芸術的なカレシ






「別に理由はないけど……
今まで、話したこと、なかったし。
あなたももう、随分大人になったし。
母さんもね、あなたと同じような思いをしてきたから」



「同じような思い?」



「そう。
彼のための、望まない、別れ」



「……望まない、別れ?」



「そう。
あなたのお父さんはね、研究者だったの。
頭のいい人だったわ。
大学病院で、新薬を開発するチームに入ってた」



母は遠い目をしながら、また一口、お茶を啜る。
その瞳はキラキラしていて、まるで恋する乙女のよう。



「あなたがお腹の中に居るって分かった時、母さん、迷わず父さんと別れることに決めたの。
もちろん、父さんは真面目な人だったから、あなたの存在を知ったら、母さんと結婚してくれたとは思うけど……
母さんがそれを、望まなかった。
結婚は、あの人の研究にとって不利なんじゃないかって、そう思ったのよ」



初めて聞かされる父親の話に、私は背中がゾクゾクしてくるのを感じた。
私の中には、母とは違うもう一人の男性の血が流れていて、DNAにその存在が刻み込まれているという、事実。
それを想像するだけで、私の体はフツフツと温まってくる。



「でも誤解しないでね、あなたはみんなに祝福されて生まれてきた、大切な宝物よ。
例え父親が、あなたの存在を知らなかったとしても、あの人の愛情は確かよ。
それだけは信じて」



たからもの。
30になって、そんなことを言われてもくすぐったいだけだけれど、それはよく分かっているつもり。
母は私を、精一杯愛してくれた。
過不足なく。




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