徹底的にクールな男達

 店長室は基本禁煙だが、前店長でありヘビースモーカーの柳原がこっそり吸っていたことは皆知っていた。

 だが、現店長の武之内は些細でも規則を破るようなマネはしない。

 しかしおそらく自宅ではタバコを吹かせているだろう。何の根拠もないのに、何故だかこの時の武之内の顔を見た瞬間そう思った。

「うーん……、原因は何?」

 一千万の見積書を前に、店長室で2人きりで向かい合って腰かけているのは、麻見にとってはこの上ない苦痛であった。

「……分かりません」

 実は原因はきちんと理解、把握されているのにも関わらず報告できないストレスがただ口を閉ざさせる。
「分かりませんってことはないでしょ?」

 優しげな言葉遣いとは裏腹に、武之内はこちらを鋭い視線で睨んで声を落とした。

「この見積書を渡しに行ったんだよね? で、なんて言われたの?」

「一旦保留と言われました。その翌日、今日の朝、社用の携帯に秘書の人から電話がかかってきて、今回はなかったことに、と」

「聞かなかったの? 理由」

「…………、まあなんか、その時、気分が乗らなくなったとは言ってました」

「渡した時?」

「……はい」

「結局他店でも買わないってこと?」

「そう……ですね、そんな感じにも見えました。でも、急ぎだからとは言ってたんですけど。……、明日発注しますと言ったら気分が乗らなくなった、という方向で……」

「え? 一旦発注の話までいったの?」

「いやそれは、私が勝手に言ったというか……」

 武之内は少し首を傾げ、

「…………全然話が見えないね」。

「…………、とにかく、一旦キャンセルになったということは事実です」

「一応この見積り出すのに本社の確認取ってるからね」

「え?」

 麻見は久しぶりに顔を上げて武之内を見た。やはり、無表情には変わりない。

「キャンセルになったのなら、なったなりのきちんとした理由が必要になる。今の説明では理解しがたいね、お客さんの冗談におどらされて見積書を作ったように見える」

「そんなはずありません!! わざわざ私、ホテルまで渡しに行ったんですよ!?」

「ホテル?」

 その無表情が歪んだ途端、しまった!と大きく顔を逸らした。

「何かされた?」

「……………されてません。…………、されてたら、逆に契約はとれたと思います」

 バンッ!!!

 突然の大きな音に全身が震え、大きく目を見開いた。

 武之内がテーブルに打ち付けた掌は大きな音を立て、委縮するには充分な威嚇だった。

「何ふざけたこと言ってんだ!」

 大声に、涙が溢れた。

 瞬きする度に下に流れ、顎から滴り落ちていく。

「知ってたのか? 最初からそのつもりでこの見積書を作ったのか?」

「はい」

 低い声で即答した。

「仕掛けたのはどっち?」

「…………」

「麻見さん? それとも、お客さんから言われたの? 一千万買うからホテルに来いと」

 あぁもう、何もかも話してしまった方が楽だと口を開きかけた時、

「本社への報告次第では処分が下るよ」

 重い一言を頭から浴びせかけられた。

 だけど今更……そんなことはどうでもいい。底辺の平社員にいるこの身に他に行き場所なんてない。

「さ……最初から話するんで聞いてもらってもいいですか?」

「……うん……」

 武之内は腕時計を確認しながら、なんとか了承してくれる。

「最初に会ったのは4月です。それから5月6月と指名をしてくれるようになって、その3か月で一千万売りました」

「知ってる」

 武之内はどこも見ずに言った。

「その時は私は売上のことなんか何も気にしてなくて。いつも難しいこととか聞かないし、これを何台、ここに届けてほしいというだけで、納期も急がれたことはないし、楽なお客さんでした。

 そうしている間に7月になって、70坪の家を2万で貸すから住まないかと言われました。

 けど、たまたま当時の柳原店長に話をしたら、そんな話には乗らない方がいいと言われて結局断りました。

 それから後藤田さんは来なくなりました。

 でも、自分の中ではあまり気にしていなかったんですけど、この前海外研修の話があって。

 武之内店長が会社で一番の物を目指せばいいと言われたので、私は持ち帰りレジでいながら一番販売できる社員を目指そうと思いました」

 一旦、武之内の動きが止まった。

「それで思い出したのが後藤田さんの存在でした。丁度購入されたテレビがリコール対象商品になっていたので、連絡を差し上げました。そうしたら、8Kテレビが欲しかったんだと言われて……8Kテレビを100台の見積書を出して、ホテルのレストランに持って来て下さいと……最終的に言ったのは秘書の方ですけど」

「……………」

 武之内は、何を考えているのかしばらく無言のままで固まっていた。

 それとは対照的に、幾分もスッキリした麻見は頬の涙をハンカチで拭い、溜息を吐いて重い瞼を下げて次の言葉を待った。

「僕の指導力不足だね……ただの」

 まさか、そんな言葉が出ると思っていなかったので、麻見は武之内をただじっと見つめた。

「…………、いえその私も……、柳原店長には後藤田さんは他に回せと言われていました。けど意地になって、自ら連絡をしてしまいました」

「うん……、…………、分かった。とりあえず本社にはありのままを伝えておくよ。向こうも一千万の売上が本当に立つのかどうか、ざわめいてるから」

「でも、キャンセルと秘書の方に言われただけです。まだ……やり方によっては可能性はあります」

 慌ててフォローしたのに、

「、何言ってるの?」

 いぶかしげな顔を見せられて、こちらの方が引いてしまった。だって、本社から煽られて苦しいけど全部責任を持つみたいな言い方するから、少し励まそうとしたんだけど……。

「またホテル行って、契約取るつもり?」

「いやだって、このままキャンセルになりましたって言いづらいだろうし……」

「だからって従業員をこんな風に使ってまで売上上げたいなんて思うわけないだろ。……人を馬鹿にするのもいい加減にしろ」

 フォローを拒まれ、冷たく吐き捨てられて、言い返す言葉は見つからない。

 だって指導力不足とかいうから、結果一千万の売上が上がったらそれで全て丸く収まるのに……。

「そういう考えは一切排除してくれ。でないと、真面目に仕事してる奴らが可愛そうだ」

「わっ、私だって真面目に仕事してます!!」

 気持ちは一緒だと、目を見て言ったのに。

「そういうのを、誠実さに欠ける不真面目、というんだよ。そんな風に仕事されたら一番大事な現金をお前のレジに預けるわけにいかなくなるだろ」

「………………」

 そんな所にまで連動しているのかと、武之内の素早い頭の動きに完敗してまた黙った。

「頼むから、常識の範囲内で仕事をしてくれ。それ以上求めないよ、お前には」
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