助手席にピアス
私のことを『雛』と呼ぶのは、世界中でただひとり。
「そうか。雛も明日から仕事だろ? 俺も明日から仕事なんだ」
「そうなんだ」
今までならポンポンと口から言葉が出てきたのに、琥太郎を意識するあまり、思うように会話も弾まない。もっと普通に会話をしなくちゃと思えば思うほど気持ちが空回りして、口の中がカラカラに乾いてしまった。
「今度会うのは兄貴の結婚式の時だな」
「うん。そうだね」
「じゃあ、またその時にな」
「うん」
通話を切った私の脳裏に浮かぶのは、初詣の帰り道で寂しそうに背中を丸めている琥太郎の後ろ姿。
琥太郎、ごめんね……。
面と向かって言えない言葉を胸に抱いた時、またスマートフォンが音を立てた。
「もしもし」
「俺だ。今どこだ?」
挨拶もなしに要件を口にするなんて、桜田さんらしい。思わず笑いが込み上げてくる。
「さっき、家に着いたところ」
「そうか。今からそっちに行くから、大人しく待っていろよ」
「え、あっ」
私が返事をするよりも早く、荒々しく通話が切れてしまった。
取りあえず桜田さんが来るまで、部屋の掃除を終わらせよう。
キャリーケースを空にするとクローゼットに片づけ、掃除機を取り出す。綺麗になったこの部屋で、桜田さんにいっぱい甘えよう。そう考えると少し苦手な掃除もはかどった。