徹底的にクールな男達
「勉強会の日です。国際ホテルでメーカー主催の内覧会があった日」

 思ったよりも最近の話で、事が分かり助かる。

「ああ、参加してたね。名簿見て驚いた。やる気になったんだと思って」

「…………」

 依子にとって、思いがけないセリフだったのか、少し俯いたまま目を開き、固まった。

「……で?」

「で……。

 その日の帰り。あの辺りの道はあまり通ったことがなくって、細道に入って焦って。前で停車していた車にぶつかったんです。相手は赤信号で完全に停車していました。

 それが、プレミア物のフェラーリで、さっき車で迎えに来ていた男の人の物でした。

 あの人は、葛西さんと言います」

「やくざ?」

 ではないとしても、グレーゾーンであることは確かだ。

「まあ……」

 相手がやくざだと知りながらも、呑気について行くその神経に、俺は目を閉じて頭を掻いた。

「その……車がぶつかった時、運転していた人はその……部下の人でしたが、後から所有者である葛西さんと会って、修理代が保険ではまかないきれないことが分かりました」

「限度額が50万だった?」

「はい」

「結構派手にやったんだな……」

「私、全然ブレーキふんでなくて。しかも、そのパーツがないと言われて……。六千万の車でした。

 払えないことが分かると、中央区の高級マンションで付き人の鈴木という人と一緒に暮らすように言われました。

 でも、結果からいうと、何をされたわけでもなく。ただ毎日、そこで寝泊まりして会社への送り迎えはその鈴木という人がしてくれていました。……あっ、あの、白のクラウンで迎えに来てた所を一度武之内店長に見られたことがあります」

「一度じゃないよ。いつも来てた。停める場所はまちまちだったけど」

「あぁ……。

 その間、葛西さんの部下の南条という人が私を迎えに来て、従業員通用口の所で一度目撃されました」

「……ああ…………。背の高い、髪の長い」

「はい」

「黒塗りのベンツに乗って行くからあやしいと思ってた。後藤田さんの周辺とはまた雰囲気が違ってたからその関連でもないのに、どこで一体何をしてるんだと思ってたよ」

 そうだ。確かそんなことがあり、改善の余地はあるのかと溜息をついていた頃だ。

「何を……、別に。小遣いやるから鈴木と温泉旅行に行って来い、とか。そんな感じで」

「その鈴木という人とくっつけられそうになってたって事?」

「そうだったみたいなんですけど、その時はそんな事に全然気づかなくて。その、鈴木さんもそういう気はなさそうだったし。ただ、同じ布団で寝たりはしましたけど、それだけで友達とも言いかがたいし、本当に知り合いの域を越えなかったと思います」

「同じ布団に入って知り合いの域ってのもおかしいけど」

 皮肉交じりの言葉に、依子は黙ってしまう。

「で?」

「で……。結局、鈴木さんは引っ越す事になって、私も自分のアパートに戻ってなんだかんだしてたらレスエストになってて。その後は武之内店長と色々あって」

 色々……。

「で、二週間の有給をとったその日に拉致されて」

「拉致!?」

 あまりに驚いたので、リアクションが大げさになってしまう。

「いえ、別に拉致というほどのことでもなかったんですけど。コンビニに歩いて買い物に行ってたら……ちょっと深夜だったんですけど。そこでたまたま南条さんを見かけてしまって巻き込まれた格好になって。

 でも、すぐに……あ、後藤田さんが助けてくれたんですよ」

「…………」

「まあ、それで、後藤田さんにも貸しができてしまって。それを返すハメになって」

「貸しを返すって、何で? また家電?」

 わざと貸しを作らされる状況になったのではないか?

「いや……もしかしたら、またその家電の話になるかもしれませんけど。今は具体的には出てないです」

「…………」

 まさか、そんなやくざ事に得体の知れない後藤田まで絡んできていて、しかも、六千万以外に貸しもある……。

予想以上の事の大きさに、俺はこめかみを押さえて息を吐いた。

「ええと。それでさっきは、まあなんかちょっとした揉め事があって、私からも話を聞きたいって葛西さんが言うのでちょっと話をしに行ってただけです」

「何揉め事って、また拉致されるとか、危険な話?」

 まだあるのか……。

「いや、それとこれとは関係ない感じの」

 聞いているのに、話をする気になっていない所が腹が立つ。

「よく分からないけど」 

 俺は、睨んで吐き捨てた。

「そうですねえ……」

 だが依子はそれに気づかず適当に相槌を打つ。

「いや、よく分からないから説明して」

 言い方がきつくなったのを自覚していたが、今聞いておかないと、後々暴露されても困る。

「……その……」

 依子は言いにくそうに一度口を閉じたが、すぐに開いた。

「そもそも後藤田さんは、葛西さんのオジキという人の組のフロント企業の社長なんです。後藤田さんはそこから抜けて完全に会社の社長としてやっていくそうです。で、その組の裏切り者ということになって組の人が後藤田さんをやろうって事になって葛西さんに応援を求めたそうなんですが、拒否したせいで南条さんが拉致されて。そこに偶然私が歩いてて巻き込まれたという流れです。

で、後藤田さんは内通者によって私と南条さんを助けに来たんですが、拉致した人達が行方不明になってるらしくて、後藤田さんが後始末をしているのなら私も消されるんじゃないかって心配してくれたんです」

「えぇ…………」

 言葉も出ない。

「……狙われてるって事!? 後藤田さんに」

 ようやく頭が回転し始める。

「いや、そんなことないですよ」

 だからそこを説明してほしいのに。

「何故言い切れる? 」

 依子は目を伏せて微動だにしない。何故、そこで黙る必要があるのか全く分からない。

「何でそれが言い切れるわけ? 周りの人が後藤田さんに消されてるのに、依子だけは大丈夫な理由って何? 気に入られてたからか? そういう理由?」

「そうです」

 間髪入れずに答えた。
 
 そう、って……。

「そうっ何? 気に入れてたからって事!?」

「そうです。一昨日拉致されて、その夜、助けてくれたお礼に後藤田さんと寝ました。お互い、そういう位置づけで寝ました」

 子供がいる身体で?

