怪錠師
怪錠
親父は言った。職業は時代と共に変遷を遂げる、と。現代は鍵師、中世は解錠師、だが鍵を扱うもので高位で特異なものがいた、それが怪錠師。心を開き、取り憑いた怪異を、取り除く。
高円寺は阿佐ヶ谷に電話を掛けた。「そんな怖いわ。嫌よ」と最初は駄々をこねていたが、「高円寺君の汚いであろう家を見てみたいことだし騙されたつもりでいくわ」と承諾を得た。
その阿佐ヶ谷が正座をし、目の前に鬼瓦が烏帽子を被り白装束の出で立ちで凝視をしている。
「息子よ始めるぞ!」鬼瓦は鍵師必須のピッキングを二本取り出し、「阿佐ヶ谷なぎさ、可愛いの」と顔をほころばせた。
「親父、気持ち悪い」と高円寺。
「子も変態なら父親も変態であり私の肉体を貪ろうと虎視眈々と狙っているのね。汚らしい」と阿佐ヶ谷。
ふっと鬼瓦は鼻で笑い、「冗談はさておき、こじあけるぞ」と念仏のようなものを鬼瓦は唱えだした。少しずつ、ピッキングが光を帯びる。それに呼応してか、鬼瓦はピッキングを宙空で錠前を開けるような仕種をする。ゆるやかに、小刻みに、あるポイントに向けて。それと同時に、阿佐ヶ谷に変化が見られた。目を瞑り、苦悶の表情を浮かべている。胸を反らせ、彼女も何やら念仏のようなものを唱えている。何度も、何度も、何度も。高円寺はその様子に仔細に眺めあることに気づく。阿佐ヶ谷が唱えているのが念仏ではないことに。
ごめんなさい。
彼女は見えざる何者かに謝罪をしているのだ。鬼瓦の額から幾筋もの汗が流れ落ち、右足を一歩踏み出し、カチッと何かが開かれる音が聞こえた。
「我が息子よ。よく見ておけ。彼女の心が開かれた」
息を切らせた鬼瓦の声が耳元で響いた直後、阿佐ヶ谷の頭から幽離する形で無数の蚤が姿を現した。阿佐ヶ谷がそれに気づき、目を見開いた。無数の蚤が彼女の元に向かう。
「阿佐ヶ谷!」
高円寺は声を出し、助けようとした。が、「手を出してはならん。乗り越えなければならん」鬼瓦が有無をいわせぬ口調で諌めた。
「お母さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい。いい子でいるから。いい子で・・・・・・」
阿佐ヶ谷の涙の叫びが空間を包み込んだ。
阿佐ヶ谷なぎさは母親を三歳のときに交通事故で亡くした。突然、父と娘での生活を余儀なくされた。それでも悲しみを忘れさせるように父親が献身的に娘に愛情を与え、何不自由なく暮らしていた。しかし、三年前に異変が起きた。父親が再婚したのだ。阿佐ヶ谷は心の動揺を隠せなかった。母親を愛し、娘だけのものだと思った父親が別の女性と再婚することになった。父親には何度も宥められた。「お父さんも寂しいんだ。お前のためでもある」大人というのは嘘をつき、自分のエゴだけのために生きているのだと悟った。阿佐ヶ谷はそんなことは求めていなかった。再婚した女性は陰湿だった。父親がいるときは良き妻を演じるが、いないときは煙草を吸い、ひどいときは阿佐ヶ谷に手を上げた。もちろん阿佐ヶ谷が再婚相手になつくはずもなく、その反逆的態度がより一層火に脂を注ぐ形になった。そして、事件は起きた。中学一年の夏休み。八月三日。その日は母の命日だった。阿佐ヶ谷が焼香を上げているとき再婚相手が、「私がお前の母親だよ」と言ってきた。違う、あなたは他人。阿佐ヶ谷の火を吹くような言葉が再婚相手の逆鱗に触れた。髪を掴まれ、煙草の火を胸に押し付けられ、顔を何度も叩かれ、そして踏まれた。夏休み中ずっと続いた。ある日、異変に気づいた父親が、警察に通報。再婚相手は逮捕されることになった。だが、それ以来、阿佐ヶ谷の心は閉ざされた。
「阿佐ヶ谷、過去を乗り越えろ!目を背けるな。な、なんだったら、俺も一緒に手伝ってやるから」
