徹底的にクールな男達
7/5 ボーナス
「はい、お疲れー!!」
「俺……」
ボーナスが出たから焼肉を奢る、とかって出た相田 総伍(あいだ そうご)は、乾杯をしようと右手で酎ハイを上げた私、麻見 依子(あさみ よりこ)を完全無視して、その場にそぐわぬ神妙な顔つきを見せた。
「言おうと思ってたんだけどさ」
「……何? 仕事でミスした?」
「んなんじゃねえ……」
わざわざ個別になっている和室の高級焼肉店を予約してくれたと思ったら、イキナリこれだ。
「じゃ何? 何でも言って? 怒らないから」
「……言おうと思ってたんだよ、ずっと前から」
何が言いたいのか、この、乾杯前のタイミングに本当に相応しい悩みなのかと、炭火を前に若干イライラしてくる。
「うん何? 気になるじゃん! どしたの? 何? あ、お金忘れた!?」
「…………」
総伍は視線だけ上げて、こちらを睨んだ。
「えっ、何!? なんか私、悪い事した!? どうしよ、先に謝っとこっか?」
「じゃねえよ……もいいわ」
どすんと座椅子に背をもたせ、ふうっと大げさに溜息をつく姿は、いつも通りと言えばいつも通りだ。
「エッ!? 何!? めっちゃ気になる!!」
「……仕事のことだよ」
「なんだ、私全然関係ないじゃん」
「そだよ。カンケ―ねえよ」
はっきり二重の愛らしい目をしているくせに表情は複雑だ。そして乾杯も中途半端に、これみよがしに白い皿の牛肉を全て網の上に流すように移し入れる様は、顔に似合わぬ大雑把なB型の証拠だ。
「高級な肉が台無しー。こういうのは一枚一枚焼くからいいんじゃないの?」
「んなの一緒だよ。プロが焼けば多少は味も変わるだろうけど、素人なら同じだよ」
「私素人?」
麻見は目をぱちくりさせて聞く。
「俺エリート」
総伍は重なった肉をトングで並べ直しながら平然と答えた。
「聞いてないよ。というか、聞き飽きた。名門東都大学飛び級の主席で合格、成績は常にトップ。就職は警視庁のしかもキャリア警察官で警視。そんで今日の待ち合わせに遅れた理由はどうせ、殺人事件かなんかでしょ?」
「まあそんなとこ。 今年30で本部課長4年目、妬みが耐えなくて困るよマジで」
「あ、ごめんね、私妬んでなくて」
麻見は飽き飽きして、ひっくり返る肉を見つめて嫌味を言ったが、
「お前くらいだよ。最近周りで普通に喋って来る奴なんか」
顔を見上げるほど、その声は神妙だった。
「……ほんとに?」
「まあみんな、俺の甘いマスクに一目ぼれして、隣の席奪いに来るからな」
「……へー、昼のランチとか大変だね」
「だからデスクで買った弁当食うんだよ。たまに弁当作って来てくれる奴とかいるけどさ、他人が作った物なんて気持ち悪くて食えねーんだよな」
「いいじゃん、可愛い子が作ったんなら美味しいに決まってるよ」
「出たー、女子の女子による可愛い。そういうのに限ってブサなんだよなー。可愛いっていうのはなあ……」
「じゃ、芸能人でいうとどういう子がタイプなの?」
「可愛いっていうのは、その……あれだよ」
考えている証拠だ。トングが動いているのにも関わらず、肉がうまくひっくり返ってはいない。
「どうせAKBとか……熱ッッ!!!」
トングによって網の上ではねた肉の油が、思いがけず麻見の右手の甲に飛んだ。慌てて左手でおしぼりを取ろうと試みたがそれより早く、
「!!!!!……」
総伍は麻見の右手を掴み、自らの唇をつけて舌で舐め、そして、軽く吸った。
まるで、女王陛下への、忠誠を表すキスのように。
何の躊躇もなく、あっさりと。
だがもちろんその感触は温かく、ぬるりと、そして、ぞくりと身体はざわめく。
「はい、おしぼり」
何故このタイミングでヌケヌケと冷たいおしぼりなのか分からないが、麻見はされるがままにキスされたばかりの手の上に乗せてくれたおしぼりを左手で押さえた。
「……、やけどってさ、まず温めるものなの?」
「冷やしてるじゃん」
こちらとしてはドキッと心臓が波打ったしたのをなんとか隠したのに、当の本人は何とも思っていないこのご様子。
「…………、ま、いいけど。
ねえ、ボーナスっていつも貯めてるの? この夏は100万って言ってたよね?」
以前、「早出世ってことはやっぱ警視庁総監の孫だから?」と軽く冗談で言った時の冷たい視線ときたらなかったので、この辺りの話題には充分注意しなければならない。
「今は旅行行きてーんだよなあ。ただ今ペアチケットに手を伸ばしてくれる人募集中」
「ペアチケット? もうあるの? 」
網の上に乗せられた椎茸が、バイキングの椎茸とは色が違い、新鮮で美味しそうだと思いながら軽く聞いた。
「あったら行く?」
「……、え?」
ペアチケットが、あったら?
