徹底的にクールな男達

 翌日早々、後藤田の秘書から麻見宛てに電話がかかった。何度か見たことがある運転手と秘書が同一人物なのかは分からなかったが、

『8Kテレビを100台お願いします。見積書を出してください』

と、淡々と注文をしてきたのだった。

 数字の大きさに驚きを隠せず、

「ひ、ひゃくだいですか!?」

と思わず声を上げたのも束の間、

『正し、見積書は国際ホテルのレストランまで届けに来て下さい。日時は明後日午後7時です。それが敵わない場合はキャンセル致しますので、明日午後5時までにご連絡下さい』。

 秘書からの電話を受けた当日午後4時。食事のタイミングを逃してしまった麻見は、とうに空腹の峠を越えてしまった胃にコンビニ弁当を詰め込んでから、店長室で回覧資料に目を通し、従業員用のノートパソコンの画面を睨んでいた。

 この部屋のパソコンは主に店長が使うことが多いが、その他の者でも気軽に使用することができ、今も見積書の原紙を前に頭を悩ませている。

 予想を遥かに上回る金額で出現した一千万の見積もり。おそらく、これを逃せば2度とない。

 しかし、さすがに相手もバカではない、国際ホテルでの逢瀬がただの食事会で終わるはずはない。

 ……ただでは帰れないに違いない。

 商品の金額の詳細はどうでもいいとして、書類を手渡す際の己の覚悟が重要になってくる。

 中規模店舗になると一台売れるかどうかの新型テレビ。それが、今、100台売れようとしている。

 おそらく、見積書を渡せば後藤田は値段関係なしに購入するだろう。値切るマネなどしないはずだ。

 ただしかし。

 関係といえど、一夜限りの関係では済まされない。

 ……身体で売上をとろうと思っているわけではない。

 ただ、重要顧客と食事をするのも仕事の一環、接待の1つであり……サラリーマンとしての常識の範囲内だ。

 そうなのだ、と麻見は決心して手を動かせ、8K100台の見積書を作る。値段は適当に消費税分だけ値引きしておけばいい。

 規則上パソコンの見積書ファイルに原紙を残しておくことになはなっているが、今回のは保存せず、とりあえずプリントアウトするだけにした。明日の5時まで、もう一度充分考えればいい。

「麻見さん」

 背後から呼ばれて、すぐに振り返った。

 店長室に入ってきた、店長武之内はどちらかというと暇そうに、今まさに封筒に入れようとしている見積書を見つけて問うた。

「見積書? 」

「あ、はい……」

「物はなに?」

「……テレビです」

 としか、今は答えられなかった。

「8K?」

 まさか、予測してまで聞いてくるとは思わなかったので、一瞬言葉に詰まりながらも、

「い……ちおう……でも、まだ迷っているらしくて。今見積書を出すべきかどうか、私も迷ってるんですけど……」

「お客さんが買おうかどうか迷ってるの?」

「まあ多分……どこのお店で買おうかどうか迷ってるんだと思います」

「見せて」

 と言われて、見せないわけにはいかない。

 麻見は一旦停止したものの、封筒に入れた用紙を取り出し武之内に恐る恐る出した。

「え?」

 驚きの表情の後、すぐに険しい顔になる。

「いつ渡すの?」

 微妙な視線を感じた麻見は、目を伏せ、

「……明後日ですが、一応明日5時にも連絡するようになっています。迷われているようですので、ちょっと……私も……色々……」

「これは決まったとしても、金額が大きすぎる。内金もいつものような数千円ではとても発注できないし。お客さんは全額前払いしてくれそうな感じ?」

「いえ、あの、そこまでは……」

「どんな感じで注文を受けたの? この後藤田さん、って麻見さんのお得意さんだよね。前任の柳原店長から聞いてたけれども」

「…………、どんな感じ、というか……」

「一千万の見積もりなんてそうそうない。僕が見た限りでは、初めてだよ。聞いたこともない。だからこんな安易な価格は出せないし、備考には何も書かれてないような見積書は渡せない。だから、僕が担当を代わる」

「……でも、お話を受けたのは私です……」

 武之内が出て行った瞬間、後藤田がこの見積をキャンセルすることは目に見えている。せっかく掴んだこのチャンスを今こんな形で台無しにするわけにはいかない。

「麻見さんからじゃないと、買わないお客さん?」

「少なくとも、今回はそうだと思います」

「どうして?」

「…………、…………」

 見積書を店外で渡す話をしても良いのかどうか、迷う。

「……、知り合い、というか……」

「……」

 武之内は一旦視線を全く違う方向にずらしてから、もう一度見積書を見つめた。

「このくらいの値引きで大丈夫なの? 他店と比較してるのに」

「…………、それは……、その……」

「決めるつもりなら、もう少し値引かないといけないと思うけど。他店にとられる前に」

「そ、うですね……」

「麻見さん」

「……あ、はい」

 麻見は何ともなしに顔を上げて目を合せたが、この時の武之内はいつもとは違う、いつにない厳しい表情だった。

「店名が入った正式な見積書を渡すということは、会社の価値を問われることになる。

 だから、こんないい加減な見積書は渡せない」

「…………」

「例え知り合いだとしても、そこはちゃんとしてもらわないと」

「すみません……」

 以外に言葉が出ない。

「で。要は、後藤田さんという知り合いが、100台欲しいから見積もりをしてほしいと言ってるってことだよね?」

「はい、そうです」

「会社か何か?」

「会社を経営しています。だから、会社で使うんだと思います」

「けど、宛名が個人名だけど」

「…………、確認します」

「値段は12%引いて、端数全部落として」

「はい」

「見積書を渡すのはいつ? 」

「明後日の午後7時頃です」

「休みじゃなかったっけ?」

 まさか、シフトを把握されていると思わなかった麻見は一旦停止してから、

「個人的に、外で……」

「うんまあ、知り合いならいいけど。麻見さんが住んでるアパートの大家さんなんだっけ?」

 まさか過去に柳原にぽろりとこぼしたセリフを武之内に知られているとは思いもしなかった麻見は、あからさまに沈黙になった後、

「…………、いえ、その話はお断りしました」

「そう」

 武之内は自ら聞いてきたわりにはどうでも良いといわんばかりに聞き流し、

「どちらにしても、もう少し話を聞いてから見積書を作り直した方がいい。渡す前に必ず見せに来てね」

「……はい……」

 言葉に棘はないが、その無表情が全てを物語っている気がして。

 見積書も碌に作れないなんて、仕事のできない奴だ、と、

 そう、言われているような気がした。

 私が売り上げる一千万の売上なんかどうでもいいと、そう言われているような気がした。
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