徹底的にクールな男達

10/19 2人きりの温泉旅行



 見積書のバタバタが片付いた翌朝、麻見の携帯電話は大きな音を立てて鳴った。

 早出出社の為、スマホのアラームをいつもより早い8時にセットしていたのにそれよりも早い。

『鈴木 さん』 

 ディスプレイに表示されている名前にいち早く気付くなり、受話ボタンを押す。

「もしもし!」

 何か言いたいことがあるのではないかと、時刻を確認するより早く声を上げた。

『今日頭が行かれるそうだ。既に昨日の夜、自宅に帰られている』

 低い淡々とした声を聞きたかったはずなのに、内容は期待したものとは全く違っていた。

「……ってことは鈴木さんも帰ってくるんですか?」

 早く、一緒に寝たい。

『…………俺はその後だ』

「あぁ……。で、何時くらいですか?」

『そっちの携帯に直接連絡してもらうようにする。仕事は何時までだ?』

「6時です」

『それより早く連絡があった場合は早引きしろ』

「え……」

 そんな無茶な。一体どんな理由で早帰りさせてもらえというのだ。

『頭は今日先代の月命日で何かと忙しい。遅くなる可能性の方が高いが、食事会に呼ばれるかもしれないし……服は?』

「ふ、服!? 服って……」

 礼服でないことは確かだろうが……。

『ないならこっちで用意する。お前は携帯だけ気にしてろ』

「え、あ、は……」

 「い」を言い終わる前に電話が切れてしまう。

「………服……」

 その前に会社……。早退……。

 今日はせっかくの6時上がりだ。これ以上早く上がれないという超早上がりの日なのに、早退はとてもしづらいし、第一急に電話がかかってきたという理由が思い浮かばない。

 体調不良……しかないか……。

 なら朝から不調を訴えておいた方がいいか。周りに不審がられないように昼食を一応抜いておこうか。今日の責任者は武之内だ。ごまかしがきかない分、念入りな作戦が必要になる。

 など、様々な段取りを考えておいたにも関わらず、出社早々2人も病欠で休むことが発覚し、己の体調うんぬんの場合ではなくなっていた。朝から2人分の仕事を皆で分担し、運営しなければいけないとなるとなかなか苦しく、あっという間に昼が過ぎる。

昼のレジ点検では+1円の誤差が出ていたが原因を追究する暇もなく、遅めの昼食をとったものの結局いつもより10分以上早めに切り上げて再びカウンターの中に立っていた。

 夕方になってようやく客の数が減り、午前中の作業を今頃になって開始し始めた所で思い出す。

 そういえば今日、昼食抜く予定だった。

 レジの画面にあるデジタルの時刻表示は午後5時31分。携帯はまだ鳴らない。後30分くらいならどうにか持ちこたえられそうだが、人数の関係で残業を言い渡される可能性もある。

 今晩は残業から逃げきれないかもしれないと苦心しながら、再び時計を確認しようとした時、レジ点検中の立札の前に1人の男が立った。

 麻見は慌てて、

「申し訳ありません、そこは……」

 客の方に寄り、顔を見て「点検中なのであちらへ」と言おうとした所で

「葛西の使いの者だが」

 低い声で目を見て言われて、固まってしまった。

 ダークスーツをかっちり身に纏った男は、おそらく40くらいだろう。長い黒髪を真ん中で分け、全体的に後ろになびかせているが、肌がそれほど若くはない。

「駐車場でお待ちだ」

 固まるこちらを無視して、それだけ言うと顎で外に行けと合図する。

「えっ、ちょ……」

 男はすぐにカウンターから離れて行く。麻見はカウンターに自分以外の人がいないことを知りながらも、一瞬だけなら大丈夫だと慌ててその後を追った。

「すみません! もうちょっと待ってくれませんか? 私、6時上がりなんで……」

 真剣な表情で言ったのにも関わらず、男はこちらを見下し、眉間に皴を寄せながら

「お待ちだ」。

 それだけ言うとスタスタと出入り口に向かってしまう。

 腕時計を見た。時刻は5時35分を差している。

「カウンターに戻って」

 聞き慣れた、志貴の神経質な声に麻見は慌てて振り返り、

「はい!」

と勢いよく返事だけして定位置に就く。

 後20分。20分くらいなら、待ってくれるに違いない。

 けど、電話をしようか。いや、番号を知らない。鈴木に……。

 考えているうちにレジに人が並び始めた。

 とにかく、6時には帰らなければならない。6時きっかりには打刻をして、いち早く駐車場に向かわなければならない。

 その一心でレジを打つ。なんとか6時2分に人の波が止み、一瞬間が空いた。麻見は一目散にカウンターから離れ、トランシーバーのマイクに向かって挨拶をするや否や、イヤホンを外すと走ってスタッフルームへ向かった。

