徹底的にクールな男達
9/19 1つ屋根の下の始まり
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「離れって……マンションなんですか?」
「実際の離れでは不都合が多いだろうと、頭(かしら)がマンションを用意して下さったんだ」
「…………」
昨日の事故から一転、目の前には中央区でも有数の高級マンションが眩しいばかりに建ちそびえている。
クールで無表情で無愛想な鈴木は、マンションの地下駐車場に車を停車させるや否や助手席に乗った麻見などまるでいないかのように、淡々とシートベルトを外した。
「あの、私ここで暮らすって……で、休みの日になったらあっちの……本宅の方へ行けばいいんですか?」
「頭に聞け」
鈴木はすがる麻見を引きはがすように、先に車外に出る。麻見も、慌てて追いかけて外へ出た。
カジュアルな前開きの黒いパーカーを着ながらも社用の白のクラウンを運転してきた鈴木は、少し面倒くさそうにトランクを開けた。そこには、ボストンバック4つが積まれている。そのうちの3つの中には、麻見が自宅アパートから詰めて来た洋服や、洋服や、小物でパンパンになっていた。
に、対して、おそらく鈴木の物らしき茶色いスカスカのビトンのボストンバックも1つ。
しかし、鈴木がマンションを利用するわけがないので、何か仕事の物が入っているのだろう。
「2つ持てるか?」
「あ、はい」
鈴木の質問は妥当だ。トランクから下ろされたボストンバックは4つあって、1つはスカスカといえど、鈴木の物、もう2つは肩から下げないと到底持てない大型、最後の1つは最後チャックが半分しか閉まらなかったA3サイズの手持ちバックであり、2人しか人がいないのなら、2つずつ持つのが当然だ。
「よいしょ……」
しかも、自分の物なのだから、大型を2つ持つのが、社会人というものだ。
「……歩けないだろ」
トランクをバン、と閉めたと同時に鈴木はこちらを平たい目で見た。
「に、2回に分ければ……あ」
鈴木は簡単に大型を1つ奪うと、自らのビトンのバックと手提げの3つを持った。
「そっちは?」
更に、もう1つの大型の方も気遣ってくれたが、1つなら充分持ち歩ける。
「大丈夫です」
「……」
鈴木はさっと麻見と車を置いて、入口に向かって歩きはじめる。麻見は慌ててそのすぐ背後に付いたが、薄いピンク地に水玉模様、更に茶色地に水色のレースがついたバックを細身で長身の鈴木が運ぶ姿は少し可愛く思えた。
鈴木の年齢はおそらく、30はきていない。落ち着きがあるので年をとっていそうだが、話す雰囲気や、肌つやがまだ若いことを物語っていて20代であることは間違いなさそうだ。
だが、カジュアルな服装からは想像もできない空を射るような冷たい目線、ひょっと目が合ってしまった時の物怖じのなさがとても、一般の20代とは異なっていた。
葛西に鈴木を付ける、と言われた時は何のことだか分からなかったが、昨日鈴木に自宅まで送り届けられ、更に本日の迎えなどを淡々とこなす人格を見て、それほど嫌いにはなれなかった。
それにしても、こちらが車をぶつけたのに送り迎えの付き人を付けてくれるとは、一体やくざというのは何を考えているのかさっぱり分からない。
葛西に身体を求められたとしても仕方ないとある程度の覚悟はできてている分、この不必要な過程は一体なんだろうと不思議で仕方ない。
当の葛西はというと、ソファの上で一瞬恐ろしい顔を見せたものの直後にバテ、それから会ってはいない。
急ぎで海外の仕事が入ったとかで、そんな時こそこの鈴木を連れて行かなくていいのかと思ったが、鈴木は鈴木でこちらでの仕事があるらしかった。
やくざの仕事が一体どんな物なのかは全く知らない。
これまでの予想では、例えばフェラーリに追突されたのをいいことに六千万払わせようと風俗に堕としでもして、月々タコ部屋に現金を取りに来るとか、なんだかんだで一生飼い殺しにされるとか、そういうのが仕事だと思っていたが実際はそうではなかったようだ。
保険会社もやはり50万円が限度だと言い張るし、そしたら、無制限とはいったい何ぞや!?といった腹正しさが残るが実際はどこの保険会社も同じようで、つまりは麻見に約六千万のやくざへの借金がある程度正当な形で残っているだけだった。
その証拠にフェラーリはパーツ入手不可で修理には出さないらしい。しかし、あれだけへこんだまま乗れるはずもなく、それら全てを考えれば、このような高級マンションにおそらく愛人として招かれたのなら、最高に運が良かったのかもしれなかった。
やくざの話相手なんて最初から信じられるはずがないし、ロリコンなんてその場限りの言葉だと思っている。
そのうち葛西と、このマンションで……。完全オートロックでしかも、指紋承認がないと入れない最高にガードが堅い高級マンションの最上階で葛西に抱かれるとなると……それほど悪くはない。
と思えるのは、葛西の最初の優しい口調、渋い顔、明らかに上に立つ者の構えができていたからかもしれない。
そうあれこれ余計なことを考えているうちに、マンション最上階の一室に着いた。
一階ロビーの天井にあったシャンデリアもそうだが、玄関の扉横やあちこちに付いている輝いた照明もクリスタル製なのか高級感があり、家賃、それ以前の収入源が若干心配になってくる。
「…………」
鈴木が無言で玄関扉を開けて先に中へ入る。
「うわぁ……」
玄関だけでおよそ6畳近くある広いスペースは足元が大理石になっているようで、なかなか足のやり場に困る。
床に見とれる麻見の前で、鈴木は無言で靴を脱いで廊下へ上がった。慌てて、それに付いて進む。
「え、ええー!! ガラス張り!? す、すごくないですか? 壁が、ガラス……」
短い廊下を抜けたその先は、広いリビングの壁一面がガラスで出来ており、下界が一望できるようになっていた。その隅に、小さく東都シティ本店が見える。
麻見は鈴木を追い越し、無意識に窓際に寄って見下ろした。
エレクトロニクス最大店舗を見下ろせる位置に、まさかこのような形であれ高級マンションに住むことになろうとは、未だ信じ難い。
「………、荷物を片付けろ。必要な物をすぐに書き出せ。買い物に行くぞ」
「えっ、あ、はいっ」
ある程度の物は持って来ているので、急いで買い出す必要もないけれども。とにかく、片付けだ。
麻見はまず、片付ける場所が分からなくて荷物を下げたまま廊下を進む鈴木の後に付いた。
とある一室。その前で鈴木は思いもよらぬ一言を飛ばす。
「ここは、俺の部屋だ」
そして、その廊下の先の突き当たりのドアに視線を送り、
「お前はそこだ。必要最低限の家具は置いてある」
「え……」
それだけ言うと、鈴木は自らの手にあったビトンのバックを部屋に投げ込んだ。
「……、なんだ?」
鬱陶しそうに見下ろされ、「いえっ」としか返せない。
な、何でこの人が!?
