徹底的にクールな男達
2月
一冊の監査対象ファイル
(2/1)
♦
「おはようございます……」
「えっ、何? 服間違えた?」
店長室でパイプ椅子に腰かけ、真剣に書類に目を通していた三笠は、目を真ん丸にして、私服で朝一出社した麻見を見詰めた。
「いえ、今日休みです……。あの、実は昨日監査項目の対象になっている資料がないことに気付いて、探しに来ました……」
「ええ!? 何!? もしかして顧客情報関連?」
「そうです。5年間保管対象になってるリストの方です。先月の分がないと思うんです」
「えー……でも昨日武之内さんから電話あった時は何も言ってなかったけどな。言ってない?」
「とても……言えませんでした。リストをファイルにまとめとくように言われたの私で、私もまとめた記憶があるんですけど、どこに置いたかが分からなくて」
「金庫か書庫は見た?」
「書庫は見ましたけど、金庫は……」
三笠はいつにない真剣な表情で、
「……」
すぐ壁際にある物置きほどの大きさの金庫を開けた。
「……ないね。まあまずあるはずがないわな。書庫保管だし。もう一回書庫見て来て。俺はこれから朝礼だから。書庫になかったら店内全部探さなきゃなんない。ゴミ袋の中も全部。赤いファイルだから分かりやすいのが幸いだな。まあとにかく見て来て。俺これから朝礼だから。はい鍵」
「すみません」
麻見は手に取るなり、走って店長室を出た。
書庫は昨日何度も見た。武之内に書庫の鍵を借りるのにも勇気が必要で、何か余計なことを聞かれたらどうしようと不安だったが、月末の忙しさから難なくクリアできた。
しかし、ファイルは出て来なかった。
あまり資料室で時間をとるわけにもいかず、ないことを相談することもできず。もしかして、金庫の中に間違えて誰かが入れた可能性もなきにしもあらずと思い、三笠が出社日の今日、あえて出てきたのだ。
あの顧客リストが紛失した場合の店長の責任はおそらくとんでもなく大きい。
麻見は、とにかく資料室の鍵を開け、かたっぱしから探し始めた。
「依子さん、カウンターの中見たけどなかったよ。ファイル」
もしかして置き忘れたかもしれないスタッフルームや更衣室、廊下に備品室を巡り、倉庫でゴミ袋を探す前に、もう一度昨日探して見つからなかったカウンターの中へ入り込んだ所に真里菜がいつにない面持で話しかけてきた。
「…………、私、昨日も探したもんね……」
事が大きすぎて、みんなが心配してはいけないと、あえて誰にも言っていなかったが、おそらく三笠が朝礼で探すように発信したのだろう。
「さっきメールでレジの子に聞いたら、依子さんがファイル閉じてる所見たって言ってました。けどそれをどこに置いたかは知らないって」
「もうほんとに……見つからなかったら……」
こちらが話しかけているのにも関わらず、真里菜は視線を逸らしてイヤホンに手を添えている。真里菜は仕事中だ邪魔をしてはいけない。そう思って背を向けた途端、
「はい……、依子さん、店長室で武之内店長が待ってるって言ってます」
「えっ!?」
麻見はまさか、と真里菜の顔を見つめた。
「今日武之内店長昼から出社でしたっけ? 休みだと思ってたんだけどなあ」
真里菜は呑気に呟いたが、当の麻見はそれどころではなかった。
「今日休みだったよ……間違いなく。とりあえず、行くわ」
後ろで真里菜が何か言った気がしたが今はそんなことに気を取られている場合ではなかった。
ここ2週間、自分の中で心持が変わり、三笠の指導の下、真面目にしてきたつもりである。誤差はまだ減らないが、それでも今ここでまた武之内に目をつけられたら……。
カウンターから外され、倉庫の荷受け番にまわされてしまう。
今せっかく目指すところを見つけたんだから、昇っていく途中なんだから。そう焦りながら、走って店長室を目指した。
「失礼しま……」
言うより先に、武之内は入口を睨んで立っていた。
「昨日からなかったんだって?」
武之内の私服を初めて見た。ジーパンにシャツにカーディガン。紺色でまとまっていて実にいい感じだが、今はそんな場合ではない。
麻見は一瞬で視線を切り替えると、
「……はい……」
それだけ言って顔を伏せた。
