赤ずきんは狼と恋に落ちる
「……千景さん?」
つい、口から出てきてしまった。
芳垣さんは、困ったように笑い、「うん」と頷いた。
「店長は黙ってろって言ってたんだけど、やっぱり、言わないと歯がゆくって」
そう言うと、席を立って奥へ行ってしまった。
何か私に言うことがあったのだろうか。
何で今更なのか。
思い出さないようにしてきたのに。
芳垣さんはすぐに戻ってきた。
「店長が辞める前に、レシピノート貰ったんだよ。あの人、プロでもないのにあんな美味しい料理作るから何でって聞いたら、これ見せてくれた」
普通のリングノート。
表紙の青色は剥げて薄くなり、角は丸くなっている。
芳垣さんはパラパラとノートをめくり、私に1ページだけ見せてくれた。
忘れかけていた千景さんの字で書かれた、この苺タルトのレシピだった。
「これ渡された時、店長に言われたんだよね。『りこの誕生日の時にできたら作ってやって』って。自分が作ってあげたらいいのに」
何も言えなかった。
「何で今更」と思った自分が、情けなかった。
私ばかり千景さん、千景さんと考えているみたいだと思ったのが、恥ずかしかった。
あんなに時間が過ぎたと思っていたけれど、そんなことはなかった。
一瞬で思い出される記憶に、涙が出そうだ。
「……ごめん、言わない方が良かった?」
首を小さく横に振り、笑ってみせた。
「話してくれて、ありがとうございます」