猫に恋する、わたし
「危なかったー。誰かに聞かれたらどうするのよ。特に谷口さん。あの子、伊織君にべったりで、バレたら何されるか分からないんだから」
トイレに入ってすぐに個室の中も誰もいないのを確認してから、わたしは洗面所の前で項垂れた。
菜々緒はというと、よほどショックだったのか呆然と鏡を見つめている。「なんで、」
「どうして、莉子は平気なの?」
と菜々緒はいった。
目がひどく怒っている。
「毎日女の子とっかえひっかえで、羽生君がろくでもない男だっていうのはよく分かってるでしょ。そんな男と一線を越えちゃったら、あんたがどういう思いをするのかも」
「うん。そうだね」
「なにが ”俺とあんたってさ、別に付き合ってないよね” よ。莉子、都合のいい女扱いされてるじゃん!」
「うん。それは反省してる。わたしも浅はかだった」
先週の日曜日に買った新作のリップをポケットから取り出す。
隣で菜々緒がおおきくため息を吐いた。
「あたしだったら、そんなこと言われたら平気でいられないよ」
鏡に映るわたしの唇はきれいなピンクに発色していて、いつもより顔色が明るくみえる。
わたしはリップを塗る手を止めた。
「全然、…平気なんかじゃないよ」
「えっ?」
「しかたがないじゃない。それでも好きなんだもん」
「…」
「やっぱりわたし、ばかだよね」
わたしは力なく笑った。
惚れた弱みとはいえ、何も言えない自分自身に嫌気がさしていた。