徹底的にクールな男達
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(2/17)
『もしもし、おはようございます。すみません……昨日に引き続いてなんですけど、今日もやっぱり体調が悪いのでお休みします……』
「……あそう。健康検査の結果、昨日来てたみたいだよ。三笠副店長から連絡なかった?」
『……なかったですけど……』
「じゃあ今日取りに来る?」
『……はい。今日取りに行ってから病院行きます』
「はい……」
昨日公休で一日寝ていたおかげか、肩凝りはマシになっている。
麻見のことでほとほと困り果てている武之内は、電話を切ってから大きな溜息をついた。
体調不良で休むのは仕方ないが、レスエストって……。それで気分が安定しないのか……。
俺の前では不機嫌な顔を見せたりすることが多かったが、それが病気のためとなると、本社勤務も難しいのではないかと思う。
本人が自覚しているのかどうかは分からないが、随分落ち込んでいることもあれば、イライラしてとっつきにくいこともある。その不安定さを周りは敏感に感じ取るものだ。
高岡部長は優しいので分かってくれる可能性もあるかもしれないが、事態は白紙に戻ったと言っても過言ではない。
武之内は水色の封筒に入った健康検査の原本とは別に、自分のバックから取り出した一枚の茶色い封筒からわら半紙を取り出した。見つめて、溜息を吐いて、封筒にしまう。
それにしても、麻見はとことん迷惑をかけてくれる……。
本社行きが危うくなった今、やはり自分で麻見の心をとらえるしかないのかもしれない。麻見を自由に動かすことができるようになれば、吉沢もうまく動くだろうし、店全体的に良くなってくる。
一番悪いところを、一番にてなづける。それがこの店の運営を良くする鍵なのだ。
「取りに来ました……」
ほんの10分少々でいつものコートを着て現れた麻見は、肩で息をしながら店長室に入って来た。午前9時前。朝の準備の人数が今日は多いため、他に任せることにして、
「ドア閉めた方がいいなら閉めて」
と、密室にしてから麻見と向かい合った。
「これ。昨日来てたらしい。僕は昨日休みだったから」
水色の封筒を手渡すと、白い顔の麻見はその場で封を破った。
「あとこれ。皴になって落ちてたからゴミかどうか確認するために中見せてもらったよ」
A4のコピー用紙は長机の上に出した。
「えっ!? 」
麻見は破られた封の中の、水色の用紙を見ながら声を出して息を吸った。
今度は何だと、静観することにする。
「ち、ちょっとすみません」
麻見は今机の上に出したばかりの皴になったコピー用紙を開くと、原本と照らし合わせ始めた。
「再検査って書いてない」
「え?」
自ら用紙を広げてきたので、見ていいものだと覗き込んだ。
「ああ、確かに書いてないね。原本はそっちなんだからそうなんじゃない? 再検査しなくても、検査結果はこれに決まったんじゃない?」
「…………」
「その保険機関に聞いてもいいけど、そもそもこのコピーがまあ、本物じゃないからね。コピーだから。
で、なんだけど、一応僕宛てに書類も来てね」
麻見は再検査の文字があるかどうかに集中してこちらの話をあまり聞いてはいないようだったが、それでもいいと先ほどしまったばかりの茶色の封筒の中の一枚の用紙を取り出した。
「これは国から僕の家宛てに届いた書類で、体調悪い時の休みの申請ができるようになってるとか、そういうことなんだけど。はい。僕はちゃんと読んでサインしてるから」
一枚のわら半紙には小さな文字で確認事項がずらりと並んでいるため、一々読むのが面倒だという顔がすぐに出ている。
「はい。ちょっと。ざっとでもいいから読んでみて。誤解があるといけないから」
麻見はようやく水色の用紙を置き、わら半紙を手に取った。
「えっ!?」
固まり、次に白紙になっている裏面も確認した。
「表だけ。その一枚だけだから。サイン用紙は別だけど説明書はその一枚」
「あの……武之内店長……私のこと、嫌いじゃないんですか?」
何でこのタイミングでその質問なんだ、何をとぼけたことを言ってるんだと、呆れを通り越して笑いが出た。
