徹底的にクールな男達
いつ、来るかどうか分からない中で、武之内は電話後30分で病院に来た。
「え? 大丈夫なのか?」
顔を見るなりそう聞かれ、訳の分からない涙があふれて来る。
制服のところを見ると、慌ててかけつけてくれたことは、間違いないらしい。
病院が、武之内にどんな説明をしたのか知らないが、まさか、生きていたのかという状況でないことをひそかに祈る。
「武之内さん、面談室どうぞ」
すぐに若いナースが点滴を確認し直し、歩いて行けるように整えてくれる。
「ご主人さん、来られるの早かったですねー」
若いナースは点滴を押しながら言うが、
「ええ……」
としか、武之内は答えないし、こちらを酷視して説明を求めてきている。
「……」
それに気づかないふりをして、一気に面談室に入ってしまい、待ち受けてくれていた長月の前に腰掛けた。
狭い部屋にはテーブルと椅子とパソコンがあるだけだ。
「こんにちは。初めまして。長月と申します。精神科医です」
「……あぁ…」
なんとなくおじぎをして、腰掛けた武之内からは、精神科医とはどういう事だという疑問が見てとれた。だが、依子はそれに気づかないふりをして、テーブルの先を見つめる。
若いナースも同席した。
「まず最初に、ご主人に。ご連絡が遅れて申し訳ありませんでした。彼女はここへは2日ほど前に搬送されていますが、連絡が今になって申し訳ありません。急いで来られたようですので、さぞご心配をされたことでしょう」
「……まあ」
武之内からの視線には答えられない。
「彼女はここ2日、ほとんど食事をとっておりません。おそらく、数日前からそうだとは思います。
で、ここへ搬送された経緯としましては、ドラッグストアで購入した睡眠薬1箱を飲み干し、ビジネスホテルへ帰ったところ、倒れて救急車で搬送されてきたというわけです」
「ええ!?」
痛い視線を感じる前に、
「ごめんなさい!!!」
出る声すべて出し切って、頭も下げ切った。
何をやっているんだと絶対に思われている。
「違うんです!!」
自殺未遂をして、気を引こうとしたとか、そういう……。
「え、違うの?」
意外にも隣から声が降りかかってくる。
「………」
「何も違いません。彼女は、相当悩んでいたんだと思いますよ」
「違います」
長月の一言を制する。
「眠れなかっただけです」
「………」
誰も何も言わない。
「今は栄養剤の点滴だけしていますが、それは食事をするとすぐにやめられます」
「……そう……ですか……」
武之内が何か言い出さないうちにこの会を辞めたい。
依子は今になって、後悔の波が一気に押し寄せていることに気づいた。
「それから、子宮内膜増殖症のことですが」
いきなり病名から入り、制することができなくなる。
「検査は個人病院で受けたそうですが、データを転送してもらいましたので、こちらにもコピーがあります。どうぞ」
長月に手渡された白い紙を、武之内は素直に受け取り、じっと見つめた。
「個人病院の定期検査の時に分かったそうです。で結果は異型ということが分かりました。4年放置すれば20から30パーセントという高い確率で癌になる細胞ですから、治療が必要です」
「………子宮……内膜……」
「この写真の、ここの部分の皮が分厚くなるという症状ですが、治療の詳細や現在の状況は個人病院で聞くのがいいと思います」
長月は言い切ると、これで話は終わった、とでも言うように、少し椅子を引いた。
「……今後、妊娠はするんですか?」
一番聞きたくない一言が、簡単に武之内の口から出たこと驚き、依子は顔を上げ、その横顔を睨んだ。
「専門医ではないので、詳しいことは、言いかねますし、あくまでも今の状態という一部分においてでも、私からは答えかねます」
えらく、長い言い回しで「しづらい」と表現されたように感じた。
武之内の椅子がギッと鳴る。
同じように武之内も、話すことはこれ以上ないと言いたげに、紙を手に持ったまま、背中を椅子にもたせた。
「そしたら……」
長月は、若いナースをちらと見る。
「ご主人さんには部屋で支払いの説明をしといてくれます?」
