めぐる季節、また君と出逢う
「まったく可愛かった!」
と、オーナー、高科秀春は笑っていた。いい年をして「可愛い」なんて言われるとは思わなかったと頬を赤らめている駿太郎は少しうな垂れてもじもじと醤油つぎを拭いていた。高科は少しも聞いてない、という顔をして米袋を抱き上げて米びつへ移している。
「二人ともだよ。お母さんのエプロンを掴むみたいに康熙のズボンの裾を掴んでる駿君も可愛かったし、それだからって動けない、寝れないって言ってる康熙もさー」
「見たかったわー。ほんと、見たかったー。」
食洗機に予洗いした皿をならべながら叔母さんが言う。
高科の叔父の秀春は高科をそのまんま年取らせたようだった。眉がきりりと太く鼻梁のとおった美男子で笑うと目尻に皺が寄る。高科家の男たちはみんなこんな風に年取って行くのだろうかと初めて秀春を見たとき駿太郎は思った。妻である高科の叔母、良子(よしこ)はいつも笑っている。穏やかで少しも派手なところはなかったが野に咲く花のような優しい華やかさがあった。二人に子どもが居ないのはとても残念だ。多分その分も康熙のことを可愛がっているように見える。
高科はふんっと鼻を鳴らした。
「ったく、もう、いつまで同じ話してるんだよー。ほら、買物、行くんでしょ?出すよ。」
「あぁ、はいはいー。じゃ、良子、駿君、行ってくるねー、あとよろしくー」
そうは言うものの今日はもう殆どの仕事は終わっている。二人が出て行くのを見届けて、良子は目を眇めて
「駿君、お茶にしよう。」
と笑った。
こうしてエアポケットに落ちたように穏やかな時間がある。温かい家庭の匂いに満ちたキッチンのテーブルに、柔らかい湯気を立てた紅茶がしゅぅっと音を立ててアイスティーになるのを駿太郎は眺めた。ふたりで小さなキッチンのテーブルに向かってひとつの物語を聞いていた。
「あの人は本当に康熙君のことを自分の子どものように思っているのよ。私だってそう。もちろん本当の親子ならこんなにいつも仲良くない事ぐらい分かってるけど。親子ごっこなの。私たちにだって康熙君くらいの子どもがいたっていいのよね。なんかね、ついに人の親になれなかったのは、春さんのご両親やお義兄さんの期待を裏切った結婚をしたからなのかな、その罰なんじゃないかって思うこともある。そうやって何かの所為にすることでしか自分を救えないから。」
駿太郎はそっとアイスティーを飲んだ。駅まで迎えに来てくれた高科の叔父さんを初めて見た時に感じた血の濃さを思う。そして駿太郎が一瞬に考えたことを見透かしたように、良子は続けた。
「見た目も似てるしね、あの二人、多分中身も似てる。」
「中身?」
「これ、内緒だけど、私ね、お義父さんとお義兄さんの近くで育つと化学反応みたいにああなるんじゃないかって思ってるの。二人とも、頭がいいから決して大げさに歯向かったりなんかしないけど、あの二人だけが高科家で少しだけ違う。簡単な言葉で言っちゃえば、んー、自由っていうか。だから私と結婚したんだと思うし、だからこの仕事をしてるのよ。代々学者の家で育って、当然学者になるように育てられて、せめて普通に会社勤めして欲しかった親の期待をほんの少しだけそれこそ義理で叶えた後にぽいって放り投げて…。康熙君がいま大学に通っているのももしかしたら『義理』なんじゃないかな。高校生の頃は大学なんか行きたくない、って言ってたこともあったし。ほんと、若い頃の春さんと似てる、康熙くん。今だって買物しながら二人でいけない相談でもしてるのよ。『おかあさん、心配』」
そういって良子は楽しそうに笑った。
アイスティーのお替りがなくなって、ちょうど話に区切りがついた頃に、ペンションの表で停まるエンジンの音が聞こえた。勝手口のドアが大きな音を立てて開いて、二人の大きな男は両手に一杯の荷物を抱えて入ってきた。良子と駿太郎は声を揃えて「おかえりー」と迎えて、どちらともなく新しいアイスティーを作り始めた。キッチンの明り取りの小窓からさやさやと高原の夏の光が木漏れ日になって零れて、その下で氷のキューブがからからと涼しげに鳴っていた。
夢のように夏は過ぎた。高原に降り注ぐ真夏の太陽も、小高い丘と山並みを振り向いた時頬を撫ぜる風も、時折思い出させるように轟く雷鳴も、天高いプラネタリウムのような夜空も、何もかもが駿太郎を祝福しているように感じた夏だった。高科の働く姿は凛々しく、大人びていて、駿太郎は高科のその姿を見れただけでも一生幸せだと思える程満足した夏だった。その分大きな反動なのか、夏休みが終わってもう2ヶ月も経つのに駿太郎の「新学期」はまだ始まっていないみたいな気がする。楽しく美しかった夏の隙間から零れていった気だるさが、細く長い糸を紡いでそしてその糸が胸の中にもやもやぐるぐると絡まっているようだった。
