徹底的にクールな男達

 翌日、休みだったが会社に用があったので、その仕事が終わった午後1時。麻見と昼食がてら会うことにした。

 気の遣わないファミレス程度でと思っていたが、麻見が指定した店は個室の和食屋だった。

 まあ、流産の経緯を話すのにファミレスはないのかもしれない。

「すみません、お休みの日なのにありがとうございます」

 そう言いながらこちらを待っていた麻見は、見るからにやつれていて。薄手のベージュのコートがいやにだぶついて見える。

「…………いや」

 痩せたな、その一言を飲みこむのに精いっぱいだった。

 しかし、表情は凛としている。以前のぬるい雰囲気はどこにもない。

 店へ入ると食事を先にとりながら、東都シティの話をしてやった。麻見が何をどうしたいのかは分からなかったが、復帰する以上為になる話に違いないと雑談もせずに仕事の話を延々と続けた。

 と、途中、バックをまさぐり始めたが、そのまま放っておくと、なんと社用の手帳を取り出した。

「書いておきます。忘れるから」

 驚いて、しばしその様を見入ったくらいだった。

 あの、麻見が……武之内にしごかれたのだろうか。食事にわざわざ社用の手帳を持参し、伝票処理の流れの話など、今まで適当にスル―していた所をメモするとは……。

「…………随分武之内店長にしごかれた? 」

「え?」

 食事が終わった後、俺はようやく本題に入った。

 きちんと目を合せる麻見は、じっとこちらを見返してくる。俺も負けじと視線をそらさず、ただ気は逸らすつもりで胸ポケットから煙草を取り出した。

「さっきメモってた事、多分俺が居た頃に話しても絶対メモらなかったと思う」

 言いながら、ライターで火をつける。

「ああ……そうかもしれません。でも別に武之内店長にしごかれたからというわけじゃなくて、仕事をちゃんとしたいなと思ったからです」

 その答えに、きちんと話をしてやらなければならないと、俺は煙草を指に挟んで水を一口飲んだ。

「で、話したいことっていうのは?」

「柳原副店長がいなくなってからの事です。あれから半年少し経ちました。その間に、私の生活は大きく変わりました」

「……みたいだな」

 その真っ直ぐな姿勢が全てを物語っている気がする。俺は、煙たさに目を細めてから上目遣いで麻見を見た。

「正直に全部話します。私には、今柳原副店長しか話せる人がいません。だから、何言ってんだと思うこともあるかもしれない」

 何を今更。今まで、散々「何を言ってんだ」と思わされてきたというのに。

「慣れてるよ、気にするな。仕事上の関係だが、それもきちんと受け止める。俺はそもそも麻見のことを考えてサブリーダーを降ろした。正社員なのに、それに甘んじて役の上に乗っかっていると感じたからだ。

だがその後どうなったのかというところは、俺にも一端の責任はある」

 麻見は聞いた後、こちらを射抜くほどに見つめ、はあと大きく息を吐いてようやく本題に入った。

「あの勉強会の日です。全てが始まったのは。一緒に行った勉強会。あの日の帰り、私は事故に遭いました」

「えっ!?」

「相手はやくざの車で、六千万の借金を背負うことになりました」

「……えっ!? ちょっと待て」

 俺は目を閉じて、話を整理し直す。 

「勉強会…………は、内覧のやつな。……うん、前日に電話がかかってきて……前日じゃあなかったか。とにかく電話して勉強会に行く事にしたヤツな」

「はい」

 そこでようやく目を開き、続けた。

「で事故!? ……六千万って……それ、正当な額じゃないだろ」

「いえ、プレミア物のフェラーリだったので、新車はその値段みたいです。で、それは今は……。まあ、続きを話しますね」

「ああ……」

 俺は煙を麻見とは違う方向に飛ばしながら、煙草をもみ消した。

「私、全然ブレーキ踏まずにフェラーリに突っ込んだので、わりと後ろが凹んだんです。でも、修理しようにも部品が手に入らない。それで、新車の額の金額が提示されたわけです。

もちろん払えません。で、そんな私にヤクザは子供を産ませたいと考えていたようで、悪いようにはされませんでした。若い男の人と高級マンションに住まわされましたが、結局相手がその気にならずにそのまま終わりました」