「……あ、はい」
遅れて返事をしたナースは、先にこちらへ、と武之内だけを案内し、外へ出た。
溜息をつく間もなく、
「言いたいこと、言っていいと思うわよ。ご主人、大丈夫そうだけど」
思わぬ一言に、依子は顔を上げた。
「真剣に私の話を聞いていた。子供が欲しいという思いはあると思うけど、この病気からは、妊娠できない可能性の方が低いと思うから」
長月は、優しい顔でこちらを見たが、心の中で「言いたいこと」をただ模索する。
「ね。どう? 大丈夫そう?」
聞きながらも、長月は立ち上がり、依子も、頷きながら、立ち上がった。
と、同時に長月のピッチが鳴る。
「あー、行かなきゃ。良かったわ。とりあえずなんとかいって。はい、もしもし?」
長月はそのまま病室とは反対方向へ行ってしまう。
取り残された依子は、病室の方へ足を向けながらも、言いたいことが何なのか、その数分、必死で考えた。
「………」
まだナースがいるものだとばかり思っていたが、ベッドのそばで簡易椅子に腰かけていたのは、武之内1人だった。
「…………」
引っ張ってきた点滴を一緒に動かしてくれる。
依子はベッドの足の方に小さく腰掛けたが、何が栄養剤だと思われているに違いないと悟り、しゅんと下を向いた。
「……色々、聞きたいことはあるけど……」
「………」
それでも、聞きたいことがあるのだと思うと、少しほっとし、頭を縦に少し振った。
「なんで、睡眠薬をそんなに? 死にたい、と思ってた?」
「……そういうんじゃ、ない」
と、思う。
「……本当に眠れなくて……。ちょっと頭がぼーっとしてたというか」
それ以上は言葉にならない。
「あそう」
慣れたのか、いつもの「あそう」が気にならない。
はずなのに、涙がつーっと下へ垂れた。
「さっき、看護婦さんが言ってた。
俺に連絡するのを随分拒否していたって。どんな大変な旦那さんが来るんだろうと思ってたら、いい人で良かったって」
若いナースの素直すぎる一言に、さすがに苦笑が漏れた。
「なんで、拒否した?」
「………、離婚届け……出してはないけど、書いたくらいだし……、その、出す約束にしてたから……。
まだ出してはないけど……。だから……既に離婚してると思ってると思って。なら、もう関係ない他人ってことだから、迷惑に感じると思ったの」
言いたいことを言う。
「……あそう……」
いつもの「あそう」だ。
「ごめん……まだ、出してない」
出してほしいって思っていると思う。
「……いや……。書いた?」
武之内は随分落ち着いて聞いた。
「ううん……。なんか……」
息を深く吸う。
「家出た後、すぐ病院から、さっきの病気の電話がかかってきて。すぐに治療の話をしたいって言われたの。そしたら、書けなくて……」
涙はあふれた。だけど今は、言いたい事を言う。
言いたい事を言って、後悔するんだ。
「あなたは……、子供が欲しいと思ってる。でも、この病気だと産めないかもしれない。だから、離婚は正しいと思うの。
でも、私、今離婚したら、きっともう二度と結婚できない。
そしたら……今離婚したことを後悔するかもしれない……そう、思って……」
「何で、もう二度と結婚できないの?」
その声は同じトーンだ。
「子供ができないかもしれない人と結婚したいと思う人はいないと思う。
だって、家族って子供があるものだから。
そりゃ、ない家庭もあるとは思うけど、それは、仕方なくで……。本当はみんな欲しいと思ってると思う」
「………、………」
武之内が何も言わないのをいいことに、依子はつづけた。
「だから私……本当は離婚届けが書けなかった」
随分な本音を言った。
だけど顔を上げて、武之内を見た。
彼は、こちらを見ず、ただ白いシーツを見つめている。
「……少し、考えさせてほしい。俺は、そのつもりで届けを書いたから。
揺るぎない覚悟がなくて、書けるものじゃない」
そうだと思う。
あなたは、子供が欲しいんだと思う。
「うん、ごめんね」
でも、それでいいんだと自分に言い聞かせる。
これで離婚したって、誰にも文句は言えない。
これでいいんだ。