 何がそういう位置づけだ……。

「信じられない……」

 その言葉が先に出た。

「一生不自由はさせないと言われました。だけど今回は、借りを返す、という名目で寝ました」

 そんな馬鹿な!!

「い……一生不自由させないだなんて、適当に吐いたに違いない。そういう言葉にうまく乗せられてるだけだ」

 思いのままを放った。

「……、そうかもしれません。私も言っていること全てを鵜呑みにしているわけじゃありません」

 あまりにも冷静な声に、違和感を感じて顔を見た。

「でもさっき、電話がかかってきたんです」

「いつ」

 さっきっていつの話だ。

「……、私外で話してたじゃないですか。アパートで武之内店長と話してる時……」

「……ああ……」

「あれ、後藤田さんだったんです。だけど妊娠したって話をしたら、こちらから連絡をするのは控えるって言ってました。だから葛西さんにもその話をしたら、まあ大丈夫かなという流れになったんです」

「それのどこが大丈夫なわけ? 逆に恨まれて消される可能性もあるだろ!」

 葛西というやくざにも見放されたのではないかと焦る。

「だから……、後藤田さんは自分から連絡はしないけど、私からの連絡を待っていると言ってました。

 ……何度も後藤田さんと会っている私と葛西さんが思うに、恨んで消すようなことはしないだろうと判断した結果です」

 何を考えて良いのかも分からず、ただ茫然と後藤田と依子が絡む様子や葛西と依子が車内で親しそうに話している姿が目に浮かんで離れない。

「あ、だからそういうことに武之内店長を巻き込むのも嫌だなと思ってるんです。葛西さんの気が変わったら私、六千万もすぐに払わないといけないし」

「……随分呑気だな」

 あまりにも軽い言い方に、それらを理由に産むのを断られている気がして、イラッとくる。

「え、まあ……。悪い人じゃないことが分かってる……つもりだからじゃないですかね、今は。本当は私だってやくざは怖いと思います。拉致された時なんて死ぬかと思った。でも……まあ……核心に関わってるわけじゃないし」

「思いっきり関わってるよ」

 全て甘くみすぎだ。

「…………」

「依子」

 こちらの心情に気付いているのか、依子は顔も上げない。

「こっち向いて」

 それでも言うことをきかない。

「…………」

 俺は、大きく息を吐いた。

「俺は相手がやくざだろうが諦める気はないよ」

 意外だったのか、依子は顔を少し上げた。

「だけど、今後の俺達のために関わるのはやめろ 」

 ちゃんと教えてやっているのにも関わらず、前を向いたまま微動だにしない。

「そんなやくざのために、俺は子供を諦めたりしない。いざとなれば株も車も売って六千万だって用意できる。……こっち向いて」

 俺は依子の顎をつかんで、無理矢理こちらを向かせた。

「痛い……」

 痛がって顔を振い、手を弾いたが、

 そんな場合ではない、と腕を身体に回して抱きしめた。

「依子……。頼むから……結婚してほしい」

 思ったままをゆっくり言い聞かせる。本当は、俺だってやくざが怖い。だが葛西の様子からして依子をどうにかしようと思っているわけではなさそうだったし、実際依子の身を案じてさらったわけだし。関係者が行方不明となっているが、それでも俺がいるから大丈夫だろうと、葛西は判断したのだろうし。

 後藤田もこちらが隙さえ見せなければどうもなりはしない。

 冷静になればなるほど、視界がクリアになってゆく。

「心配したよ……。何がなんだか分からなくて」

 細い背中に手を当てて、言っていることが伝わるように願う。

「だけどもう俺の前からいなくなるな……。頼むから」

「……どうしたんですか?……優しい……」

 依子がこちらの腕にも手をかけてくる。
 
 何に対して優しいと感じたのかは分からなかったが、俺はとりあえず頭を撫でて

「いつも優しいよ」

と、適当に優しさを演じた。

「私と……結婚したいですか?」

「したい」

 きちんと答えて、抱きしめぎゅっと力を込める。

「……好きって言って」

 気持ちが伝わったか、依子も腕に力を込めてきた。

「好きだよ」

 俺もそれに即答し、更に腕に力を込める。

「も一回言って」

 だからってそんな、

「……今言ったろ」

「……」

 依子は黙ると、すぐに体重を預けてきた。

「……、そうやって大人しくしてくれれば助かる」

 俺は、「やさしさ」のつもりで背中をさすった。

 背中は骨ばっていて、母体に養分がなければ子供に充分伝わらないのではないかと不安になって腹に手を伸ばした。

「元気な子になりますように……」
 
 そして、お腹の子供に強い願いを込める。



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