疑惑のグロス
会社には友達と呼べるような人はいない。
でも、会社モードでない自分で、喋りができる相手が一人だけいる。
「苑美(そのみ)ちゃん! 今、帰り?」
そいつは社内で唯一、私のことを名前で呼ぶ貴重な存在。
「うん。まだ仕事残ってるけど、もう今日は仕事する気が無くなったから残業しない」
「相変わらずだなあ。
オレなんか、そんな風にしたいと思っててもなかなかできないから羨ましいよ」
会社を出て、繁華街へと続く道とは反対の方へと二人、肩を並べて歩いている。
この子は、去年うちの会社に入社したばかりだ。
でも、もうかれこれ15年以上のつきあいになる。
うちの近所で花屋を営む、広瀬さんちの一人息子の由鷹(ゆたか)。
ちっちゃい頃は「ゆた」って呼んでたけど、さすがに今、会社でそれはマズイ。
まあ、私が会社でゆたのことを名前で呼ぶ必要なんてほぼ無いけど。
小さい頃から気が優しくて、おとなしいタイプだったゆたは、一人っ子の私には弟みたいにかわいく思えていた。