徹底的にクールな男達
8月

8/1 人事移動による新店長


♦ 
「はい、よろしく~」

「…………」

 まだ私、何も言ってないんですけど。

 本日付で桜田店の店長に配属された武之内 智(たけのうち さとし)は、麻見とは初対面にも関わらず、こちらも見ずにレジの画面だけを酷視して言った。おそらく、今ので挨拶をしたつもりなのだろうが、実に雑な部下扱いだ。

「あ、そこの伝票中津川(なかつがわ)が片すからそのままでいいよ。担当者はさっきの子、名前なんだったかなあ。呼ばれてもう売り場に戻っちゃって」

 従業員は約40人しかいない中、新しく移動してきたのは、店長を含め4人。名前くらい簡単に覚えられそうな気はするが。

「はい、…………」

 返事をしながら一応伝票を探す。辺りを見回すと、黒いプラスティックの浅いカゴに数枚の伝票が丸まっていた。

「……」

 伝票を目にしながら、一瞬考える。この人は……私をレジリーダーにまで、上げてくれるだろうか?

 期待を込めて、こちらを見ていない武之内の横顔を上目使いで見上げた。

「…………」

 相手はこちらには全く気付かない。

 息を軽く吐いて、伝票を手に取った。麻見と交代でサブリーダーになった人の名前が堂々とそこにある。今、姿が見えないということは、誰かに遣いを頼まれたか、客に呼ばれたか、いづれにせよ何か仕事をしている証拠だ。

 自分も上がって行かなければいけない。

 転職がないのなら、ここで上がるしかない。

 さて、一旦思考を切り替えて仕事に専念する。

 フロアに立つスタッフは、全員イヤホンとマイクがつながっているトランシーバーを身につけ、常時声のやりとりができるシステムになっているが、伝票に目を通し終わる前に、イヤホンからトランシーバーの声が耳に入り、一同視線を宙に漂わせた。