顔を上げると、そこには。こちらの視線を待ち構えている、色白の肌に大きな瞳がくりんとした可愛らしい顔があった。
「い、行こうか?」
一旦間を置き、総伍もこちらが本気かどうかの感触を確かめているようだ。
「俺の休み、基本はカレンダー通りだけどいつ忙しくなるか分かんねーよ」
「え、あ、うん……えっと、今7月だから……9月か10月でもいい?」
「予定なしで、行けそうな日に行けばいんじゃね?」
「そだね……」
その場合、ホテルの部屋割はもちろんシングル2つだ。そうに決まっている。
月に2度程度食事会を持つ2人であったが、一部屋に2人で泊まるような仲ではない。
「何泊何日?」
「長くて2泊3日」
「随分あれだねぇ……」
予測不能の完全シフト勤務を強いられている麻見にとって、偶然3日連休になる可能性はなかなか低い。だとすれば特別休日申請を出すまでのことなのだが、これがなかなかハードルが高く、上長にはあまり良い顔をされない。
「旅行かぁ……どこ行く? 海外とかは無理だよね?」
「言葉は?」
「ダメダメ、全然。えっ、どこ行くの?そんな遠くは無理だよね?」
「近場だな。上海でもいいかも」
総伍は機嫌よく、大口で肉を含んで笑う。
「上海って何語?」
「中国語」
「英語ならともかく、中国語は無理だよ……」
「Add order this meat .Do not have what you want to order in other .It does not matter if it is not what you want to order .」
「な、何!?」
「英語ならともかくって言うから」
「いや、英語だって、ア リトルくらいしか分かんないよ! 総伍は実力があるのかもしれないけどー。大学の時から頭良かったし。留学もしてるし。もともと、飛び級だし」
「実力というか、忘れねーのはたまにふらっと1人で行ってるからだよ」
「嘘!? どこに!?」
「えーと、先月は時間作って、カナダまで。数時間しかいなかったけどな。向こうの知り合いに子供ができたってゆーからさ。ウェブカメラもいいけど、やっぱそういうのは生で見た方がいいだろ」
わりと、頻繁に連絡をとっておきながらも、麻見は総伍の全てを知っているわけではない。
それが少し寂しいと思いながらも、かといって、独占もしきれない自分を濁しながら、
「そっか……お土産なかったんだね……」
その程度で留めておく。
「やまあ、土産買うほどのことじゃねーかと自分の中では思ってて……」
思いがけず、小声で後悔したような声を耳にした麻見は慌てて、
「いやいや、別に本気でお土産欲しかったわけじゃないから!!」
「なら言うなよ」。
総伍は柔らかな笑みを見せて、満足そうにビールを飲んだ。
麻見にとって、総伍はいつも眩しい存在だ。
最初に出会ったのは麻見が中学校の頃、6歳年上の大学生の総伍は近所の宅配便の集積場でアルバイトをしていた。
汗を流して荷物を運ぶ姿を、隣のコンビニのベンチからいつも眺めていた。ひょんなことから話をするようになり、コンビニのアイスを奢ってもらって、それがハンバーガーになって、ファミレスになって、焼肉屋になった。
「総伍といると気を遣わなくてすむね……」
ほっとして笑いながら言ったのに、
「気ぃ遣えよ。俺が焼いてばっか」
相手はつんとして口を尖らせたが、麻見は何故かその時、旅行が楽しくなることを予感した。
そして笑いを堪えながらトングを受け取り、
「素人が焼いたんならどれも同じだよ。でも確かに、私が焼けば少し美味しいかもしれない」
と既に焼き終えた肉を総伍の皿の上に豪快に乗せた。
「俺……」
ボーナスが出たから焼肉を奢る、とかって出た相田 総伍(あいだ そうご)は、乾杯をしようと右手で酎ハイを上げた私、麻見 依子(あさみ よりこ)を完全無視して、その場にそぐわぬ神妙な顔つきを見せた。
「言おうと思ってたんだけどさ」
「……何? 仕事でミスした?」
「んなんじゃねえ……」
わざわざ個別になっている和室の高級焼肉店を予約してくれたと思ったら、イキナリこれだ。