疑問が沸くこちらにお構いなしで、鈴木はスタスタと先を歩き、奥の突き当たりの部屋のドアノブを捻った。
「!!!……」
まず目に入ったのは、天蓋付のおそらくキングサイズのベッド。それが真ん中にドーンと置いてあって、後は壁一面のクローゼットと大型テレビ……。
「……」
鈴木は部屋の入口にボストンバックと手提げを置くと「10分後に出て来い」とだけ言い残し、そのまま廊下を戻って行ってしまう。
「……あ……の……」
既に声が聞こえる位置にはいない。
「ええー……」
もう一度部屋を眺めて現実を直視した。楽観視していた『愛人』の現状を簡単には受け入れられない戸惑いを心に、部屋の隅にバックを置き直す。
夜や休みの日は、葛西がここへ来る。
「え、待って待って……」
話し相手の範囲を予想通り超えていて、あのベッドで何から何までと妄想すると急に怖くなる。
「10分後……え、どうしよう。どうしよう……」
鈴木は近くにいる。夜には葛西が来る。
「これってやっぱり……、」
やっぱり、フェラーリを壊しておいて、最高に運が良いはずがない。
「かなりマズイ状況なのかもしれない」
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「何が買いたい? 指定する店は?」
丁度10分が経過した後2人は再びクラウンに乗り込む。
「……と、特に」
運転席で今まさにシートベルトをかけたばかりの鈴木は麻見の声を聞くなり、こちらをギロリと睨んだ。
「えっ!? でも、あ、あえてって言うんなら、その、あの、し、食品を買いに……」
「飯は作れるのか?」
「い、いちおう……」
料理は数品くらいなら一応作れるし、得意の範囲内だと思っている。
「近くのスーパー行くか……」
「はい。……あの……」
車を発進させた、鈴木の横顔をじっと見つめながら聞く。
「あ、あの……。鈴木さんは、あそこでずっと暮らすんですか?」
「ああ」
間髪入れずに、当然のごとく返事が返ってきて、聞いておきながら驚きを隠せない。
「あ、あぁ……。ちなみに、今度葛西さんが来るのはいつくらいですか?」
「今の現状だと中国に2週間はいるだろう。帰って来ても、お前を相手にするかどうかは分からん」
「そっ、それなのに、私あんな綺麗な所で住んでてもいいんですか!?」
「頭(かしら)の意向だ」
「…………」
なんか、すごく好かれちゃった??
「あの、あの、今更なんですけど。その、話し相手とかいうのってやっぱ愛人ってことなんですよね?」
「さあな……。直接聞け」
「…………あの……」
「何だ?」
その、チラとこちらを睨むような視線が刃物のように突き刺さり、
「いえ……」
としか言いようがない。
バレないように息を吐き、外を眺めることにする。黙っていれば男前なのにとぼんやり考えていると、
「仕事はシフト制だな?」
思いもよらないことを聞かれて、「はい」と咄嗟に答える。
「カレンダーに出勤日を書いておけ」
「えっ!? しっ!? あ、はい……」
返事をしたものの、やはり理由が気になって、
「あの……休みかどうかを書いておけばいいですよね?」
念を押すと、
「行く時間と帰る時間も書いておけ。俺が送り迎えする」
「えっ!?」
確かに車を持っていないのでバス通勤せずに助かるが、にしても、そこまで徹底しなくても……。
「あの、私別に、逃げませんけど……」
言うなりマヌケなセリフだと気付いたが、言わないよりはマシだと思った。そこまで鈴木に世話をかけるわけにはいかない。
「別に心配してるわけじゃない。頭の意向だ」
「……」
結局鈴木は、葛西の一言で人生を決められるらしい。
「桜田店までは20分かかる。20分前までには必ず出社できる用意をしておけ」
冷たい横顔が、突然通常の社会人に見え始める。やくざも会社の1つとして成り立っているのかもしれない。そう身を持って感じた麻見は、ハンドルを握る鈴木の白くそれでいてゴツゴツした手で、もしかしたら書類をコピーしたりファイルに閉じたりするのしもかれないと、余計な妄想をした。