君がため、花は散りける

 …瞬間、声にならない悲鳴。

 本当に恐怖を感じた時、人は息をするのも忘れるんだと、初めて気づいた。

 襖障子が開かれ、そこに居たのは般若の顔をした化け物。

 太陽の光で逆光ではあるが、間違いなく、それは化け物だった。

「起きていたか。お前…」

「ヤダっ!来るな!!私は美味しくなんかないし、死ぬ気もないんだからね!!…私を家に帰せ、母さんと父さんの所、瑞樹に会わせろぉ…っ。」

 何言ってるかまとまっていない日本語だが、私は大真面目に訴える。

 かけられていた布団を般若の顔をした奴に投げ、泣きじゃくりながら声を荒げる。

「お、落ち着けっ!!お前を食うつもりも、殺すつもりもない。…お前が門の前で倒れていたから、寝かしてやっていただけだ!」

「………………へ?」

 かたく目を瞑っていたが、男の声に目を開けてみる。

 やっぱり、そこには般若の顔が…と思ったけど、よくよく見ればそれがお面である事に気がついた。

 な、なんと紛らわしい!

 けど、なんでこの人、狂言とかで使う能面で顔を隠してるのさ。

 目の前の和服姿の男を睨み付ける。

「恩人に向かってなんて目を向ける。まぁ、良い。お前、名は?」

「…智子。凪原智子。」

「智子か。俺は…桜廉(オウレン)だ。」

 桜廉?大層な名前だなぁ。

「…あの、ここはどこ?瑞樹は?私、どうして寝てたの?あ、そうだ!私、桜に包まれて、そうしたら…っ」

「落ち着け、智子。ここは冠山の麓にある家。居たのはお前一人だけだったぞ。…それに今、桜は咲いていない。」

 抑揚のない、凜とした声。

 それだけで、力の入っていた肩がふっと楽になる。

「…家に、帰りたい。」

 すると、溜まっていた涙がボロボロ流れていく。
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