徹底的にクールな男達
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「感動的だった」
妊娠が確定した診察の後、車内で武之内が最初に発した一言は、今まで聞いたこともない上ずった声だった。
「まだ全然何も見えていないけど。今まであれほど感動したことはない」
無心で受け止めるしかない、妊娠1カ月。
「自分が父親になるなんて全然実感沸かないな」
「…………」
そんな事言われても……私、やっぱり……。
「……あれ……どこ行ってるんですか? 道、逆じゃ……」
「市役所」
婚姻届を取り、に……?
「いや、ちょっと待って下さい!」
「何で?」
言いながら、車は簡単に左折し、市役所へと走り出している。
「ちょっと待って下さい! 私、やっぱり……無理な気がします!」
「…………」
武之内は滑り込んだ市役所の駐車場に停車してから、ようやくこちらの顔を見た。
「無理って、何が?」
不安と怒りが混じりあった、複雑な視線に、麻見は耐えきれなくて視線を逸らした。
「…………」
「何? 産めないってこと?」
聞かなくても、そういうことに決まっているのに……。許しはしないと、どんどん追い詰めてくる。
「だって……」
だって……そんな……無理に決まってるのに……。
「……先に届け取ってくるよ。家に帰ってから、少し落ち着こう」
いやもう、そんなこと言われても……無理なんですけど……。
妊娠したから結婚って、そういう流れ、やっぱり無理なんですけど……。
一緒に育てていくだなんて。3人で仲良く手を繋いで歩くだなんて、そんな事、無理に決まってるのに……。
「私、やっぱり無理な気がします」
「……何が?」
「…………」
炬燵の上に置いた婚姻届とボールペンを目の前にして、益々気持ちが強くなる。とても、ペンを手にとる気にはなれはしない。
「結婚できないって事? どうするの? 子供」
そんな事、一々聞かなくても、堕ろすに決まっているのに……。
「だって、私……武之内店長と合ってない気がするし……」
「…………、俺はそんな気はしないけど」
…………まあ、私が基本合わせてますからね。
静まり返った部屋の中では、時計の針の音もしない。
「そんなに無理なら何が無理なのか説明してほしい。俺と合ってない気がするってそれは、仕事の話だろ? 仕事では確かにお互いの意見がぶつかってる。その事を今も引きずってるわけ?」
引きずってるって……。
そんな風に私が一方的に悪いみたいに言うから余計嫌なのに……。
息の量も限られる中、突然麻見の携帯のバイブ音が鳴った。
最高のタイミングだと、ここぞとばかりに立ち上がる。
それから、名前を見た。
『後藤田 さん』
このタイミングで!? 完全に忘れていた一昨日の激しい行為を一気に頭と身体が思い出す。
しかし、この電話をとらない理由はない。
「はい」
麻見は受話ボタンを押してから廊下に出て、靴を履いた。
『今どこにいる』
「それがその、ちょっと込み入ったことになりまして」
そのまま玄関から出た。
『何だ?』
「上司の子供を妊娠して……最悪です」
後藤田が何の用事で電話をかけてきたのかも分からないまま、こちらの状況を先に話した。
確か、後藤田は一生面倒をみると言っていた気がする。ほんの一昨日前のことなのに、既に記憶が曖昧で、しかも、別の男性の子供を妊娠しただなんて、最悪の報告だ。
言った後に気付いた。
後藤田は、私のことが好きでどこかに誘うために電話をかけてきたのかもしれない。
『……ま、俺にとってお前はお前だ。例え、人の女になろうとも何も変わらん』
「…………」
度量の広さに驚いて声が出なかった。
『連絡は控えておくがただ……』
ガチャリと玄関のドアが開いて、慌てて振り返った。
だが、そこから出て来たのはこちらを見ていない隣人で。
「はい」
『少しでも迷った時はかけてこい』
「…………、はい…………」
『それだけだ』
電話は、相手が先に切った。ものの、一分ほどだった。
溜息を吐いて、曇り空を見上げた。
何が……なんだかさっぱりだ。
後藤田に話したからといって何かが変わったわけでもなく、そのまま突っ立っていることもできずに、すぐに部屋に戻る。
すると、武之内は同じ格好のままで停止していた。
「会社の人?」
ではない。
「知り合いです……」
「……とにかく、」
話を進めようと座ろうとした時、再び携帯が鳴った。まさか、言い忘れた事が……。
「え?」
画面を見て、驚いて固まってしまう。
「…………何?」
武之内に言われて、固まっていることに気付いた。
「あ、いや……すみません……」
麻見は再び受話ボタンを押して立ち上がりながら「はい」と返事をするなり、
『悪いがすぐに会ってくれ』
切羽詰まった鈴木の声が聞こえた。
すぐに武之内と目が合う。
「それがちょっと、込み入ったことになって……」
同じくだりだと分かりながらもそれ以外に言葉が出ない。
そして、武之内の視線を感じて外にも出にくいので、仕方なく廊下にだけ出て話を続けた。
『どうした?』
「ちょっと、妊娠して……」
小声だが、おそらく武之内も耳を澄ませているだろう。聞こえてはいるはずだ。
『妊娠!? 誰のッ…………』
誰の子か、気になるんだ……。
『……動けないのか?』
いや、それってどういう……。
「そんなことない、動ける」
『なら、2時に表に出てろ』
「2時!?」
慌てて部屋のリンゴ型の掛け時計を見に行った。時刻は1時45分。
「い、急ぎ?」
『今家だろ?』
「うん」
『詳しいことは後で話す』
え、後っていったって……。鈴木の性格だ。2時より前には到着する。電話の背後の雑音からして、車内のようだったし、どこかからもう既にこちらへ向かっている可能性が高い。
電話はそのまま切れた。2時って……。
「あの、いきなりであれなんですけど……」
麻見は武之内の目が見られず、とりあえずバックを探して、携帯、財布を確認しながら喋って気を紛らわす。携帯の充電が少ないので、充電器を持っていくべきだろう。鈴木はアイフォンなので、充電しなければならない事態になるとマイクロUSB端子の物を買いにいかねばならなくなる。
だが、財布の中のお金は必要ない。
「どっか行くの?」