 そのまま無人の店長室でタイムレコーダーに打刻をし、更衣室のロッカーからバックを引っさげ、廊下を走る。従業員通用口から近い所に駐車してくれているとありがたいが、そういえばどんな車に乗っているのだろう、そう考えていた時、通用口のガラスドアの向こうにダークスーツが見えた。

「ヤバイ!!」
 
 速度をより上げ、廊下をハイスピードで走りきる。

「すみません!!」

 扉を勢いよく開け、使いの男にとりあえず頭を下げた。

「自分の都合で動いてんじゃねえぞ。……、頭(かしら)がお待ちだ」

 顔がやくざそのものであった。

全身が固まった。

 男はすぐに車目指して歩いて行ってしまっている。

 追いかけようとしても、恐ろしい形相が頭に焼き付いて、怖くて足が進まない。

「麻見」

「きゃあ!」

 背後から突然呼びかけられて、悲鳴が出るほど驚いた。

「何だ?」

 少し離れた男も振り返る。

「す、すみません……お疲れ様でした」

 外回りの通常点検に来ていた武之内に、まさか遭遇するなど思いもよらなかった麻見は逃げるように振り切り、男の後を追う。

「あれは?」

 男に小声で聞かれ、

「店長です」

と素直に答えたが、

「…………」

だからといって、どうでも良かったらしい。

 男は駐車場の端まで歩くと、そこに堂々と停めてあった黒塗りのベンツの後部座席のドアを開けた。

 辺りが薄暗いせいで車内がよく見えず、麻見は覚悟してゆっくり乗り込む。

「す、すみません、お待たせいたしました……」

「とんだ待ちぼうけだ」

 運転席の後ろに乗っていた葛西は、備え付けの灰皿でタバコをもみ消しながら煙を吐きだした。車内は暗く、その表情まではよく分からない。

 ドアは男の手によってバン、と大きな音をたてて閉められ、運転席に移動するなりすぐに発車した。

「すみませんでした。その、あの、……」

「いや、いい。それより……」

「え」

 こちらはまだ謝っているのに、突然背中に腕が伸びてきたと思ったら、すぐに顔が近付いて、思わず身体を思い切り引いた。

「チ……まあだ拒否か」

 いやその、そういうわけじゃ……言おうとしたが、口から言葉が出てこない。

今タバコを揉み消したばかりなのに、葛西は再び胸ポケットから取り出すと、ライターでカチッと火をつけた。

「フー……」

 煙を吹き出す音が聞え、なんとか目を見る……そこには妙に口元の緩んだ、それでいて渋い視線がこちらに向かっていた。

「旅行行って来い」

「…………」

 え!?と言いたかったが口から出てこない。

「あれだ。同じ家で住んでるからなあんも変わらねえんだろ。ちっとは違う景色見て、温泉でも行って来い。混浴なんかどうだ? 全然気分が違うぞぉ」

 何故か嬉しそうに笑っている。

「鈴木と……ですか?」

 運転席からいぶかしげな声が聞こえた。

「そうだよ。鈴木に教え込んでもらえっつってんのに、いつまでちんたらやってんだぁ、アイツは」

「お言葉ですが、頭(かしら)、鈴木にはそういう事は向いてないのでは……」

「アイツもちっとは勉強しなきゃなんねえことがあるんだよ。教育しろって言ってんのが分かんねえようじゃ、この先仕事なんか務まらねえんだよ」

「……はあ……、いえ、おっしゃる通りです」

「なあ?」

 突然話を振られた麻見は、驚いて顔を上げた。

「あ……はい……」

 おっしゃる通りです、と言おうとしてやめた。

「うん、よし。さ、今日はもう帰れ」

「え?」

 思わず声に出てしまう。気分は完全に、綺麗な服を着て食事会だったのだが、え、帰る??

「おう、温泉の場所でも探しとけ。どこがいいかな……、なあ南条(なんじょう)、どっかいいとこあるか?」

「…………」

 運転手の南条は、たどたどしくも自らの経験を交えて温泉話をなんとか盛り上げようとしてはくれるが。当の麻見は全く理解ができずにただ固まっていた。

 鈴木と旅行に? しかも葛西がそれを提案する? でもさっきキスしようとしたし……。

「土産買って来いよ。鈴木には小遣い渡しとく」

 ただ言えることは、葛西はいつも上機嫌で。絶対に嫌われていない自信があるのに、何故鈴木に構わせようとするのか、何故自ら絡んでこようとしないのか、全くもってその神経を麻見には理解することはできなかった。
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