高円寺らしからぬ積極性を見せた。自分でも驚いた。誰かの為に、行動を起こそうとする自分がいたことに。
阿佐ヶ谷がこちらを振り向いた。目に涙を浮かべながら、「高円寺君。あなたに助けられたくなんかないわ―――でも、ありがとう」と無数の雫の玉を頬に流した。雫が線状になり、意志を固め、阿佐ヶ谷は全てを吹っ切るように手のひらで目元を拭った。
「失せろ、蚤!」
阿佐ヶ谷は抑揚のない声を発した。
無数に蠢いていた脳蚤の動きが止まり、一匹、一匹、と消えていく。
「彼女の意志が勝ったようだ」
鬼瓦が安堵の息を吐く。高円寺もその場にしゃがみ込んだ。が、阿佐ヶ谷の次の一言でまた顔を上げた。
「お母さん!」
脳蚤が消えた先に凛とした雰囲気を纏う女性が立っていた。七色の光に包まれている女性は阿佐ヶ谷にそっくりだった。すぐさま阿佐ヶ谷は走り、七色の光に抱きついた。が、実体はない。彼女の手は光をすり抜けた。
「お母さん!お母さん!」
阿佐ヶ谷は叫んだ。
「なぎさちゃん、ごめんなさいね。あなたの事を縛っていたのはお母さんだったのね」
「帰ってきてよ。ねえ、お母さん」
母親は無言だった。気のせいだろうか高円寺と目が合ったように感じた。
「なぎさんちゃん、ほとんど一緒にいられなかったけど。いつも傍にいるから。お父さんが再婚した時も、あなたは許せなかったのでしょ。お母さんも許せなかった。それが原因で怪異になってしまったの。私の、悪の心がいけなかった」
「お母さんは悪くない」と阿佐ヶ谷は言った。
「ありがとう。でもね、人は前に進まなければいけないの。たぶん、あの頃のお父さんも前に進もうとしたんだと思う。その事はわかってあげて。それに、なぎさちゃんには、素敵な仲間がいるじゃない。大事にしなさい。そして、信用しなさい。お母さんは見守っているわ」
その言葉と清々しい笑みを放った直後、光は溶け、一瞬で消えた。残されたのは、阿佐ヶ谷の涙だけだった。
高円寺は阿佐ヶ谷に電話を掛けた。「そんな怖いわ。嫌よ」と最初は駄々をこねていたが、「高円寺君の汚いであろう家を見てみたいことだし騙されたつもりでいくわ」と承諾を得た。
その阿佐ヶ谷が正座をし、目の前に鬼瓦が烏帽子を被り白装束の出で立ちで凝視をしている。
「息子よ始めるぞ!」鬼瓦は鍵師必須のピッキングを二本取り出し、「阿佐ヶ谷なぎさ、可愛いの」と顔をほころばせた。
「親父、気持ち悪い」と高円寺。
「子も変態なら父親も変態であり私の肉体を貪ろうと虎視眈々と狙っているのね。汚らしい」と阿佐ヶ谷。
ふっと鬼瓦は鼻で笑い、「冗談はさておき、こじあけるぞ」と念仏のようなものを鬼瓦は唱えだした。少しずつ、ピッキングが光を帯びる。それに呼応してか、鬼瓦はピッキングを宙空で錠前を開けるような仕種をする。ゆるやかに、小刻みに、あるポイントに向けて。それと同時に、阿佐ヶ谷に変化が見られた。目を瞑り、苦悶の表情を浮かべている。胸を反らせ、彼女も何やら念仏のようなものを唱えている。何度も、何度も、何度も。高円寺はその様子に仔細に眺めあることに気づく。阿佐ヶ谷が唱えているのが念仏ではないことに。
ごめんなさい。
彼女は見えざる何者かに謝罪をしているのだ。鬼瓦の額から幾筋もの汗が流れ落ち、右足を一歩踏み出し、カチッと何かが開かれる音が聞こえた。
「我が息子よ。よく見ておけ。彼女の心が開かれた」
息を切らせた鬼瓦の声が耳元で響いた直後、阿佐ヶ谷の頭から幽離する形で無数の蚤が姿を現した。阿佐ヶ谷がそれに気づき、目を見開いた。無数の蚤が彼女の元に向かう。
「阿佐ヶ谷!」
高円寺は声を出し、助けようとした。が、「手を出してはならん。乗り越えなければならん」鬼瓦が有無をいわせぬ口調で諌めた。