きっと私たちは、最初からこうなる運命だったんだ。
「え? 大丈夫なのか?」
顔を見るなりそう聞かれ、訳の分からない涙があふれて来る。
制服のところを見ると、慌ててかけつけてくれたことは、間違いないらしい。
病院が、武之内にどんな説明をしたのか知らないが、まさか、生きていたのかという状況でないことをひそかに祈る。
「武之内さん、面談室どうぞ」
すぐに若いナースが点滴を確認し直し、歩いて行けるように整えてくれる。
「ご主人さん、来られるの早かったですねー」
若いナースは点滴を押しながら言うが、
「ええ……」
としか、武之内は答えないし、こちらを酷視して説明を求めてきている。
「……」
それに気づかないふりをして、一気に面談室に入ってしまい、待ち受けてくれていた長月の前に腰掛けた。
狭い部屋にはテーブルと椅子とパソコンがあるだけだ。
「こんにちは。初めまして。長月と申します。精神科医です」
「……あぁ…」
なんとなくおじぎをして、腰掛けた武之内からは、精神科医とはどういう事だという疑問が見てとれた。だが、依子はそれに気づかないふりをして、テーブルの先を見つめる。
若いナースも同席した。
「まず最初に、ご主人に。ご連絡が遅れて申し訳ありませんでした。彼女はここへは2日ほど前に搬送されていますが、連絡が今になって申し訳ありません。急いで来られたようですので、さぞご心配をされたことでしょう」
「……まあ」
武之内からの視線には答えられない。
「彼女はここ2日、ほとんど食事をとっておりません。おそらく、数日前からそうだとは思います。
で、ここへ搬送された経緯としましては、ドラッグストアで購入した睡眠薬1箱を飲み干し、ビジネスホテルへ帰ったところ、倒れて救急車で搬送されてきたというわけです」
「ええ!?」
痛い視線を感じる前に、
「ごめんなさい!!!」
出る声すべて出し切って、頭も下げ切った。
何をやっているんだと絶対に思われている。
「違うんです!!」
自殺未遂をして、気を引こうとしたとか、そういう……。
「え、違うの?」
意外にも隣から声が降りかかってくる。
「………」
「何も違いません。彼女は、相当悩んでいたんだと思いますよ」
「違います」
長月の一言を制する。
「眠れなかっただけです」
「………」
誰も何も言わない。
「今は栄養剤の点滴だけしていますが、それは食事をするとすぐにやめられます」
「……そう……ですか……」
武之内が何か言い出さないうちにこの会を辞めたい。
依子は今になって、後悔の波が一気に押し寄せていることに気づいた。
「それから、子宮内膜増殖症のことですが」
いきなり病名から入り、制することができなくなる。
「検査は個人病院で受けたそうですが、データを転送してもらいましたので、こちらにもコピーがあります。どうぞ」
長月に手渡された白い紙を、武之内は素直に受け取り、じっと見つめた。
「個人病院の定期検査の時に分かったそうです。で結果は異型ということが分かりました。4年放置すれば20から30パーセントという高い確率で癌になる細胞ですから、治療が必要です」
「………子宮……内膜……」
「この写真の、ここの部分の皮が分厚くなるという症状ですが、治療の詳細や現在の状況は個人病院で聞くのがいいと思います」
長月は言い切ると、これで話は終わった、とでも言うように、少し椅子を引いた。
「……今後、妊娠はするんですか?」
一番聞きたくない一言が、簡単に武之内の口から出たこと驚き、依子は顔を上げ、その横顔を睨んだ。
「専門医ではないので、詳しいことは、言いかねますし、あくまでも今の状態という一部分においてでも、私からは答えかねます」
えらく、長い言い回しで「しづらい」と表現されたように感じた。
武之内の椅子がギッと鳴る。
同じように武之内も、話すことはこれ以上ないと言いたげに、紙を手に持ったまま、背中を椅子にもたせた。
「そしたら……」
長月は、若いナースをちらと見る。
「ご主人さんには部屋で支払いの説明をしといてくれます?」
「……あ、はい」