「いや、それとこれとは全く関係ないから。別に嫌いでもないし。仕事をする仲間として、大切な1人だと思ってるよ」
それらしいセリフを並べてみただけだが、麻見は目を真ん丸にしてわら半紙とサイン用紙と俺の顔を見比べた。
「……麻見がいらないならそれは破棄するから」
「えっと、えっと、えっと……」
明らかに動揺を隠せない麻見は、用紙を握り締め、顔を伏せた。おそらく全て読んだわけではなかろうし、今も続きを読んでいる風ではない。
「落ち着かないんなら家帰って読んで。書類を提出するんなら、その時は一言言ってくれた方が助かるけど」
提案したが、どうせ話は聞いていない。
「あのっ!! か、確認してもいいですか? これ、なんかすごく遠回りに書いてあるけど、確認してもいいですか?」
「どうぞ?」
顔は真っ赤になり、冷静さを完全に欠いているが、内容が内容だけに仕方ない。正常な人間であってもそうなるだろう。
「要はその、あの、私これ後藤田さんにも提案されたんですけど。……その………」
言葉が選べないんだろう。
「そこに書いてある通り。
……その症状を改善するために必要なホルモンバランスの形成(身体のリラックスなど)に協力致します。その際の宿泊費は(食費娯楽費含まず)、国営のホテルをご利用して頂いた際は無料になります。署名、捺印した上でお手数ですが同封されている封筒に入れて送り返してって……まあ、変な事件も多いから。役所としてはこうでもしといた方がいいと思ってるんじゃないの?
患者が勤務する会社で推薦された人宛てに、役所が送ってるんだって。大企業はこの様式で送られてるらしい。相談する相手がいなくて自殺者が出たりした辺りからそんなシステムになったみたいで。
僕としてはもちろん拒否する権利もあるけど、もし麻見が困っていたら最後の手くらいにはなるよというだけで」
「…………」
「まあ、あんまり変な風にはとらないでほしい。僕の中で従業員の誰であろうと困っていたら、できる範囲で手助けするというだけだから。会社的にもそういう方向だから」
「あの……他にそういう人が会社にいるってほんとですか?」
「個人情報だから言えない」
「あ、そうですか……」
麻見は何を考えているのかさっぱり分からない無表情で突っ立っている。
「で、さっきの話に戻るけど。後藤田さんにもそう言われたの? 後藤田さんにもその書類が来てたってこと?」
そんなことあるのだろうか、あれば絶対に偽造だと確信しながら。
「いえ、別にそれは口頭で……。その結果のコピーを渡された時に、相談に乗るって言われたんです。病院の紹介所とかはよくないからって」
「確かに、病院はよくない噂は聞くけど。一回個人病院が患者を風俗に売って問題になった件があったしね。
で、後藤田さんが何でそんなコピー持ってたわけ?」
「……知りません。しかも、微妙に内容が違うし……」
「再検査以外にも違うところある?」
「いや、それはないですけど、なんでこの再検査をくわえたんだろう……」
「……まあ……。いづれにせよ、そんな公式のデータのコピーを持ってるなんておかしいよ。とても、全うな人間には思えない」
本当に関わらない方がいいと思ったので、強めの口調で言が、
「……会社の社長だから、その検査機関ともつながってるのかも」。
「まあそうかもしれないけど……。付き合い方は考えた方がよさそうだよ」
俺は立ち上がった。そろそろ、売り場に行かなくてはいけない。
「あの……」
まだなんだと、俺は今度は逆に上目使いの麻見を見た。
「武之内店長、私のこと、ほんとに嫌いじゃないんですか?」
いやだから、どういう質問なんだそれ……。
「……麻見の思い込みなんじゃないの? 僕は別に、誰のことも嫌いだと思いながら仕事したことはないけど」
「そうなんですか……」
既に麻見は俺のサインに目を落としている。
どうせ、話は聞いていないだろう。
「今日一日はゆっくり休んどけばいい。明日は出社できそう?」
「えっ、ああ……いや、ちょっと考えてきます」
「…………、…………」
麻見は皴になった用紙と、封筒二つを手にし、店長室を先に出た。