と、オーナー、高科秀春は笑っていた。いい年をして「可愛い」なんて言われるとは思わなかったと頬を赤らめている駿太郎は少しうな垂れてもじもじと醤油つぎを拭いていた。高科は少しも聞いてない、という顔をして米袋を抱き上げて米びつへ移している。
「二人ともだよ。お母さんのエプロンを掴むみたいに康熙のズボンの裾を掴んでる駿君も可愛かったし、それだからって動けない、寝れないって言ってる康熙もさー」
「見たかったわー。ほんと、見たかったー。」
食洗機に予洗いした皿をならべながら叔母さんが言う。
高科の叔父の秀春は高科をそのまんま年取らせたようだった。眉がきりりと太く鼻梁のとおった美男子で笑うと目尻に皺が寄る。高科家の男たちはみんなこんな風に年取って行くのだろうかと初めて秀春を見たとき駿太郎は思った。妻である高科の叔母、良子(よしこ)はいつも笑っている。穏やかで少しも派手なところはなかったが野に咲く花のような優しい華やかさがあった。二人に子どもが居ないのはとても残念だ。多分その分も康熙のことを可愛がっているように見える。
高科はふんっと鼻を鳴らした。
「ったく、もう、いつまで同じ話してるんだよー。ほら、買物、行くんでしょ?出すよ。」
「あぁ、はいはいー。じゃ、良子、駿君、行ってくるねー、あとよろしくー」
そうは言うものの今日はもう殆どの仕事は終わっている。二人が出て行くのを見届けて、良子は目を眇めて
「駿君、お茶にしよう。」
と笑った。
こうしてエアポケットに落ちたように穏やかな時間がある。温かい家庭の匂いに満ちたキッチンのテーブルに、柔らかい湯気を立てた紅茶がしゅぅっと音を立ててアイスティーになるのを駿太郎は眺めた。ふたりで小さなキッチンのテーブルに向かってひとつの物語を聞いていた。
「あの人は本当に康熙君のことを自分の子どものように思っているのよ。私だってそう。もちろん本当の親子ならこんなにいつも仲良くない事ぐらい分かってるけど。親子ごっこなの。私たちにだって康熙君くらいの子どもがいたっていいのよね。なんかね、ついに人の親になれなかったのは、春さんのご両親やお義兄さんの期待を裏切った結婚をしたからなのかな、その罰なんじゃないかって思うこともある。そうやって何かの所為にすることでしか自分を救えないから。」
駿太郎はそっとアイスティーを飲んだ。駅まで迎えに来てくれた高科の叔父さんを初めて見た時に感じた血の濃さを思う。そして駿太郎が一瞬に考えたことを見透かしたように、良子は続けた。
「見た目も似てるしね、あの二人、多分中身も似てる。」
「中身?」
「これ、内緒だけど、私ね、お義父さんとお義兄さんの近くで育つと化学反応みたいにああなるんじゃないかって思ってるの。二人とも、頭がいいから決して大げさに歯向かったりなんかしないけど、あの二人だけが高科家で少しだけ違う。簡単な言葉で言っちゃえば、んー、自由っていうか。だから私と結婚したんだと思うし、だからこの仕事をしてるのよ。代々学者の家で育って、当然学者になるように育てられて、せめて普通に会社勤めして欲しかった親の期待をほんの少しだけそれこそ義理で叶えた後にぽいって放り投げて…。康熙君がいま大学に通っているのももしかしたら『義理』なんじゃないかな。高校生の頃は大学なんか行きたくない、って言ってたこともあったし。ほんと、若い頃の春さんと似てる、康熙くん。今だって買物しながら二人でいけない相談でもしてるのよ。『おかあさん、心配』」
そういって良子は楽しそうに笑った。
アイスティーのお替りがなくなって、ちょうど話に区切りがついた頃に、ペンションの表で停まるエンジンの音が聞こえた。勝手口のドアが大きな音を立てて開いて、二人の大きな男は両手に一杯の荷物を抱えて入ってきた。良子と駿太郎は声を揃えて「おかえりー」と迎えて、どちらともなく新しいアイスティーを作り始めた。キッチンの明り取りの小窓からさやさやと高原の夏の光が木漏れ日になって零れて、その下で氷のキューブがからからと涼しげに鳴っていた。
夢のように夏は過ぎた。高原に降り注ぐ真夏の太陽も、小高い丘と山並みを振り向いた時頬を撫ぜる風も、時折思い出させるように轟く雷鳴も、天高いプラネタリウムのような夜空も、何もかもが駿太郎を祝福しているように感じた夏だった。高科の働く姿は凛々しく、大人びていて、駿太郎は高科のその姿を見れただけでも一生幸せだと思える程満足した夏だった。その分大きな反動なのか、夏休みが終わってもう2ヶ月も経つのに駿太郎の「新学期」はまだ始まっていないみたいな気がする。楽しく美しかった夏の隙間から零れていった気だるさが、細く長い糸を紡いでそしてその糸が胸の中にもやもやぐるぐると絡まっているようだった。