「お母さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい。いい子でいるから。いい子で・・・・・・」
阿佐ヶ谷の涙の叫びが空間を包み込んだ。
阿佐ヶ谷なぎさは母親を三歳のときに交通事故で亡くした。突然、父と娘での生活を余儀なくされた。それでも悲しみを忘れさせるように父親が献身的に娘に愛情を与え、何不自由なく暮らしていた。しかし、三年前に異変が起きた。父親が再婚したのだ。阿佐ヶ谷は心の動揺を隠せなかった。母親を愛し、娘だけのものだと思った父親が別の女性と再婚することになった。父親には何度も宥められた。「お父さんも寂しいんだ。お前のためでもある」大人というのは嘘をつき、自分のエゴだけのために生きているのだと悟った。阿佐ヶ谷はそんなことは求めていなかった。再婚した女性は陰湿だった。父親がいるときは良き妻を演じるが、いないときは煙草を吸い、ひどいときは阿佐ヶ谷に手を上げた。もちろん阿佐ヶ谷が再婚相手になつくはずもなく、その反逆的態度がより一層火に脂を注ぐ形になった。そして、事件は起きた。中学一年の夏休み。八月三日。その日は母の命日だった。阿佐ヶ谷が焼香を上げているとき再婚相手が、「私がお前の母親だよ」と言ってきた。違う、あなたは他人。阿佐ヶ谷の火を吹くような言葉が再婚相手の逆鱗に触れた。髪を掴まれ、煙草の火を胸に押し付けられ、顔を何度も叩かれ、そして踏まれた。夏休み中ずっと続いた。ある日、異変に気づいた父親が、警察に通報。再婚相手は逮捕されることになった。だが、それ以来、阿佐ヶ谷の心は閉ざされた。
「阿佐ヶ谷、過去を乗り越えろ!目を背けるな。な、なんだったら、俺も一緒に手伝ってやるから」
高円寺らしからぬ積極性を見せた。自分でも驚いた。誰かの為に、行動を起こそうとする自分がいたことに。
阿佐ヶ谷がこちらを振り向いた。目に涙を浮かべながら、「高円寺君。あなたに助けられたくなんかないわ―――でも、ありがとう」と無数の雫の玉を頬に流した。雫が線状になり、意志を固め、阿佐ヶ谷は全てを吹っ切るように手のひらで目元を拭った。
「失せろ、蚤!」
阿佐ヶ谷は抑揚のない声を発した。
無数に蠢いていた脳蚤の動きが止まり、一匹、一匹、と消えていく。
「彼女の意志が勝ったようだ」
鬼瓦が安堵の息を吐く。高円寺もその場にしゃがみ込んだ。が、阿佐ヶ谷の次の一言でまた顔を上げた。
「お母さん!」
脳蚤が消えた先に凛とした雰囲気を纏う女性が立っていた。七色の光に包まれている女性は阿佐ヶ谷にそっくりだった。すぐさま阿佐ヶ谷は走り、七色の光に抱きついた。が、実体はない。彼女の手は光をすり抜けた。
「お母さん!お母さん!」
阿佐ヶ谷は叫んだ。
「なぎさちゃん、ごめんなさいね。あなたの事を縛っていたのはお母さんだったのね」
「帰ってきてよ。ねえ、お母さん」
母親は無言だった。気のせいだろうか高円寺と目が合ったように感じた。
「なぎさんちゃん、ほとんど一緒にいられなかったけど。いつも傍にいるから。お父さんが再婚した時も、あなたは許せなかったのでしょ。お母さんも許せなかった。それが原因で怪異になってしまったの。私の、悪の心がいけなかった」
「お母さんは悪くない」と阿佐ヶ谷は言った。
「ありがとう。でもね、人は前に進まなければいけないの。たぶん、あの頃のお父さんも前に進もうとしたんだと思う。その事はわかってあげて。それに、なぎさちゃんには、素敵な仲間がいるじゃない。大事にしなさい。そして、信用しなさい。お母さんは見守っているわ」
その言葉と清々しい笑みを放った直後、光は溶け、一瞬で消えた。残されたのは、阿佐ヶ谷の涙だけだった。