徹底的にクールな男達
1月

救世主はチャラ男

♦(1/15) 
 鈴木とのクリスマスは何事もなく終わった。

 何かあると予感したかったが、最後までいき果てたところで、この関係が崩れるのなら最初から手を出さない方が良いと冷静に感じていた。

 鈴木もそれを臨んでいる気がする。

 双方の意見が合致した上で、クリスマスはただケーキを食べてそのままいつも通り同じ布団に入って寝た。

 クリスマスに限らず、毎日それを繰り返す中で、甘美な薄い快楽が記憶から呼び出されることもある。だがその中に身を投じてしまったら最後……、再び一緒には寝られなくなるだろう。

 冷静に考えればただの都合のよい温もりであるが、合意の上ならばそれでも良い。

 その後の年末はお互い忙しく、鈴木は二、三日帰って来なかった。それと同時に送り迎えの習慣がすんなりなくなり、自らバス通勤を選んだ。

 雪でもチラつきそうなほど冷える今日のような日こそ、鈴木が温めてくれた助手席にぼんやり座っていただけの日々のありがたみがよく分かる。

 本日1月15日。年末年始のバタバタが嘘のように引いた月曜日の麻見のメインの仕事は、店周りの蜘蛛の巣取りであった。

 午前中はカウンターの中だが、午後の暇な数時間は掃除である。

 暇月だからみんながそうというわけではない。

 ろくに仕事ができない人だけが、人件費節約のために掃除を当てられているということだ。

 寒い中制服の上に上着を着たはいいが、スカートにストッキングで、専用の長細い棒を持って壁面をぐるりと移動していく。

 確かにくぼみや影に蜘蛛の巣は多いが、それよりも寒さが身に染みて手が凍えた。

そんな麻見を、おそらく昼食の合間で見に来た三笠副店長は、上着も羽織らず寒そうにスラックスのポケットに手を突っ込み、背を丸めて片手に缶コーヒーを持っていた。

 ブラウンの長めの髪の毛を軽く逆立て、襟足も少し長め。腰履きにしているズボンの脚は細く、身長は180センチ程度なのに身体つきは細いながらも筋肉がしっかりとついた褐色の肌。甘いマスクで笑顔を際立たせ、いつも女性陣の中に溶け込んでいる姿が印象的だ。

 仲の良い女性の肩に手を置いていることもあるし、なんだかとても女性馴れしている。

 麻見的にはどちらかというと苦手なタイプだった。

 あの一件以来これといった会話もなく、そういう輪の中に入ることもない麻見は、単に軽々しいノリの三笠が好きではなかった。

「……麻見」

「、はい」

 その声は少し真剣味を帯びていたが、麻見は気付かないふりをして作業を続けながら片手間で返事をした。

「悔しくないわけ?」

 えっ?