考えるって何だ……。一層溜息は深くなる。
(2/17)
『もしもし、おはようございます。すみません……昨日に引き続いてなんですけど、今日もやっぱり体調が悪いのでお休みします……』
「……あそう。健康検査の結果、昨日来てたみたいだよ。三笠副店長から連絡なかった?」
『……なかったですけど……』
「じゃあ今日取りに来る?」
『……はい。今日取りに行ってから病院行きます』
「はい……」
昨日公休で一日寝ていたおかげか、肩凝りはマシになっている。
麻見のことでほとほと困り果てている武之内は、電話を切ってから大きな溜息をついた。
体調不良で休むのは仕方ないが、レスエストって……。それで気分が安定しないのか……。
俺の前では不機嫌な顔を見せたりすることが多かったが、それが病気のためとなると、本社勤務も難しいのではないかと思う。
本人が自覚しているのかどうかは分からないが、随分落ち込んでいることもあれば、イライラしてとっつきにくいこともある。その不安定さを周りは敏感に感じ取るものだ。
高岡部長は優しいので分かってくれる可能性もあるかもしれないが、事態は白紙に戻ったと言っても過言ではない。
武之内は水色の封筒に入った健康検査の原本とは別に、自分のバックから取り出した一枚の茶色い封筒からわら半紙を取り出した。見つめて、溜息を吐いて、封筒にしまう。
それにしても、麻見はとことん迷惑をかけてくれる……。
本社行きが危うくなった今、やはり自分で麻見の心をとらえるしかないのかもしれない。麻見を自由に動かすことができるようになれば、吉沢もうまく動くだろうし、店全体的に良くなってくる。
一番悪いところを、一番にてなづける。それがこの店の運営を良くする鍵なのだ。
「取りに来ました……」
ほんの10分少々でいつものコートを着て現れた麻見は、肩で息をしながら店長室に入って来た。午前9時前。朝の準備の人数が今日は多いため、他に任せることにして、
「ドア閉めた方がいいなら閉めて」
と、密室にしてから麻見と向かい合った。
「これ。昨日来てたらしい。僕は昨日休みだったから」
水色の封筒を手渡すと、白い顔の麻見はその場で封を破った。
「あとこれ。皴になって落ちてたからゴミかどうか確認するために中見せてもらったよ」
A4のコピー用紙は長机の上に出した。
「えっ!? 」
麻見は破られた封の中の、水色の用紙を見ながら声を出して息を吸った。
今度は何だと、静観することにする。
「ち、ちょっとすみません」
麻見は今机の上に出したばかりの皴になったコピー用紙を開くと、原本と照らし合わせ始めた。
「再検査って書いてない」
「え?」
自ら用紙を広げてきたので、見ていいものだと覗き込んだ。
「ああ、確かに書いてないね。原本はそっちなんだからそうなんじゃない? 再検査しなくても、検査結果はこれに決まったんじゃない?」
「…………」
「その保険機関に聞いてもいいけど、そもそもこのコピーがまあ、本物じゃないからね。コピーだから。
で、なんだけど、一応僕宛てに書類も来てね」
麻見は再検査の文字があるかどうかに集中してこちらの話をあまり聞いてはいないようだったが、それでもいいと先ほどしまったばかりの茶色の封筒の中の一枚の用紙を取り出した。
「これは国から僕の家宛てに届いた書類で、体調悪い時の休みの申請ができるようになってるとか、そういうことなんだけど。はい。僕はちゃんと読んでサインしてるから」
一枚のわら半紙には小さな文字で確認事項がずらりと並んでいるため、一々読むのが面倒だという顔がすぐに出ている。
「はい。ちょっと。ざっとでもいいから読んでみて。誤解があるといけないから」
麻見はようやく水色の用紙を置き、わら半紙を手に取った。
「えっ!?」
固まり、次に白紙になっている裏面も確認した。
「表だけ。その一枚だけだから。サイン用紙は別だけど説明書はその一枚」
「あの……武之内店長……私のこと、嫌いじゃないんですか?」
何でこのタイミングでその質問なんだ、何をとぼけたことを言ってるんだと、呆れを通り越して笑いが出た。
