それでも、課長が好きなんです!
 穂積さんのマンションにたどり着くまでにはかなりの時間をかけてしまったのに、自宅まで戻る道のりは走ってたった数分だった。
 自宅のドア前でやっと立ち止まると、急にガタガタと身体が震えてきた。
 寒さのせいだけじゃない。 
 次から次へと突きつけられた真実、思いもよらない人物の登場と、目まぐるしく変わる状況。心がついていけない。

「千明!?」

 自分の名前を呼ぶ声に、大げさに肩を震わす。
 顔を見なくても分かる。声の主は……

「こんな時間に……一人で帰ってきたのか!?」
「佑輔君……どうしてここに?」
「あ? いやそこのコンビニに行って……って、俺のことはいいよ」

 俯いた視界に佑輔君の手に提げたコンビニ袋が映って、次に自分の足先が映る。
 下を向いた瞬間、急に視界がぼんやりと滲んで慌てて顔を上げる。

「今日はもう遅いから、また今度改めて話を聞いてくれますか?」

 出来るだけ明るく振る舞ったけど、声は震えて……きっと見ていて痛々しい。みっともない。
 ポケットから鍵を取出し部屋に入ろうとすると腕を引かれ止められる。

「ごめんなさい、……ちょっと今は一人になりたい。また、ちゃんと話しますから」
「何があった?」

 佑輔君には、報告をするべきだ。
 でも今は。
 今、優しくされてしまったらきっと……

「自分も混乱してて……お願い、今日は帰って」
「嫌だ」
「なんで……」
「だって、自分が望んだ表情をして、千明が戻ってきたって言うのに帰れるわけないじゃん」
「……」
「俺もたいがい、酷い男だよな。弱ってるとこにつけ込もうとして、千明が傷つくのを分かっててアイツのところに連れて行った」
「……」
「俺の望みどおりになったんだろ?」

 なんて正直な人だ。
 彼の自分のことしか考えていない言動も、今はなぜだか嫌な気はしない。

「でも、いつまでもそんな暗い顔をしていて欲しいわけじゃない」

 手から零れ落ちた部屋の鍵の音が、深夜のマンションの通路に落ちて響く。
 自分が抱きしめられていることに気付いたのは、冷えた頬に相手の温もりが伝わってきたとき。
 押さえつけられた胸に、自分の涙が滲む。

「やっぱ、手を伸ばすなんて、最初から望んでいい人じゃなかったのかもしれない」

 思い知った。
 今度こそ本当に、思い知った。
 穂積さんの本心が、やっと見えたかと思えたのに、……手に届きそうなところでやっぱり届かない。

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