それでも、課長が好きなんです!
「俺が瀬尾と同じくらいの年齢の時、付き合っている女性がいた。付き合いも長く、将来のことを考えるのも、自然のことだった」

 将来のこととは、結婚のこと。
 自分と同じ歳の頃には、将来を真剣に考える相手がいたんだ。それに比べて自分は……
 自分が穂積さんと不釣り合いであるというのは十分に承知しているのに、追い打ちをかけるかのように心にズシリとのしかかる。

「いや、正直に話さなくてはな。正確には子供が出来たから将来を考えるようになった。……俺も若かった」

 穂積さんは自嘲するような薄笑いをした。
 さらに「男として、人間として、未熟だった」とまで言う彼に対して何もそこまで言わなくても……と内心思った。物事には順序がある、ということを言いたいのだろうか。
 でもそれを言ったらわたしとのことだって……ううん、今は自分のことを考えるのは止めよう。

「彼女の妊娠発覚、ちょうどその同時期だった。……母親が、再婚した」

 今ここで、穂積さんの母親の話が出るなんて予想もしなかった。
 
「瀬尾が先ほど一緒にいた男とどういう関係なのかは知らないが、アイツとは戸籍上は兄弟になる。……会話をしたこともないが。互いに成人して親から離れて暮らしていたため、一緒に生活をしたこともないからな」

 佑輔君も同じようなことを言っていたっけ。
 親が再婚した時には、互いに大人だったから兄弟だという思いは少しもないって。
 でも一体、穂積さんと彼女の話と、お母さんの再婚の話に何の関係があるのだろう?

「母親は、女手ひとつで俺を育ててくれた。再婚が決まったときは俺はもう一人立ちをしていたし、幸せになってくれるのならと再婚を喜んだ」

「同じように、俺の結婚も喜んでくれると思ったよ」

 親子で幸せを掴んで、その幸せに何も疑うところはない。そんな話にわたしはただ胸を痛める。
 俯いた視界に膝に置いた穂積さんの手が映って、合わせると、ぎゅっと握りしめた。

「でもそんな矢先に、彼女が突如、姿を消した」

 なぜ? という思いで隣の穂積さんを見上げると声のトーンはそのままに、感情をあらわにするこもなく淡々とした様子で語った。その様子が、わたしにはなぜか痛々しく見えた。

「探しても見つからなくて、しばらくして彼女の失踪に、自分の母親が絡んでいたことを知った。……金を渡して、俺の元を去るよう警告したらしい」

 穂積さんは「理由を問い詰めると、俺のためだとか言ってたな」と言うとため息交じりに笑った。

「女優として開花して、成功した男をつかまえて、あの人は変わったよ。俺に地位も名誉もすべて、手に入れて欲しいと思っているらしい。……理解に苦しむ」

「そして俺は今の会社に中途で再就職することになって、それからは彼女や母親のことを考える暇もないくらいに一層仕事に打ち込んだ。それからの俺は、おまえが知っている通りの男だ」

 穂積さんは一度、口を閉ざした。
 これで……全部? ううん、まだ全然、穂積さんのことを知って近づけた気がしない。
 我慢強く、再び彼が口を開くのを待った。

「勝手に俺の将来を決めようとする母親にも嫌悪感を抱いたが、……金で俺の元を去った彼女にも、同じように嫌悪感を抱いた」

 黙っていられなくなって、ようやくわたしも口を開く。 

「お金で穂積さんの元を去ったって……ほんとにそうでしょうか。きっと、彼女は……」

 彼女を庇うなんて、馬鹿みたい。
 でもきっと、穂積さんは、分かっているから。だから……

「お母さんが穂積さんの将来を思ってそうしたように、彼女もきっと、あなたのことを思って身を引いたのではないでしょうか」
「おまえもそう思う?」

 きっとそんなこと望んでなんていなかったはずだ。
 地位や名誉なんかよりも彼女に傍にいて欲しかったはずだ。
 どこか物寂しげな表情をして、彼女に対して言っているのだろう「馬鹿だよな」の言葉から伝わってくる。

「彼女を、捜していると、聞きました。どうして、急にまた彼女を捜そうと思ったんですか?」

 穂積さんは何も答えない。
 気になることがありすぎて、彼の返事を待つことが出来ない。

「見つかったんですか? 会って、話が出来たんですか?」
「質問ばっかだな」
「……だって」

 ずっと追い続けてきた人だけど、肝心の本人のことは何も知らなかったから。
 知れば知るほどわたしにとっては辛い事実ばかりだ。でも、穂積さんのことを知れる機会はもう、この先きっとないと思うから。



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