遅れて返事をしたナースは、先にこちらへ、と武之内だけを案内し、外へ出た。
溜息をつく間もなく、
「言いたいこと、言っていいと思うわよ。ご主人、大丈夫そうだけど」
思わぬ一言に、依子は顔を上げた。
「真剣に私の話を聞いていた。子供が欲しいという思いはあると思うけど、この病気からは、妊娠できない可能性の方が低いと思うから」
長月は、優しい顔でこちらを見たが、心の中で「言いたいこと」をただ模索する。
「ね。どう? 大丈夫そう?」
聞きながらも、長月は立ち上がり、依子も、頷きながら、立ち上がった。
と、同時に長月のピッチが鳴る。
「あー、行かなきゃ。良かったわ。とりあえずなんとかいって。はい、もしもし?」
長月はそのまま病室とは反対方向へ行ってしまう。
取り残された依子は、病室の方へ足を向けながらも、言いたいことが何なのか、その数分、必死で考えた。
「………」
まだナースがいるものだとばかり思っていたが、ベッドのそばで簡易椅子に腰かけていたのは、武之内1人だった。
「…………」
引っ張ってきた点滴を一緒に動かしてくれる。
依子はベッドの足の方に小さく腰掛けたが、何が栄養剤だと思われているに違いないと悟り、しゅんと下を向いた。
「……色々、聞きたいことはあるけど……」
「………」
それでも、聞きたいことがあるのだと思うと、少しほっとし、頭を縦に少し振った。
「なんで、睡眠薬をそんなに? 死にたい、と思ってた?」
「……そういうんじゃ、ない」
と、思う。
「……本当に眠れなくて……。ちょっと頭がぼーっとしてたというか」
それ以上は言葉にならない。
「あそう」
慣れたのか、いつもの「あそう」が気にならない。
はずなのに、涙がつーっと下へ垂れた。
「さっき、看護婦さんが言ってた。
俺に連絡するのを随分拒否していたって。どんな大変な旦那さんが来るんだろうと思ってたら、いい人で良かったって」
若いナースの素直すぎる一言に、さすがに苦笑が漏れた。
「なんで、拒否した?」
「………、離婚届け……出してはないけど、書いたくらいだし……、その、出す約束にしてたから……。
まだ出してはないけど……。だから……既に離婚してると思ってると思って。なら、もう関係ない他人ってことだから、迷惑に感じると思ったの」
言いたいことを言う。
「……あそう……」
いつもの「あそう」だ。
「ごめん……まだ、出してない」
出してほしいって思っていると思う。
「……いや……。書いた?」
武之内は随分落ち着いて聞いた。
「ううん……。なんか……」
息を深く吸う。
「家出た後、すぐ病院から、さっきの病気の電話がかかってきて。すぐに治療の話をしたいって言われたの。そしたら、書けなくて……」
涙はあふれた。だけど今は、言いたい事を言う。
言いたい事を言って、後悔するんだ。
「あなたは……、子供が欲しいと思ってる。でも、この病気だと産めないかもしれない。だから、離婚は正しいと思うの。
でも、私、今離婚したら、きっともう二度と結婚できない。
そしたら……今離婚したことを後悔するかもしれない……そう、思って……」
「何で、もう二度と結婚できないの?」
その声は同じトーンだ。
「子供ができないかもしれない人と結婚したいと思う人はいないと思う。
だって、家族って子供があるものだから。
そりゃ、ない家庭もあるとは思うけど、それは、仕方なくで……。本当はみんな欲しいと思ってると思う」
「………、………」
武之内が何も言わないのをいいことに、依子はつづけた。
「だから私……本当は離婚届けが書けなかった」
随分な本音を言った。
だけど顔を上げて、武之内を見た。
彼は、こちらを見ず、ただ白いシーツを見つめている。
「……少し、考えさせてほしい。俺は、そのつもりで届けを書いたから。
揺るぎない覚悟がなくて、書けるものじゃない」
そうだと思う。
あなたは、子供が欲しいんだと思う。
「うん、ごめんね」
でも、それでいいんだと自分に言い聞かせる。
これで離婚したって、誰にも文句は言えない。
これでいいんだ。
きっと私たちは、最初からこうなる運命だったんだ。