「昨日の夜ならまだ場所が移動していないかもしれないけど、今日の朝になって店が動き始めてから探すとなると人も入れ替わって探しづらいんだよ」
声は低く、少し掠れている。風邪気味のようで、そんな日にわざわざ出社させてしまった自分のミスが悲しかった。
「……す、すみませんでした……」
「麻見」
麻見は、数秒遅れて顔を上げた。
倉庫を言い渡されるような気がして、ただ怯えて待った。
「今日探して見つからなかったら本社に連絡する」
それは、武之内の首にもつながっているのかもしれない。
なら、私がやめます。
「見つからなかったら……私……」
「どこかにはあるはずだ。誰かに持ち出されてないんならな。最悪なパターンは、カウンターの上などに置き忘れてお客さんが持って帰ったという事態だが」
「…………」
「昨日の行動を思い返して最初から探せ。で、なかったら全員のロッカーを開けて行く」
「え……」
思いつきもしなかった手順に、麻見は口を開けた。
「そういうことなんだよ、麻見。店内のメンバー全員に、迷惑をかけてるということなんだよ」
「……すみま……」
「まずはもう一度カウンターを探して、順に備品室、高額商品室、倉庫、売り場だ。これで9割くらい探したことになる」
「か、カウンターは今日の朝見ました。備品室も……」
「じゃあ俺がカウンターと備品室を見る。お前は念のため売り場を見に行け。その後倉庫にしよう。昨日倉庫行ってないんだろ?」
「行ってないです」
「ならいい」
生きた心地がしなかった。
武之内の口調はいつになく厳しく、視線も合わせられないほどであった。それから1時間、売り場をくまなく探したが、それらしい物はどこにも見つからない。
そりゃそうだ。売り場にあれば誰かが気づく。
私、本当にどこに置いたんだろう………。
しかしそろそろ探し終えて見つからなかったという報告をしなければと、売り場から武之内の姿を探した。だが、姿は見えない。
先も……見えなくて……。心がとても重い。
「依子さん!! 」
そんな中で暗闇に光を指すように、真里菜が大声でカウンターから走って来ているのが見えた。
「依子さん!! あった、倉庫に!! 倉庫の人が見つけたよ!!」
「えぇ!? 倉庫に!? 何で倉庫に!?」
「分かんないけど!! 良かった~!!」
何故倉庫に、という納得いかない気持ちが先にたったが、真里菜の笑顔に、すぐに
「あ、ありがとう!!」
と、感謝の気持ちを述べた。
麻見はすぐに倉庫に向かって駆け出した。倉庫に入るなり、赤いファイルの中身をチェックする武之内が目につく。
「あのっ……あったって……」
手にしているのは間違いなく顧客リストだ。
「あぁ……」
言葉にならなかった。それくらい、武之内は無表情であった。こちらを見剥きもせず、倉庫から出ると売り場を通り過ぎ、カウンターへと向かって行く。
その速足を後ろから追いながら、
「あの、私昨日倉庫へ行った覚えは……」
だが、そんなことはどうでもいい、と振り向いてももらえない。
売り場からスタッフルームへ続く廊下へ出ると、今度は沙衣吏が掃除道具置き場を片付けていた。
「武之内店長、廊下は確認しましたが……あ!! あったんですね!!」
わざわざ掃除道具置き場まで……。その瞬間、武之内を笑顔で見上げる沙衣吏の美しい表情に、手を伸ばしても届かないほど距離が開いてしまっていることを感じた。
「中津川、マイク貸して」
武之内は、まるで勝手知ったる我が物のように。
沙衣吏の胸元に手を出し、トランシーバーに繋がったマイクを手渡してもらうと声を整えて喋り始めた。
「みなさん、お騒がせしてすみませんでした。ファイルは発見しました。お手数をおかけいたしました。申し訳ありません」
「あって良かったです。それだけですよ、みんなほんとに」
沙衣吏の最高のコメントに、武之内は信じられないほど穏やかに頬を緩ませ、
「悪かったな、こんな所まで探させて」。
「いえ、丁度片付けできました。カウンターもそうですよ。ファイルがごちゃごちゃになってたし」
そういえば、レジで管理しているファイル……ごちゃごちゃだ……。
武之内は沙衣吏と話終わると、先へ向かって歩き始めた。
「す、すみません!! あのでもっ!!」
私は昨日倉庫へは行ってない!!
