徹底的にクールな男達


 心のどこかで、福原が信頼できる人ならば、武之内店長に言われた一言を相談しようと思っていた。

 なのに、アテが外れた。

 『部門長』なんてれっきとした長なら、もっと下の役に立てばいいのにと溜息を吐きながら、アパートまでの少しの距離を歩く。

 すぐ近くだから構わないと言ったのに、ご丁寧にも福原はすぐ隣に付いて来ていた。

「じゃ、また明日」

 そして自ら言いだして側にいた割に、結局黙ってすんなり帰ってしまう。

 あまり好きになれるタイプではないのかもしれない、そう思いながら1人、玄関のドアを開けた。

 1Kの部屋はこれといってオシャレでもなければ、片付いてもいない。

 思い切ってデコってみようと思いながらも、結局カーテンを明るいピンク色に変えただけで終了してしまっている。

 後藤田の家の件も、前店長の柳原に釘を刺されたせいでそのままになっている。美味しい話には当然裏がある。もちろんこちらとしても警戒心を忘れたわけではないが、家を見に行った時は、このままこのアパートに住むよりは何かもっと新しいことを始めたいと思ったのだ。

 それが、仕事一途な柳原には伝わるはずもない。

「…………」

 時計を確認した。まだ時間は22時。飲み会が盛り上がらなかった証拠か。

 ただ、少し酔ってはいる。

「…………」

 柳原のシフトは今はもう知らない。

 今日が休みであるのならば、時間的にもう寝たかもしれない。

 出社であれば、まだ仕事をしているかもしれない。

 だけれども、そんなことを考えていては永遠に電話をする機会は失われる。

 だから電話をかけてみて、面倒がられれば切ればいいし、折り返してくれるならそれで、とりあえずなんでもいい。

 とにかく今は、聞きたいことがある。

 しかも、仕事に関することなのだから、許されるはずだ。

 そう勝手に信じて、スマートフォンのディスプレイをタッチする。

 まだ、手からバックを下ろしただけの、エアコンが効ききっていない部屋にも関わらず、麻見は勢いだけに乗って柳原に電話をかけた。

 コールは3回、4回、と鳴る。

 出ないことに不安を抱きながらも、5回目のコールが鳴り止んだ途端、電波が一瞬途切れた。

『はい』

 その声は暗く、背後で小さく雑音が聞こえる。

「あ……夜分遅く申し訳ありません。……麻見です」

『あぁ、何? 』

 どうやら部屋のドアを閉めたようだ。雑音が途端に遮断され、誰かと一緒にいるのかもしれないという女の予感が走る。

『どうした? 後藤田さんのことか?』

 今しがた、少し思い出したところなのでその名前が出たことに驚いた。

「いえ……家もまだ契約してません」

『あそう……』

「あの、聞きたいことがあるんですけど」

『うん』

 柳原は淡々と返事をする。

「私、どうして降格になったんですか? 今日、修理のパソコンを包もうとしたら、レジに立ってればいいって言われました」

『武之内さんに?』

「はい」

『色々持ち場以外の余計なことをするからレジの精度が低くなるというのは確かにある。麻見は、店の運営を助けてくれてるんだけれども』

「…………」

 柳原に、自分のしたいことを明確に言葉にされて、しかもその気持ちがきちんと伝わっていることに驚いて固まった。

『麻見はレジ打ちの精度がまだまだだ。だから一旦下ろして、基本からやり直してほしいと思った。やり直せる人だと思ってる』

「…………そうだったんですか……」

 それ以外に言葉が出なかった。更に、自分が思っているよりも柳原が自分を見てくれていたことが少し嬉しかった。

『早かったな……』

「え?」

 意味が分からなくて、もう一度聞いた。

『昨日その話をした時、だいぶショックを受けてたみたいだったから。だから、前向きになるまではその話はしないでおこうと思ってた。けど、今日もう聞きに来たから』

「あぁ……」

 柳原がそこまで考えた、深い思いがあったことに、今更驚く。

『武之内さんとは、話した?』

「いえ……今日初めて会って、パソコン包もうとしたら、レジでいればいいって言われて。なんかすごく冷たくて、そっけなくて。聞く気にもなれなかったし、聞けなかったし」

『うん、まあ武之内さんクールな感じだけども聞けば答えてくれるから』

「……はい……」

『麻見、酔ってる?』

「えっ!? 分かります!? ち、ちゃんと喋ってるつもりですけど……」

『うん、なんとなく。分かる』

「そうですか……すみません、飲んでない時にかければ良かったんですけど」

『いーよ、別に』

「……はい」 

『でも、武之内さんからも話聞いた方がいい。なんたって、自店の店長に聞くのが一番だから』

「……、すみません」

『うん……』

 半年間、柳原とずっと一緒に仕事をしてきたのに、こんな風に話ができる人だったんだと今更知ったことに、少し後悔が残る。

「武之内さん、話にくい雰囲気で……なんか、つかめない感じ」

『まあまだ今日会ったばっかりだろ? そんな空気は読まなくていーから。普通に言われた通りにしてればいい』

「ずっとレジで立ってるっていうんですか!? 周りが忙しそうなのに」

『それが武之内さんの考えならそうするべきだ。納得できないちゃんとした理由があるんなら議論する価値もあるだろうけど、麻見の場合は、まず自分がやるべきことがちゃんとできてない。麻見はレジ担当だ。レジのことを完璧にやりとげる。話はそれからだ』

「…………、…………」

『分かるか?』

「……はい」

『まあ、まず笑顔だ。接客業は笑顔が一番』

「……足りてないですか?」

『足りてるか?』

「自分じゃ分からないです。顔見えないし」

『他の店、例えばスーパーに買い物に行ったりして、どういう笑顔が気持ちがいいのかを見て盗む。そしてそれを実行する』

「……、はい」

『それから……』

 気付けば慌ててプリンターの用紙トレイから抜き出したコピー用紙いっぱいにメモをとっていた。柳原はこちらの質問に的確に答え、更に次々に提案をし、理想を語った。

「ありがとうございます。明日から必ずやります!」

『まだ自分ができてないことがたくさんあるだろ? 』

「そうですね……ありがとうございます」

『……』

「すみませんでした、長電話」

 電話をし始めてから既に30分も経過していた。気付いていたが、ようやく話が一段落したところで切ろうと試みる。

「明日から頑張ります」

『ま、急に気負いすぎないように』

「ありがとうございます。じゃあ切ります。お疲れ様でした。ありがとうございました」

『はい、お疲れ』

 切ろうと思って、遮ってくれるような相手ではない。

 若干の切なさを感じながらも、何故今まで柳原の存在を無下にしてきたのだろうとこの半年をさっと振り返ってみた。

 そして、しばらくその声を思い出すことに集中する。

 次いでメモを確認して思う。会話したことが、順序よく思い出せる。

 声が頭の中に蘇ってくる。

 自分が今までできていなかったこと……。

「…………」

 柳原はこちらのことをよく知っていた。

 しかしそれは、当然である。給料を与えるために評価をしなければいけないのだから、上司としてはできているかいないかをしっかり管理しておくのは当たり前だ。

 そう思いながらも、発信履歴をもう一度見て繋がりを確認してしまう。

 意識したところで、次に顔を見られるとすれば、東都シティを見学しに行った時くらいだ。

 だけど、メールくらいなら、できる。

「…………」

 できるようになったら、メールを送ろう。

 できないことが、できるようになりましたって。

 メールを送って、褒めてもらおう。

 今までどんな褒め言葉もかけてもらった覚えはない。だけど今なら、しっかり褒めてもらえそうな気がする。
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