『すみません、カウンターの方。伝票カゴに入れっぱなしですが、後から自分がやりますので』

 自分のことだと理解した麻見は、すぐに売り場を見渡した。レジを打ったのはサブリーダーだが、販売を担当したのは知らない名前の男性だ。

 端の方で、こちらを見つめる長身の男が1人。黒いスーツのネクタイが少し緩んでいるが、それがらしいと思わせる茶色い無造作ヘア。

『はい、かしこまりました』

 そう返事をしたが、今手が空いているのなら助け合う、というのが自分のスタンスだ。

 返事をしながら不要な伝票を捨て、残りを並べ直して必要な所にマーカーでチェックを入れてから定位置で管理し直す。

「さっそく新しい部門長、睨まれてない?」

 すっとカウンターの中に入ってきていた同期の中津川 沙衣吏(なかつがわ さいり)は、隣に位置しながら小声で囁いた。

 中津川はつやつやのブラウンセミロングから時折見せる、花形の小さなピアスに表された通りの絶妙な女性らしさを振りまいている。

「あ、さっきのそうなんだ……ぽいね」

 麻見は見える位置にいる店長に警戒しながら表情を変えず、レジに手をかけながら続けて聞いた。

「でもさ、さっき見ただけだとちょっとイケメンだけど、結構年きてるよね?」

「37」

「さすが、情報早っ!!」

「今日ご飯行こって言われたよ」

 画面を見ていた視線を、一瞬で沙衣吏に切り替えた。

「手ェ早ッ!!! 行くの!?」

 沙衣吏はそんな視線をものともせず、レジにそっと手を伸ばし、麻見の身体を無言でどけると商品の在庫を確認し始めた。

 その澄んだ視線は画面を凝視しているが、していることは大したことではなさそうだ。

「一緒に行ってくれるんなら行く。驕りだって」

「……、じゃあ……行こ行こ!! 決まり、決まり。え゛、でも私行っても大丈夫かな? 同伴禁止ならあの……」

「何の心配よ」

 沙衣吏は出力されたレシートを取りながら、上品に微笑みかけてくれる。

「私彼氏いるし。だけどまあ、部門長だから仲良くしとくことに越したことはないじゃない? しかも、依子(よりこ)が行くならただの食事会になるし」

「まあ、そっか……」

 遠くから走ってくる部門長が見えて、即2人は話を切り上げた。女はそういうスピードこそ常に磨きをかけており、衰えるはずはない。

「あれっ、伝票……」

 こちらは食事会のことで話が盛り上がっていたせいで、仕事のことなどすっかり忘れていた。

「処理しました」

「悪いねー、お客さんがかぶっちゃって時間なかったから。ゴメンね」

「あの、福原(ふくはら)部門長。今日の食事会、麻見さんも誘ってもいいですよね?」

 どんな表情を見せるかなと2人で顔を覗き込んでいたが、福原は意外にあっさりと、

「もちオッケー! でもここまでね。あんま多いと財布に響くから」

「いやあのっ、私は自分の分は自分でっ……」

「久しぶりに俺に奢らせてよ」

 えっ!?

 驚いて麻見は視線を上げた。

「あれっ? 忘れてた? なあんだ俺だけかよ、覚えてたの」

「えっと、その……」

 どこで会ったっけ、この人と……。

 麻見は上目使いで、そのたれ目と対象的に上がった眉毛を見つめた。

「2年くらい前。臨時応援で来てたのよ、俺」

「ええー!?!? あ、そうなんですか……。でも私、全然覚えてないから、私が休みの日だったんでしょうね。きっと」

「やだから。会ったって」

 焦ったせいで、つじつまが合わなくなり、慌てて、

「いえあの、すみません……」

「謝ることじゃねーし。じゃ、みんな8時上がりだから、8時半で駅前の串カツ予約しとっから」

「私予約します」

 沙衣吏は必要もないのに素早く幹事を名乗り出た。さすが、抜かりのない女性らしさは隣でいると眩しすぎるくらいだ。

「おっ、じゃよろしく~」

 部門長は結局、何の仕事をすることもなく、そのまま売り場に出てしまう。

「沙衣吏、狙われてるんじゃない?」

 麻見は羨ましさ半分で、沙衣吏の腕を肘で突いてにやけた。

「まあさかぁ」

 その笑顔がまた眩しい。

 まさに、お嫁さんにしたい女性ナンバーワンという言葉がピッタリはまる。しかも肩に少しつく程度のストレートセミロングヘアという微妙なラインが男女のみならず、老若のお客様、上司、同僚全ての人からの印象を良くしている気がする。

 現に肩書は部門長補佐で、レジサブリーダーを下ろされたばかりの麻見からすれば、眩しすぎる存在だった。

 しかも、

「依子が行くなら楽しくなりそう。良かった」

と、満点のコメントまで差し出してくれる。

「よっし、今日は夜まで頑張ろ!」

 麻見も気合を入れて沙衣吏と別れ、作業台の上に放置された修理に出すパソコンを片付け始めた。伝票処理ならず、アフターサービス窓口で受けたままになっている雑用もこなすのが私流だからだ。

「麻見さん、それまだ保証番号確認できてないから……」

 窓口業務はもちろん、全てをマルチにこなす店長は、申し訳なさそうに助言してくる。

「確認します」

 まっすぐ前を向いて、てきぱき動く。なのに、

「いや、それよりレジで立ってくれればいい。現金誤差出さないように」

 …………。

 …………。

 …………。

 パソコンを触る、手が止まった。

 次いで、なんとか、相手を見る。

 相手もこちらを見ていて、思わず固まった。

「現金誤差。気を付けるように」

 その目は。
 
 まさに、私が過度にレジ打ち間違いしてると言いたげだった。

 確かに今は一般レジで、肩書も何もないけれども。

 あまりにも、ストレートすぎて。

 雑用まではばかられるほど、できない子扱いなんて。

 「…………」

 はい、の一言が出なかった。

 レジで立っていればいい。

 そう言われただけなのに、店長の真意が、こちらに対する不信感のような物がはっきりと見えた気がして。

 ただただ悲しみだけが込み上げ、強い虚無感に襲われた。
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