「後でみんなに謝っておけ」
「…………はい。…………でもどこにあったんですか?ファイル」
「倉庫のティッシュ置き場に青い電話帳ファイルと一緒に置かれてたそうだ。麻見、昨日倉庫に行ってないか?」
行ってないって言ったのに……、信じてないんだ。
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「おはようございます……」
「えっ、何? 服間違えた?」
店長室でパイプ椅子に腰かけ、真剣に書類に目を通していた三笠は、目を真ん丸にして、私服で朝一出社した麻見を見詰めた。
「いえ、今日休みです……。あの、実は昨日監査項目の対象になっている資料がないことに気付いて、探しに来ました……」
「ええ!? 何!? もしかして顧客情報関連?」
「そうです。5年間保管対象になってるリストの方です。先月の分がないと思うんです」
「えー……でも昨日武之内さんから電話あった時は何も言ってなかったけどな。言ってない?」
「とても……言えませんでした。リストをファイルにまとめとくように言われたの私で、私もまとめた記憶があるんですけど、どこに置いたかが分からなくて」
「金庫か書庫は見た?」
「書庫は見ましたけど、金庫は……」
三笠はいつにない真剣な表情で、
「……」
すぐ壁際にある物置きほどの大きさの金庫を開けた。
「……ないね。まあまずあるはずがないわな。書庫保管だし。もう一回書庫見て来て。俺はこれから朝礼だから。書庫になかったら店内全部探さなきゃなんない。ゴミ袋の中も全部。赤いファイルだから分かりやすいのが幸いだな。まあとにかく見て来て。俺これから朝礼だから。はい鍵」
「すみません」
麻見は手に取るなり、走って店長室を出た。
書庫は昨日何度も見た。武之内に書庫の鍵を借りるのにも勇気が必要で、何か余計なことを聞かれたらどうしようと不安だったが、月末の忙しさから難なくクリアできた。
しかし、ファイルは出て来なかった。
あまり資料室で時間をとるわけにもいかず、ないことを相談することもできず。もしかして、金庫の中に間違えて誰かが入れた可能性もなきにしもあらずと思い、三笠が出社日の今日、あえて出てきたのだ。
あの顧客リストが紛失した場合の店長の責任はおそらくとんでもなく大きい。
麻見は、とにかく資料室の鍵を開け、かたっぱしから探し始めた。
「依子さん、カウンターの中見たけどなかったよ。ファイル」
もしかして置き忘れたかもしれないスタッフルームや更衣室、廊下に備品室を巡り、倉庫でゴミ袋を探す前に、もう一度昨日探して見つからなかったカウンターの中へ入り込んだ所に真里菜がいつにない面持で話しかけてきた。
「…………、私、昨日も探したもんね……」
事が大きすぎて、みんなが心配してはいけないと、あえて誰にも言っていなかったが、おそらく三笠が朝礼で探すように発信したのだろう。
「さっきメールでレジの子に聞いたら、依子さんがファイル閉じてる所見たって言ってました。けどそれをどこに置いたかは知らないって」
「もうほんとに……見つからなかったら……」
こちらが話しかけているのにも関わらず、真里菜は視線を逸らしてイヤホンに手を添えている。真里菜は仕事中だ邪魔をしてはいけない。そう思って背を向けた途端、
「はい……、依子さん、店長室で武之内店長が待ってるって言ってます」
「えっ!?」
麻見はまさか、と真里菜の顔を見つめた。
「今日武之内店長昼から出社でしたっけ? 休みだと思ってたんだけどなあ」
真里菜は呑気に呟いたが、当の麻見はそれどころではなかった。
「今日休みだったよ……間違いなく。とりあえず、行くわ」
後ろで真里菜が何か言った気がしたが今はそんなことに気を取られている場合ではなかった。
ここ2週間、自分の中で心持が変わり、三笠の指導の下、真面目にしてきたつもりである。誤差はまだ減らないが、それでも今ここでまた武之内に目をつけられたら……。
カウンターから外され、倉庫の荷受け番にまわされてしまう。
今せっかく目指すところを見つけたんだから、昇っていく途中なんだから。そう焦りながら、走って店長室を目指した。
「失礼しま……」
言うより先に、武之内は入口を睨んで立っていた。
「昨日からなかったんだって?」
武之内の私服を初めて見た。ジーパンにシャツにカーディガン。紺色でまとまっていて実にいい感じだが、今はそんな場合ではない。
麻見は一瞬で視線を切り替えると、
「……はい……」
それだけ言って顔を伏せた。
