box of chocolates
「あ、いたいた! 杏ちゃん!」
 私を呼ぶ声に、涙を拭いてから振り返る。首から関係者のパスを下げている八潮さんが、爽やかな笑みを浮かべながら走り寄ってきた。
「この後、ちょっとだけ時間をくれる?」
 私の返事を待たずして、八潮さんが小さく手招きをした。何事か? と思いながら、小走りをする後ろ姿について行った。競馬場内はこの後のレースを観る人たちや、駅に向かう人たちでごった返していた。八潮さんはそんな大勢の人たちの間をうまくすり抜けながら、おそらく関係者しか入れない場所へと入っていった。
「戸田さん! お忙しいところ、悪いね」
 そこには貴大くんが待っていた。まさか会えるとは思っていなくて、急に胸の鼓動が加速した。
「ホント、数分で終わるから」
「大丈夫ですよ」
 貴大くんは、大レースの後の疲れも見せずに微笑んだ。八潮さんは少し呼吸を整えると、貴大くんの両肩をガシッと掴んだ。何事か? と、目を丸くする。
「杏のこと、よろしくお願いします」
 八潮さんのひと言で、今までの私たちの努力が報われたと感じた。
「はい。ありがとうございます」
 貴大くんが力強く答えると、八潮さんも私も笑顔になった。
「忙しいところ、ありがとう。さぁ、杏。帰ろう」
 八潮さんは、私と貴大くんが話す間を与えないくらい足早に退散した。ふたり、お互いに小さく手を振った。

 またね、貴大くん。


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