「じゃ何? 何でも言って? 怒らないから」
「……言おうと思ってたんだよ、ずっと前から」
何が言いたいのか、この、乾杯前のタイミングに本当に相応しい悩みなのかと、炭火を前に若干イライラしてくる。
「うん何? 気になるじゃん! どしたの? 何? あ、お金忘れた!?」
「…………」
総伍は視線だけ上げて、こちらを睨んだ。
「えっ、何!? なんか私、悪い事した!? どうしよ、先に謝っとこっか?」
「じゃねえよ……もいいわ」
どすんと座椅子に背をもたせ、ふうっと大げさに溜息をつく姿は、いつも通りと言えばいつも通りだ。
「エッ!? 何!? めっちゃ気になる!!」
「……仕事のことだよ」
「なんだ、私全然関係ないじゃん」
「そだよ。カンケ―ねえよ」
はっきり二重の愛らしい目をしているくせに表情は複雑だ。そして乾杯も中途半端に、これみよがしに白い皿の牛肉を全て網の上に流すように移し入れる様は、顔に似合わぬ大雑把なB型の証拠だ。
「高級な肉が台無しー。こういうのは一枚一枚焼くからいいんじゃないの?」
「んなの一緒だよ。プロが焼けば多少は味も変わるだろうけど、素人なら同じだよ」
「私素人?」
麻見は目をぱちくりさせて聞く。
「俺エリート」
総伍は重なった肉をトングで並べ直しながら平然と答えた。
「聞いてないよ。というか、聞き飽きた。名門東都大学飛び級の主席で合格、成績は常にトップ。就職は警視庁のしかもキャリア警察官で警視。そんで今日の待ち合わせに遅れた理由はどうせ、殺人事件かなんかでしょ?」
「まあそんなとこ。 今年30で本部課長4年目、妬みが耐えなくて困るよマジで」
「あ、ごめんね、私妬んでなくて」
麻見は飽き飽きして、ひっくり返る肉を見つめて嫌味を言ったが、
「お前くらいだよ。最近周りで普通に喋って来る奴なんか」
顔を見上げるほど、その声は神妙だった。
「……ほんとに?」
「まあみんな、俺の甘いマスクに一目ぼれして、隣の席奪いに来るからな」
「……へー、昼のランチとか大変だね」
「だからデスクで買った弁当食うんだよ。たまに弁当作って来てくれる奴とかいるけどさ、他人が作った物なんて気持ち悪くて食えねーんだよな」
「いいじゃん、可愛い子が作ったんなら美味しいに決まってるよ」
「出たー、女子の女子による可愛い。そういうのに限ってブサなんだよなー。可愛いっていうのはなあ……」
「じゃ、芸能人でいうとどういう子がタイプなの?」
「可愛いっていうのは、その……あれだよ」
考えている証拠だ。トングが動いているのにも関わらず、肉がうまくひっくり返ってはいない。
「どうせAKBとか……熱ッッ!!!」
トングによって網の上ではねた肉の油が、思いがけず麻見の右手の甲に飛んだ。慌てて左手でおしぼりを取ろうと試みたがそれより早く、
「!!!!!……」
総伍は麻見の右手を掴み、自らの唇をつけて舌で舐め、そして、軽く吸った。
まるで、女王陛下への、忠誠を表すキスのように。
何の躊躇もなく、あっさりと。
だがもちろんその感触は温かく、ぬるりと、そして、ぞくりと身体はざわめく。
「はい、おしぼり」
何故このタイミングでヌケヌケと冷たいおしぼりなのか分からないが、麻見はされるがままにキスされたばかりの手の上に乗せてくれたおしぼりを左手で押さえた。
「……、やけどってさ、まず温めるものなの?」
「冷やしてるじゃん」
こちらとしてはドキッと心臓が波打ったしたのをなんとか隠したのに、当の本人は何とも思っていないこのご様子。
「…………、ま、いいけど。
ねえ、ボーナスっていつも貯めてるの? この夏は100万って言ってたよね?」
以前、「早出世ってことはやっぱ警視庁総監の孫だから?」と軽く冗談で言った時の冷たい視線ときたらなかったので、この辺りの話題には充分注意しなければならない。
「今は旅行行きてーんだよなあ。ただ今ペアチケットに手を伸ばしてくれる人募集中」
「ペアチケット? もうあるの? 」
網の上に乗せられた椎茸が、バイキングの椎茸とは色が違い、新鮮で美味しそうだと思いながら軽く聞いた。
「あったら行く?」
「……、え?」
ペアチケットが、あったら?
