい」
伝票処理ミスか、それともサイン漏れか、もしくはレジ精算時の現金誤差か。
一瞬であらゆるミスが頭の中を巡り、それを指摘されるのではないかという不安に恐れながらも、麻見はすぐに部屋の中に入った。
それが部下、というものだ。
部屋の真ん中には長机が2つ並び、そこに3つのパイプ椅子がきちんとはまっているが、残り1つには店長 柳原 孝太郎(やなぎはら こうたろう)が腰かけていた。身体は入口の方に向け、タバコ片手に資料に目を落としていたが、ちらと視線を投げかけてくる。
「……電気、つけましょうか……」
そんなことはどうでもいい、と言わずとも、吹き出す煙が全て代弁している。
それでも、その空気を打破したい麻見はパチリと電気をつけ、その斜め前におずおずと立った。
禁煙室だということを意識してか、麻見が位置に付くなりタバコをコーヒー缶の中へ投じる。
そしてようやく最後の一息を誰もいない方向へと吹き飛ばしてから、話が始まった。
「後藤田(ごとうだ)さんの件だが」
「……はい」
そうきたかと、心臓がドキリと鳴り冷や汗が出る。
「前にも言ったが、他に回せ」
答えを用意していなかったせいで、なかなか言葉が出ず、考えながら喋ってしまう。
「……、うまく、その……切り上げることができなくて……」
後藤田とは、麻見の上客であった。売上金額を個人別でランキング付けされる家電量販店ホームエレクトロニクスでは、多額を落とす太客を我が者にと思っている従業員が大勢いる。
その中で、桁違いの購入額を誇る後藤田を、たかがレジ担当の麻見が受け持っていることを柳原は以前からよくは思っていなかった。
「麻見はレジ担当、売り場には長時間出なくていい。確かに売り上げは大事だが、他の慣れた担当者に任せておけばいい」
柳原の視線はずっと低い。
「…………でも」
口答えしたことにカチンときたのか、柳原は顔を上げて
「後藤田さんは麻見からじゃないと買わないか?」
鋭い視線が突き刺さる。
「そんなことないだろ。
今度テレビや大型商品のことを聞かれたらすぐ部門担当者に代われ」
「はい」と一言言えば済むことだが、多少レジから離れても仕事は充分成り立っていると強く確信している麻見は意見する。
「…………でも、そんな難しいことを聞いてくるわけじゃないので、私でも対応できていると思います……」
「後々が怖いんだ。……他の担当者に振ることも大事だ、その方がいい」
上司への言葉は1つでいい、そう言われている気がした。
「…………、はい……」
返事は、やはりその一言以外に受け入れられない。
「あと、現金誤差。最近多い」
「……、はい」
「以上」
柳原は息苦しいとでも言いたげに、胸元からタバコの箱を取り出した。そして、口にくわえながら、
「行っていい」。
麻見はただ小さく頭を下げて小走りで部屋を出た。
息苦しいのはこっちの方だ。
せっかく、お金持ちの客が商品を買ってくれているのに、わざわざ指名して買いに来てくれているのに、担当を変えろだなんて、絶対バカげてる。
それでもうこの店に買いに来なくなったらどうするつもりなのか。
せっかく昨日も、それで売上目標金額が達成できたのに。
麻見は喉が痛くなり、ぽろりと涙が零れたのをさっと拭って更衣室に入った。ペットボトルの水を飲んで痛みを和らげる。
鼻水が出ないように堪え、鏡を見て目が充血していないか確認した。
大丈夫だ。
大丈夫、柳原に受け入れられてなくても、売上をきちんと上げている方が正しいに決まっているのだから。
大丈夫、後藤田は私という店員の接客が気に入って買いに来ているのだから。
大丈夫、そのままで、今のままでいい。
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