 驚いて手を止め、三笠の顔を見た。

「正社員で、ただのレジで。掃除して。それに比べて沙衣吏は副部門長だよ」

 沙衣吏って……仲良さそうとは思っていたけど、下の名前で呼び捨てですか。

「…………」

 そんな所に腹が立ったつもりが、やはり心は見下されていることに思い切りへこんでいた。

「こんな掃除なんか普通、バイトがやるもんだと思わない? 自分でも」

「…………」

 ただ、涙が溢れた。そんなことを気にしながら掃除をしているわけではないのに。言葉にされた途端、ただ悲しさでいっぱいになった。

「悲しかったら真面目に仕事しろよ」

「…………」

 不真面目に仕事をしているつもりはない。遅刻だってしたことないし、ルーチンワークはいつも通りこなしている。

 その、何が不真面目だというのかは逆に教えて欲しいくらいだった。

「海外行きたいんだって?」

 そんなことはすっかり忘れていた。福原はちょっかいを出してきたり、沙衣吏と3人で食事に行ったりはするが、そういう話にはならなかったし。

 福原も、忘れているんだと思っていた。

「……あれは、福原部門長が……」

「福原君? 一緒に行きたいとか言いだしたわけ?」

「そんな感じで、巻き込まれて……」

「いやそれ、巻き込まれたってどういうわけ? 自分は行きたくないの?」

「…………」

「武之内店長から、カウンター外して倉庫に行かせる案が出てる」

「…………」

「あれから武之内店長と話した? 年末年始のバタバタがあって忙しかったと思うけど」

「…………」

 麻見は軽く頭を振った。

「給与評価も見たけど。前店長の時より下がってるし。やっぱりちょっと浮ついてる感じがする」

「浮ついてるって何ですか……」

 耐えられなくて、口を開いた。

「任せられないって意味。現金誤差も減らない。最近はむしろ増えてる。努力の影も見えない。適当にレジ打ってるだけのバイトと同じだよ。しかも、後藤田さんの件や従業員出入り口のことで、特に武之内店長は不信感を抱いてる」

 三笠の真剣な表情に、悔しくなって、

「後藤田さんのことだって! だって、私は店長が一番の物を目指せって言うから売上一番を目指したんです! それが、たまたま知り合いの後藤田さんで……結局一千万も破談になりましたけど、あれだってもうちょっと頑張れば……」

「頑張るって何? ホテルに行く事を頑張るって意味?」

「…………」

「そんなの誰も望んでないんだよ。そもそも売上一位っていう所が間違ってる。
レジは笑顔でレジして誤差なくす。お客さんを気持ちよく笑顔にさせる。それだけだよ。レジに望まれてることなんて」

「……ハードルが高すぎましたね」

「というか、ズレてるよ」

 胸に響いた。

「従業員通用口のことも、何回言っても話聞いてないって言ってたよ。柄悪いのがいつも来てるって」

 南条のことだろうけど、あれだって、一回しか来てないのに……。

「……じゃあもう私、やめます」

 何を言えばいいのか、分からなくて思いついた一言を吐きだした。

「何を? 掃除?」

 手に持っている蜘蛛の巣がからみついた棒を眺めて、麻見はもう一度言った。

「……仕事…………」

 言った途端嗚咽が漏れた。

「辞めさせたいと思って言ってるわけじゃない。俺は、麻見は考え方を変えればまだ大丈夫だと思ってる。

いいか? とにかく笑顔でお客さんに接するんだ。相手が何をどうしてほしいのかをよく聞く。たまに電話応対もしてくれるよな? その時は特にそう。何がなんだか分からないまま他の人に頼るんじゃなくて、自分で出来る限り相手の話を聞く」

 目を擦り、背を丸めた麻見の背中をポンと三笠は叩いた。

「大丈夫、大丈夫。できる、できる。話をよく聞くってこと。それをできる限り実行してあげるってこと。分からない時点で他の人を頼る」

「…………」

 背中を、大きな手がゴシゴシとさすった。

「まあでも今日は夕方までは掃除だ。蜘蛛の巣取りながら、ほらここ、草生えてるだろ?ゴミも取る。蜘蛛の巣を取ることが紙に書かれた仕事なんだけど、用は外回りを綺麗にするってことだから。考えてしてみ? 」

「………はい……」

 鼻を吸いこみながら答えた。

「武之内店長のウケは確かによくはない。けど、ちゃんとする気があるんだってことを見せれば大丈夫、勘違いされてるだけだから。

麻見は、できない子じゃないから。やればできる子だから。売上一位狙ってた時はカタログも持って帰ってたんだろ? やり方は間違ってない。狙ってるところが少しズレてたけど、その目標だって別に悪いことじゃない。

だけど今は、さっき俺が言ったことを実行すればいい。分からなくなったら聞いてくれればいいし。武之内店長から直接指示を仰ぎたいんなら、俺が間持つし」

「それは、別にいいです……」

「まあ色々な店長がいるから。合わない人もいると思うし」

 三笠は軽く笑った後、今度はこちらをしっかりと見つめて言った。

「麻見……、カウンター部門長目指すか」

「…………」

 そこまでは、まだまだ距離が遠い気がして黙った。

「何で黙ってんだよ。まあそのためには、今の平から脱出しないといけないし、難しいかもしれないけど。やりたいこと、なりたいビジョンも考えとけばいい」

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