顔を上げると、そこには。こちらの視線を待ち構えている、色白の肌に大きな瞳がくりんとした可愛らしい顔があった。
「い、行こうか?」
一旦間を置き、総伍もこちらが本気かどうかの感触を確かめているようだ。
「俺の休み、基本はカレンダー通りだけどいつ忙しくなるか分かんねーよ」
「え、あ、うん……えっと、今7月だから……9月か10月でもいい?」
「予定なしで、行けそうな日に行けばいんじゃね?」
「そだね……」
その場合、ホテルの部屋割はもちろんシングル2つだ。そうに決まっている。
月に2度程度食事会を持つ2人であったが、一部屋に2人で泊まるような仲ではない。
「何泊何日?」
「長くて2泊3日」
「随分あれだねぇ……」
予測不能の完全シフト勤務を強いられている麻見にとって、偶然3日連休になる可能性はなかなか低い。だとすれば特別休日申請を出すまでのことなのだが、これがなかなかハードルが高く、上長にはあまり良い顔をされない。
「旅行かぁ……どこ行く? 海外とかは無理だよね?」
「言葉は?」
「ダメダメ、全然。えっ、どこ行くの?そんな遠くは無理だよね?」
「近場だな。上海でもいいかも」
総伍は機嫌よく、大口で肉を含んで笑う。
「上海って何語?」
「中国語」
「英語ならともかく、中国語は無理だよ……」
「Add order this meat .Do not have what you want to order in other .It does not matter if it is not what you want to order .」
「な、何!?」
「英語ならともかくって言うから」
「いや、英語だって、ア リトルくらいしか分かんないよ! 総伍は実力があるのかもしれないけどー。大学の時から頭良かったし。留学もしてるし。もともと、飛び級だし」
「実力というか、忘れねーのはたまにふらっと1人で行ってるからだよ」
「嘘!? どこに!?」
「えーと、先月は時間作って、カナダまで。数時間しかいなかったけどな。向こうの知り合いに子供ができたってゆーからさ。ウェブカメラもいいけど、やっぱそういうのは生で見た方がいいだろ」
わりと、頻繁に連絡をとっておきながらも、麻見は総伍の全てを知っているわけではない。
それが少し寂しいと思いながらも、かといって、独占もしきれない自分を濁しながら、
「そっか……お土産なかったんだね……」
その程度で留めておく。
「やまあ、土産買うほどのことじゃねーかと自分の中では思ってて……」
思いがけず、小声で後悔したような声を耳にした麻見は慌てて、
「いやいや、別に本気でお土産欲しかったわけじゃないから!!」
「なら言うなよ」。
総伍は柔らかな笑みを見せて、満足そうにビールを飲んだ。
麻見にとって、総伍はいつも眩しい存在だ。
最初に出会ったのは麻見が中学校の頃、6歳年上の大学生の総伍は近所の宅配便の集積場でアルバイトをしていた。
汗を流して荷物を運ぶ姿を、隣のコンビニのベンチからいつも眺めていた。ひょんなことから話をするようになり、コンビニのアイスを奢ってもらって、それがハンバーガーになって、ファミレスになって、焼肉屋になった。
「総伍といると気を遣わなくてすむね……」
ほっとして笑いながら言ったのに、
「気ぃ遣えよ。俺が焼いてばっか」
相手はつんとして口を尖らせたが、麻見は何故かその時、旅行が楽しくなることを予感した。
そして笑いを堪えながらトングを受け取り、
「素人が焼いたんならどれも同じだよ。でも確かに、私が焼けば少し美味しいかもしれない」
と既に焼き終えた肉を総伍の皿の上に豪快に乗せた。