「こど………………。で、それで借金チャラに??」

「いえ、話はまだあります。

 そのうち、会社の健康診断でレスエストになっている事を知りました。それで、武之内店長が推薦状にハンコを押して、ホテルに行ったんですが……」

「えっ!?!? 待て、待て。武之内店長!?」

「えっ? はい」

「えっ、ひょっとして……結婚したのって武之内店長?」

「あっ、知らなかったんですか?」

「しっ、知らねーわっ!! マジかッ!! え、仲悪いんじゃなかったっけ?」

「ですけど……。で、ホテルに行ったんですが、ゴムつけなかったんで妊娠したんです」

「ええ!? …………」

 俺は顔を顰めて麻見を見た。麻見は、少し俯いて口をへの字に曲げている。どうやら合意でゴムをつけなかったわけではなさそうだ。

「……まあ……しゃーないわな……」

 としか言いようもない。というか、最初から妊娠すればいいと思ってたんじゃないのか。あの人も結構年だし。

「そこで喧嘩しました。つけないなんて信じられないって。そしたら、逆に私に持ってきてたの?って聞いてきて。つけたい人が持って来るのが当然だって、酷いですよ」

「……まあ……」

 確かに。口説くにして、お粗末すぎるし。クールの域は通り越してるが、一理ないこともない。

「で、外には出したんですけど、妊娠したんです。で、アフターピルを飲みに行って。なのに妊娠したんです。飲むのが遅かったら妊娠の確率が上がるみたいだったんですけど、それを知らなかったんで。病院に行くのが遅れて。

 そうしたら今度は産んで欲しいって。結婚してくれって。お金はあるし、家も建てるし、借金のことも面倒みるから結婚してくれって言うから結婚したのに!!」

 俺は何も言葉が浮かばず、ただ麻見が憤慨する様を見つめた。

「流産したらすごく怒られて……。

 頬叩かれて……」

 麻見の肩は震え、涙がポロポロ落ち、テーブルも少し濡れた。

「ふう……」

 俺は無意識に再び胸ポケットに手を伸ばした。何に対しても冷静に対応しそうな武之内にそんな一面があったとは驚きだ。

 結婚するのにそうやって口説くのも想像できなかったし、頬を叩くなんてもってのほかだ。第一、避妊しないって……。

 仕事とは全く違うプライベートな一面を持っているのかもしれない。

「ずっと仕事の時もそうでした。色々問題起こしたせいもあるけど。できない子だって言われてるみたいだった。常識の範囲内で仕事をしてさえくれればそれでいいって言われました。私の中では武之内店長が言ったことをそのまま行動に移しただけなのに」

「……まあ、仕事のことはさておき。今は夫婦なんだろ? 今は、どんな感じ?」

「流産したの、一週間くらい前だけど、それから全然喋ってません。

 離婚はしないって、その時は言われました。

 けど今どう思ってるのかは分かりません……」

「まあ、俺は結婚も出産も経験したことないからその点からのアドバイスはしかねるけど。今の麻見の話を聞いて思うのは、もう少し武之内店長と話をした方がいいんじゃないかと思う」

「何をですか」

「色々。離婚するにしても、何にしても。今も仕事に復帰したい話をしてないんだろ?」

「そんな状況じゃありません」

「……確かに。じゃ、まだ復帰するまで三週間もあるんだから。過去のことを話ししてみたら?」

「過去……」

 麻見はようやく実行に移せそうなことを見つけたのか、横目で考え始めた。

「あぁ。でも相手を責めるのはやめろ。話してくれなくなる。

 ちなみに、何が一番知りたい? 何が納得できなかった?」

「…………、何で私のことをできない子だと思ってるのか。多分それに尽きると思う」

「うん、じゃあそれでいい。どうしてなのか、じっくり聞けばいい。多分麻見の中で、この時こんな事があってあんな風だったけど、何でそうだったのかって疑問に思ってそれを根に持ってるんだろ」

「でもそんな、過去の疑問に一々答えてくれるかな……」

「答えてくれるさ。ちゃんと聞きたいんだけどって言えば。今日も麻見は、話がしたくて個室用意してくれただろ? そうやって相手が聞いてくれるように準備して、ゆっくり話をしていく。もちろん相手のことも考えないといけない。今日俺が休みでこの時間なら大丈夫だと判断した時と同じように。

 翌日朝早いのに、夜遅くからそんな大事な話をされても嫌な気持ちが起こるだけだし。

 な?

 そういう事でいいと思うぞ」

「そっか……」

「それと、さっきの頬を叩くっていうのは気になったけど、DVみたいな感じじゃないんだろ?」

「とは思う。あの時、私も取り乱してたから……」

「うん……まあ、不安になったらいつでも電話かけてくれればいいから。独身の俺に、そういうアドバイスは大してできないかもしれないが、できる限り相談に乗るよ」
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