それでも、課長が好きなんです!
「これ、ありがとうございました」

 しゃがみ込んでいたわたしの肩にかけてくれた上着を手渡す。
 穂積さんの部屋はすっかり冷え切っていて、家にはいなかったことが分かる。
 マンションの前でばったり会って、どこかから帰ってきたところ? でも、こんな時間までどこへ……?

「大丈夫ですか? 血が、出てる……」

 バッグからハンカチを取出し頬に当てた。
 穂積さんはハンカチに手を当て受け取る。

「言っておくが、先に殴りかかってきたのはあの男だ」
「あの男……」

 それって。
 思い当たる人物の名前を告げようとすると、「この間の話の続きをしてもいいか」と穂積さんの言葉に遮られる。

「続き……?」
「俺が、再び別れた彼女に会いに行こうと思ったきっかけは、おまえだ」
「見つかった、んですか……?」

 穂積さんは瞳を伏せ控えめに微笑むと、わたしの質問には答えずに話を続けた。

「この間、言ったよな。自分にないものを持っている人に惹かれるのはよくあることだと。俺にはそのような経験はなかったが、ある日突然、色々と理解に苦しむ女が現れて」
「り、理解に、苦しむ……?」
「説明したことが出来ない。……日本語が理解できないのかと思った。時には、きつい言葉で、自分でも言いすぎてしまったかなと思うほどの言葉を浴びせることもあった。……でも、大抵昼休みが終わるとけろっとしている」
「お腹いっぱいになると、嫌なこと忘れません?」
「……」
「忘れ……ませんよね」

 穂積さんの無言に真顔での訴えは、昔から、怖い。
 でもこの日は、目を合わせれば優しい瞳で、微かに微笑んでくれるような気がした。

「おまえの言うとおりだよ、瀬尾。いつも素直でひた向きで、自分にはないものばかりを持つ瀬尾に、いつの間にか惹かれていた」

 夢みたい。
 ううん、夢に見ることまでが恐れ多いように感じる言葉の数々に身体が震える。
 ねぇ、夢オチとか、ないよね?

「でも俺は惹かれているのに、誰かを想う資格がないと思ったし、その事実を認めたくなくて。好きだと言ってくれた瀬尾の気持ちに何と言って答えたらいいのかが分からずに、酷いことをして傷つけた」
「……傷ついてなんか。割と、元気でしたよ?」
「そうだったな」
「懲りずに、また告白してるし……」

 話していて自分でも呆れるほどの行動の数々に笑みがこぼれる。
 酷いことをされたなんて自覚はなくて、一夜を共にしたことでもっと好きになちゃって。
 突き放されれば諦めようって頭ではそう何度も呟いたのに、見つけてしまえば身体が穂積さんを追う。
 同じ会社で近くに住んでいるから、顔を合わせることも多くて、傷ついて落ち込んでふさぎ込んでる時間なんて、なかったかな。

「瀬尾は再び俺のことが好きだと告げた。……あの日の俺は、まだおまえの気持ちに応えることは出来なかった。でも傷つくことを恐れない瀬尾の行動に、背中を押されるようだった」
「背中を?」
「あの日俺は再び彼女を探すことを決めた。自分の気持に決着をつけて正直に生きたいと思った」

 視線を落として大きく息を吐く。静かに、緊張を解きほぐすように深呼吸をする。
 穂積さんも深く息を吐いたから、同じように緊張に頬を強張らせているのかな、そう思って見上げた。
 でも違った。何かを吹っ切ったような、見たこともないくらいに晴れやかで、優しい表情をしているよに、わたしの目には映った。涙腺が緩む。目を合わせたら、やばい。咄嗟に下を向く。
 まだ、感動に浸るには早い。

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