「いや、それとこれとは全く関係ないから。別に嫌いでもないし。仕事をする仲間として、大切な1人だと思ってるよ」
それらしいセリフを並べてみただけだが、麻見は目を真ん丸にしてわら半紙とサイン用紙と俺の顔を見比べた。
「……麻見がいらないならそれは破棄するから」
「えっと、えっと、えっと……」
明らかに動揺を隠せない麻見は、用紙を握り締め、顔を伏せた。おそらく全て読んだわけではなかろうし、今も続きを読んでいる風ではない。
「落ち着かないんなら家帰って読んで。書類を提出するんなら、その時は一言言ってくれた方が助かるけど」
提案したが、どうせ話は聞いていない。
「あのっ!! か、確認してもいいですか? これ、なんかすごく遠回りに書いてあるけど、確認してもいいですか?」
「どうぞ?」
顔は真っ赤になり、冷静さを完全に欠いているが、内容が内容だけに仕方ない。正常な人間であってもそうなるだろう。
「要はその、あの、私これ後藤田さんにも提案されたんですけど。……その………」
言葉が選べないんだろう。
「そこに書いてある通り。
……その症状を改善するために必要なホルモンバランスの形成(身体のリラックスなど)に協力致します。その際の宿泊費は(食費娯楽費含まず)、国営のホテルをご利用して頂いた際は無料になります。署名、捺印した上でお手数ですが同封されている封筒に入れて送り返してって……まあ、変な事件も多いから。役所としてはこうでもしといた方がいいと思ってるんじゃないの?
患者が勤務する会社で推薦された人宛てに、役所が送ってるんだって。大企業はこの様式で送られてるらしい。相談する相手がいなくて自殺者が出たりした辺りからそんなシステムになったみたいで。
僕としてはもちろん拒否する権利もあるけど、もし麻見が困っていたら最後の手くらいにはなるよというだけで」
「…………」
「まあ、あんまり変な風にはとらないでほしい。僕の中で従業員の誰であろうと困っていたら、できる範囲で手助けするというだけだから。会社的にもそういう方向だから」
「あの……他にそういう人が会社にいるってほんとですか?」
「個人情報だから言えない」
「あ、そうですか……」
麻見は何を考えているのかさっぱり分からない無表情で突っ立っている。
「で、さっきの話に戻るけど。後藤田さんにもそう言われたの? 後藤田さんにもその書類が来てたってこと?」
そんなことあるのだろうか、あれば絶対に偽造だと確信しながら。
「いえ、別にそれは口頭で……。その結果のコピーを渡された時に、相談に乗るって言われたんです。病院の紹介所とかはよくないからって」
「確かに、病院はよくない噂は聞くけど。一回個人病院が患者を風俗に売って問題になった件があったしね。
で、後藤田さんが何でそんなコピー持ってたわけ?」
「……知りません。しかも、微妙に内容が違うし……」
「再検査以外にも違うところある?」
「いや、それはないですけど、なんでこの再検査をくわえたんだろう……」
「……まあ……。いづれにせよ、そんな公式のデータのコピーを持ってるなんておかしいよ。とても、全うな人間には思えない」
本当に関わらない方がいいと思ったので、強めの口調で言が、
「……会社の社長だから、その検査機関ともつながってるのかも」。
「まあそうかもしれないけど……。付き合い方は考えた方がよさそうだよ」
俺は立ち上がった。そろそろ、売り場に行かなくてはいけない。
「あの……」
まだなんだと、俺は今度は逆に上目使いの麻見を見た。
「武之内店長、私のこと、ほんとに嫌いじゃないんですか?」
いやだから、どういう質問なんだそれ……。
「……麻見の思い込みなんじゃないの? 僕は別に、誰のことも嫌いだと思いながら仕事したことはないけど」
「そうなんですか……」
既に麻見は俺のサインに目を落としている。
どうせ、話は聞いていないだろう。
「今日一日はゆっくり休んどけばいい。明日は出社できそう?」
「えっ、ああ……いや、ちょっと考えてきます」
「…………、…………」
麻見は皴になった用紙と、封筒二つを手にし、店長室を先に出た。
考えるって何だ……。一層溜息は深くなる。