徹底的にクールな男達

あり得ない切り替えし


『はい』

 その低い声を聞いた瞬間、まるで後ろから抱きしめられているような錯覚に陥るほど、身体が反応した。

「もしもし、依子です……」

 苗字が変わっているせいで、麻見とは言えず、名前を言った。

『……、飯でも行くか?』 

 何も話をしていないのに、こちらの事を何も知らないはずなのに、どうして後藤田には何かが伝わってしまうのだろう。

「……うん、……行く」

『いつなら出られる?』

 いつだっていい。そう思っているのに、

『何時まで1人でいられる?』

 最大の配慮をしてくれる。

「……7時まで」

『分かった。場所は?』

「今は中央区のマンション」

『それなら2時から3時の間で。それで構わないか? 飯には少し時間が足りないが、お茶くらいなら時間がとれる』

「お茶なんていい。少し……話がしたい」

『ああ、お前の好きなように』



 マンション近くの路地裏で、依子は黒塗りのセルシオの後部座席に乗り込んだ。

 時刻は予定より少し早い1時50分。

「…………」

 顔を見るなり、つい先日会ったばかりであることを思い出す。

 後藤田もこちらの顔を見た後、全身を上から下まで確認すると

「堕ろしたのか?」

 そう聞いた。

 何で、一体……。

「顔つきが違う。食ってないな……」

 何も言ってないのに。

 後藤田はすぐに依子の頬に手を伸ばすと、軽く撫でた。

「り、流産した……」

 目を見て答える。

「よくあることだ」

 病院でも確かにそう言っていた。なのに、武之内にはあんなになじられた。

 叩かれたことを思い出して、涙が流れる。

「離婚したい……」

 俯いて内心を吐露する。

「結婚したばかりだろうが」

 結婚したことは言っていない。なのに、後藤田は苦笑しながら大きな手で背中をさすった。

 涙の粒がシートに幾粒も落ちた。

 ここぞとばかりに後藤田に抱き寄せられ、「俺の所へ来い」そう言われる気がした。

 いや、そう期待していた。

 なのに、

「今は自分にできることを探せ」

 出て来たのは、意外すぎる言葉だった。

 思わず、顔を上げる。

「流産した今、何がしたい? 」

「離婚したい」

 当然だとばかりにその答えを出した。後藤田もそれを臨んでいると思って。

 なのに、

「そういう事ではない。自分自身に何ができるかということだ」

「何……分かんない」

 正直にそう話す。

「仕事は?」

「今は有給とってる。後一か月くらいは身体休めてから……復帰かな……」

「ここから職場までは遠いな」

「……そうだね……。東都シティ本店が一番近いけど、どうかな……引っ越ししたから入れてもらえるかもしれないけど、あそこは精鋭ばっかりだから」

「そこへ、入りたくないか?」

「入れてくれるんですか?」

 そう言われているものだと信じて聞いたら、

「何が」

 笑いながら、指先で額を突かれた。

「いた……」

 思わず掌で額を隠す。

「何でもいい。自分自身でできる事を探した方がいい。結婚というものは結局は相手に頼ることだ。それが嫌で離婚がしたいのなら、自立できるようにしておかないと、碌なことにはならない」

 目が覚めるような思いだった。

 確かにそうだと思う。今は、貯金も何もない。

 だけど、後藤田ならそんな苦労をさせないのではないか。

「一生苦労させないと言ったのに、と言いたげだな」

 顔に出ていたのかと、焦って伏せた。

「そうだ。俺の所へ来るのなら苦労はさせない。だがお前にはまだまるでその気がない。そういううちは同じなんだよ。何を並べても満足できない。満足させる下準備というもの大事なだけだ」

「下準備……」

 私が、自分でしたいことを見つける……それが下準備……。

 決して、悪いことではない。

「社長」

 秘書は運転席から絶好のタイミングで割り込んでくる。

「悪いがそろそろ時間だ。今日は話ができて良かった。顔色が悪いのが心配だが。……今度会う時は食事の準備を整えておこう」

 次の約束をとりつけられようとしているのに、全く嫌な気はおきず、むしろもっと会って話がしたいと思った。

「……ケーキが好き」

 今食べたい物を言った。ケーキは好きだけど、ずっとそんな物欲しくなかった。だけど今は、無性に食べたい。

「とびきりの物を用意させよう」

「うん……」

 依子はその切れ長の目をまっすぐに見つめる。

 抱き締めてさらってほしい、そう思って車の中へ入り込んだのに、そんな気持ちはいつの間にか完全になくなり、後藤田に対しての絶大な信頼と尊敬が無限の限り広がっていた。

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