芸術的なカレシ
ハアアアア……
吐き出された溜め息は、闇の中で白くなる。
もやもやと上って、空に近付くこともなく、消える。
馬鹿みたいだ、私。
どうして考えもつかなかったのだろう。
拓は私と別れたことで、正々堂々と紅を部屋に招き入れることができるのだ。
手を握ることだって、キスをすることだって。
それどころか、彼女を抱くことだって、可能なのだから。
「あああ……」
溜め息は声になる。
赤い自転車が、そんな私を見て笑っているみたいだった。
拓の部屋に、紅が来ている。
やっぱり約束は、紅とだったのだ。
こんな時間まで、何をしていたんだろう。
男と女が、二人きりで。
「マジか……」
駄目だ。
本格的に、泣きそうだ。
ゆらゆらと自転車に近付いてみる。
外灯に照らされて、冷たく光る赤い自転車。
「倉端紅」
ご丁寧に、かわいい文字で名前まで書いてある。
酔っていたはずの頭は、ガンガンに冴えていた。
もう駄目だ。
もう駄目だ。
完全に、もう駄目だ。
そう思った時。
「こんなに遅くまで、本当にすみません」
可愛らしい、女の声がした。
私は慌てて、アパートの影に隠れる。
「いや、構わないよ。
むしろ、飯まで作ってもらって、サンキューな」
カンカンカン……
階段を下りる2つの足音と、拓の声。
「いえいえ!
あんなのでよければ、いつでも!」
張りのある紅の声が、煩わしいほどに響く。
「んまかったよ。
あ、本当に送ってかなくて、大丈夫?」
「はい、大丈夫です!」
紅が微笑んでいるのが、顔を見なくても分かる。
声の全部に、拓への愛情が詰まっている。