「昨日の夜ならまだ場所が移動していないかもしれないけど、今日の朝になって店が動き始めてから探すとなると人も入れ替わって探しづらいんだよ」
声は低く、少し掠れている。風邪気味のようで、そんな日にわざわざ出社させてしまった自分のミスが悲しかった。
「……す、すみませんでした……」
「麻見」
麻見は、数秒遅れて顔を上げた。
倉庫を言い渡されるような気がして、ただ怯えて待った。
「今日探して見つからなかったら本社に連絡する」
それは、武之内の首にもつながっているのかもしれない。
なら、私がやめます。
「見つからなかったら……私……」
「どこかにはあるはずだ。誰かに持ち出されてないんならな。最悪なパターンは、カウンターの上などに置き忘れてお客さんが持って帰ったという事態だが」
「…………」
「昨日の行動を思い返して最初から探せ。で、なかったら全員のロッカーを開けて行く」
「え……」
思いつきもしなかった手順に、麻見は口を開けた。
「そういうことなんだよ、麻見。店内のメンバー全員に、迷惑をかけてるということなんだよ」
「……すみま……」
「まずはもう一度カウンターを探して、順に備品室、高額商品室、倉庫、売り場だ。これで9割くらい探したことになる」
「か、カウンターは今日の朝見ました。備品室も……」
「じゃあ俺がカウンターと備品室を見る。お前は念のため売り場を見に行け。その後倉庫にしよう。昨日倉庫行ってないんだろ?」
「行ってないです」
「ならいい」
生きた心地がしなかった。
武之内の口調はいつになく厳しく、視線も合わせられないほどであった。それから1時間、売り場をくまなく探したが、それらしい物はどこにも見つからない。
そりゃそうだ。売り場にあれば誰かが気づく。
私、本当にどこに置いたんだろう………。
しかしそろそろ探し終えて見つからなかったという報告をしなければと、売り場から武之内の姿を探した。だが、姿は見えない。
先も……見えなくて……。心がとても重い。
「依子さん!! 」
そんな中で暗闇に光を指すように、真里菜が大声でカウンターから走って来ているのが見えた。
「依子さん!! あった、倉庫に!! 倉庫の人が見つけたよ!!」
「えぇ!? 倉庫に!? 何で倉庫に!?」
「分かんないけど!! 良かった~!!」
何故倉庫に、という納得いかない気持ちが先にたったが、真里菜の笑顔に、すぐに
「あ、ありがとう!!」
と、感謝の気持ちを述べた。
麻見はすぐに倉庫に向かって駆け出した。倉庫に入るなり、赤いファイルの中身をチェックする武之内が目につく。
「あのっ……あったって……」
手にしているのは間違いなく顧客リストだ。
「あぁ……」
言葉にならなかった。それくらい、武之内は無表情であった。こちらを見剥きもせず、倉庫から出ると売り場を通り過ぎ、カウンターへと向かって行く。
その速足を後ろから追いながら、
「あの、私昨日倉庫へ行った覚えは……」
だが、そんなことはどうでもいい、と振り向いてももらえない。
売り場からスタッフルームへ続く廊下へ出ると、今度は沙衣吏が掃除道具置き場を片付けていた。
「武之内店長、廊下は確認しましたが……あ!! あったんですね!!」
わざわざ掃除道具置き場まで……。その瞬間、武之内を笑顔で見上げる沙衣吏の美しい表情に、手を伸ばしても届かないほど距離が開いてしまっていることを感じた。
「中津川、マイク貸して」
武之内は、まるで勝手知ったる我が物のように。
沙衣吏の胸元に手を出し、トランシーバーに繋がったマイクを手渡してもらうと声を整えて喋り始めた。
「みなさん、お騒がせしてすみませんでした。ファイルは発見しました。お手数をおかけいたしました。申し訳ありません」
「あって良かったです。それだけですよ、みんなほんとに」
沙衣吏の最高のコメントに、武之内は信じられないほど穏やかに頬を緩ませ、
「悪かったな、こんな所まで探させて」。
「いえ、丁度片付けできました。カウンターもそうですよ。ファイルがごちゃごちゃになってたし」
そういえば、レジで管理しているファイル……ごちゃごちゃだ……。
武之内は沙衣吏と話終わると、先へ向かって歩き始めた。
「す、すみません!! あのでもっ!!」
私は昨日倉庫へは行ってない!!
「後でみんなに謝っておけ」
「…………はい。…………でもどこにあったんですか?ファイル」
「倉庫のティッシュ置き場に青い電話帳ファイルと一緒に置かれてたそうだ。麻見、昨日倉庫に行ってないか?」
行ってないって言ったのに……、信じてないんだ。